9 隣人
サヤカがリビングのソファでくつろいでいる。そのとき玄関のチャイムが鳴った。
「誰? 鍵忘れたの?」
サヤカは玄関へと向かった。ドアを開けると中年女性が立っていた。腕に紙袋を下げ、両手で鍋を持っている。
「あら、どなた?」
中年女性が言った。
「いや、こっちのセリフだよ。あんた誰」
すぐさまサヤカが言い返した。
「あ、そうね。ごめんなさい。私は隣の花咲です。みんなには花ちゃんって呼ばれてるわ。作りすぎちゃったからおすそ分けにね」
花咲はそう言って、鍋を少し持ち上げた。
「ど、どうも……」
サヤカが受け取ろうとすると、花ちゃんはその手をかわし、サヤカの横をするりとすり抜けて家の中へと入っていった。
「お邪魔しまーす」
「え、あ、ちょっと!」
花ちゃんはリビングを見渡しながらテーブルの上に鍋と紙袋を置いた。
「あら、今日は誰もいないのね。それに片付いてる。あなたが片付けたの?」
「ううん、来たときから片付いてた」
「そう、新入りさんが来るからみんなで片付けたのね」
花ちゃんはそう言いながら紙袋からいくつかのタッパを出し、鍋をキッチンへと持っていく。そしてコンロに置き、火をつけた。慣れたようすで引き出しを開け、菜箸を取り出しそっとかき混ぜながら話す。
「トムがもうすぐ帰って来るでしょ? 温めておくわね」
「そこまでしなくても」
「ところであなたは誰なの? 新入りさんでしょ?」
「え、ああ、そう。あたしサヤカ」
「サヤカちゃんね。女の子が入るなんて珍しいわね」
「安いから」
「ここは良心的よね。女の子ひとりでも安心して、みんないい子よ」
「うん、知ってる」
花ちゃんはサヤカを見て、少し小声で言う。
「あ、そうだわ。トムはね、すごくいい子なんだけどもう彼女がいるからね」
「は?」
「私が紹介したのよ。ナナミちゃんはトムより二つ年上なんだけど、面倒見のいい子だからトムみたいな子にはいいと思ったのよね」
「へえー」
「それで会わせてみたらまさに意気投合! あっという間につき合うことになって。もう私、嬉しくって!」
花ちゃんはそう言って、満面の笑みを浮かべて笑った。サヤカはそのようすを冷めた表情をして見ていた。そのとき玄関の鍵が開く音がした。
「ただいまー!」
トムの声だ。トムがリビングに顔を出した。
「いい匂いだね」
「おかえり」
サヤカが言った。
「あら! おかえり、トム!」
花ちゃんが笑顔でキッチンから顔を出す。
「あ! 花ちゃん! 来てたの?」
「お夕食にと思っておかず持って来たの」
「やったあ! ありがとう!」
「お腹空いたでしょ。手洗ってらっしゃい」
「はーい!」
花ちゃんは棚から食器を取り出し、サヤカに向かって言う。
「サヤカちゃんも食べるでしょ?」
「え?」
「夕飯。もう食べちゃった?」
「いや、まだだけど」
「じゃあ、用意するわね。たくさんあるから心配しないで」
「え、あ、うん。ありがと」
サヤカはキッチンへと行き、おかずの入った器をテーブルに運んだ。
「ありがと、助かるわ」
サヤカと花ちゃんでテーブルをセッティングする。そこへトムが洗面所から戻ってくる。
「わあ、おいしそうだね」
トムが料理を見て言う。トムとサヤカは向かい合って座り、食事を始める。花ちゃんはお茶を淹れて、二人のもとに持ってくる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう。これすごくおいしいよ」
トムが笑顔で言った。
「そう? よかった。ところでナナミちゃんとはどう?」
「うん、問題ないよ。それより仕事の方がね……」
「何かあったの?」
サヤカが聞く。
「うん。今日ちょっとトラブルがあって――」
「待って、その前にナナミちゃんのこといいかしら?」
花ちゃんが話を遮って言った。
「え、どうかしたの?」
トムが不思議そうに花ちゃんを見る。
「二人って付き合って1年近くなるじゃない?」
「うん」
「もうすぐナナミちゃん誕生日じゃない?」
「ああ、そうだったね」
「何か特別なことするってのはどうかしら?」
「特別?」
サヤカは黙々と食事をしながら話す二人のようすを見つめていた。
「みんなで踊って騒ぐ盛大なパーティ的な? それも楽しそうだね!」
トムが笑みを浮かべて言う。
「違う違う! もっとこう……ロマンティックな、ね?」
「ロマンティック……」
「ほら、あるでしょ?」
トムは宙を見て考えている。サヤカは冷めた目で見つめている。
「ねえ、サヤカちゃん」
花ちゃんは加勢しろと言わんばかりにサヤカに話を振ってきた。
「さあね」
「あらやだ。サヤカちゃんもわからないの? ほら、憧れのあれ! サヤカちゃんも憧れてるはずよ」
サヤカは大きくため息をついた。
「あのさ、まずそのサヤカちゃんってのやめてくんない?」
「え? サヤカちゃんでしょ? あ、サヤちゃんがいい? それともサーちゃん? サっちゃん?」
「いや、ちゃんをやめろよ」
「え? あ、ちゃんがだめなの!?」
「やだよ、ガキじゃないんだから。それにトムには何もつけないじゃん。でもナナミにはちゃん付け。それって女だからだろ? そういうのやなんだよね」
「そうなの? そういうもの?」
花ちゃんは不思議そうにトムを見る。
「そういうものかはわかんないけど、サヤカが嫌なことなのはたしかそう。サヤカって呼べばいいんだよ」
トムが答える。
「そう? かわいいと思ったのに……」
「そういうのがやなんだよ。って言ってもわかんないか。まあ、わかんなくても別にいいや。とにかく付けないでくれれば」
「そう……わかったわ」
「それから、二人のことにあんま口はさまない方がいいよ」
「そうなんだけど気になっちゃって。私、世話焼くのが好きだから。二人のことも大好きだし、幸せになってほしいじゃない?」
花ちゃんはにこにこと笑って言った。
「タイミングってのがあんだよ。それを考えもせず横からグイグイ押し付けんなって言ってんだよ!」
サヤカが声を荒げて言った。驚いた花ちゃんとトムが目を丸くしてサヤカを見る。
「トム、この人に何を言われようとあんたの人生だよ。遠慮なんかすんなよ。あんたの好きなタイミングで行動しなよ。ごちそうさま」
サヤカはそう言って、リビングを出ていった。トムと花ちゃんは黙ったままサヤカを目で追った。
「何か怒らせちゃったみたい。ごめんなさいね」
「ううん、僕は平気。でも、どうしたんだろ……」
二人は気まずそうに見つめ合い、花ちゃんが立ち上がる。
「じゃ、じゃあ、私そろそろ帰るわね。お鍋にまだまだあるからみんなで食べてね」
「え、あ、ありがとう。みんなも喜ぶよ」
花ちゃんは手を振りながら帰っていった。




