10話
「ありがとうございましたー」
店員さんの一言にほっと一息つき、朝の騒々しさに包まれた駅を後にする。
昨日の夜は弁当がほとんど無くて困ったが、朝は朝で弁当を買い求める人が多く、別の意味で中々に大変だった。
幸いなのは案外弁当の価格が良心的だったこと。
まあそれでも町の弁当屋さんなどに比べると高い事は高いが。
駅という立地と中身を考えたら、仕方のないことなのかもしれない。
時間は……まだ八時前か。
昨日色々慣れないことをしたせいもあるだろう。
太ももからふくらはぎにかけて結構な筋肉痛だ。
だから弁当を食べるついでに正直少し休みたい。
けどなるべく早く島に到着しておかないと、届け先の状況次第では島で一日過ごすことになるかもしれない。
昨日の夜の定時連絡によると、磯崎さんはもう愛媛県内だそうだ。
最終的に合流する以上、ここで変に足踏みして島で時間を使いすぎるのはまずいだろう。今日中には島を抜けて次の届け先に向かっておきたい。
ここでお弁当を食べたら、小学生の頃に乗ったうみのこの経験から考えて、船に乗った時にめちゃくちゃ気分が悪くなる可能性もあるしな……。
(よし、このまま行くか)
痛む脚を動かして、船に乗るために港へ向けて歩みを進める。
幸い高松港は駅からかなり近い。
逆に言えば近すぎて歩くという選択肢があることが、今の状況ではあまり良くないかもしれないが。
今日の目標は香川と岡山二つの届け先にお酒を届けること。
流れはこうだ。
まず高松港から船に乗って小豆島へ。
島の土庄町に届け先の家があるらしいので、お酒を渡してすぐ感想をもらったら、今度は岡山県行きの船で島を脱出。
あとは岡山県の届け先にもお酒を届けて終わり。
そこまで出来たら今日は百点満点だ。
そうこうしているうちに、チケット売り場に到着。
売り場で高速艇のチケットを購入して乗り場に行くと、タイミングが良かったのか特に待つこともなく乗船出来た。
高速艇の見た目はフェリーよりもスマートだが、近くで見ると思ったよりも大きい。高速艇というからには早いんだろうけど、この大きさでその名を表すようなスピードが果たして出るんだろうか。
色々と不安だ。
そうして間もなくうみのこ以来、十年以上振りとなる船旅が始まった。
――――
(船ってこんなに早く進むんだな……)
スタート時は普通の船と大して違いはなかった。
けど、スピードが乗るとまるで海の上を滑るように進みだした。
その上揺れも少ない。
先生が大きい船は酔いにくいから大丈夫だよ。と自信満々の表情で言っていたうみのこですら酔った僕がまったく酔いを感じないほどの安定感がある。
もちろん今日は晴れていて、波が穏やかなのも影響はしているだろうけど。
船内は外から見たほど広くはない。
多少歩ける程度のスペースはあるけど、電車よりもちょっと横に空間が広いかな。と感じるくらい。
その代わり座席は綺麗でクッションもしっかりして乗り心地はかなり快適だ。
(これならここでお弁当を食べてもいいかもな)
念のため、他の乗客の様子を見る。
お菓子くらいなら軽くつまんでいる人はいたが、流石に弁当を食べている人まではいないようだ。
ただそれですら隣の人が若干迷惑そうに見ているのが目に入る。
(うん、やっぱりやめておこう)
身体は空腹を訴えかけて、さっきから音で自己主張しているが仕方ない。
「あれ? 君は確か昨日の……」
肩を軽く叩かれ、右隣に座っている人を見る。
日本人にしては大柄なことを除けば、ごく普通のおじさん。
歳は多分五、六十代くらい。
ヨレヨレのスーツとハット系の黒い帽子。
そして深みのある渋い声。
最近どこかで見た気がするが、思い出せない。
「すみません、誰ですか?」
「覚えてないかな? ほら昨日駅のホームで寝ていた人。あれが私だよ」
おじさんが帽子を持ちあげて微笑む。
オールバックの髪にこの渋い声……。
バラバラになっていた記憶が一気に繋がる。
「あっ、あの時の」
「昨日は本当にお世話になった。まあ結局あの後電車をかなり乗り過ごしてしまったけどね。はっはっはっ」
おじさんは声を上げて盛大に笑った後、周囲を気にしてか小さく笑い直した。
「それでお兄ちゃんは島へ何しに? 格好を見るに通勤には見えないけど」
「小豆島へ、お酒を届けに行く途中です」
「あず? あー……実はね。小豆島じゃなくて小豆島って言うんだよ」
おじさんが小さい声で訂正する。
「あっ、あ……そ、そうでしたね。すみません」
やってしまった。
覚えてたつもりだったんだけどな。
「私も初めてこの島の名前を目にしたときはよく間違えたもんだよ。ところで届ける酒ってどんなお酒なのかな。こう見えてもお酒には目が無くてね。ちょっとだけでもいいから見せてくれないかい?」
見せるくらいは良いと思うけど、どうしようか。
おじいちゃんは来月にはこのお酒を販売するとか言ってたし。
それならもう発表も済ませているだろうから、多少知らない人に見せても問題はないだろう。
けど流石にこういうどんな人が見てるかわからない場で見せるのは、あまり良くない気がする。
申し訳ないけど断るか。
「あんまりこういう場所で見せるのはちょっと」
「そんなこと言わずにさ。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいから。ね?」
おじさんはそう言って僕に向かって手を擦り合わせる。
ここまでされたら流石に断りづらいな……。
まあここは人も少ないし、ちょっとくらいならいいか。
「わかりました。でも絶対SNSとかで拡散しないで下さい。いいですか?」
「わかった、約束しよう」
……急に何をしてるんだ?
おじさんはキリっとした顔で頷くとなぜか上着を脱ぎ、袖をまくり上げた。
「この上腕二頭筋に誓って秘密にしよう」
大きく盛り上がった力こぶをポンポンっと叩いて、僕に見せつけながらおじさんは力強く宣言した。
……色んな意味で本当に大丈夫だろうか。
でもここまで言ってやっぱり無しは流石に心苦しい。
「……これです」
「刻の雫? へぇ初めて見るお酒だね」
「刻じゃなくて刻の雫ですね。まだ市場に出回ってないお酒なので、知らないのも無理ないかと思います」
「へぇ、まだ市場に」
おじさんが呟くように言う。
そのタイミングでふと誰かの目線を感じ、顔を上げる。
すると何人かの人が僕の方に顔を向けていて、目線が合うなり慌ててみんな前に向き直った。
ちょっと声が大きかったかな?
いや、目線だけはこっちにチラチラ向けてるから、みんなお酒に興味がある感じなだけかもしれない。
「そうなんです。来月には出ると思いますけど」
「少しだけ、ほんの少しだけでいいから飲ませてくれないかな」
「駄目です。さっき言った通り、来月には出ると思うので気になったら調べて予約して下さい」
僕の言葉を聞いたおじさんはあからさまに項垂れる。
そして何故か周りにいた人達も同じタイミングでため息を吐いた。
「そうか。残念だねぇ……。でも来月まで生きる理由が出来たよ。ありがとう」
大げさな。
どう返事していいかわからず、苦笑いを返す。
その後、やたらと話しかけてくるおじさんと取り留めない話をしていると、気づけば小豆島に到着していた。




