人間でいたい獣
天野少年が登校してから少し後の話。
奏くんが朝学校行こうとした時、
ドタドタと歩く足音がして騒がしいと思い玄関を覗くすると零くんがボディスプレーを奏くんの体に満遍なく噴射していた。
玄関中むせかえるくらい爽やかな香りが充満していた。
臭い。
ちょうど起きてきた巴も少しむせていた。
「おい、桜木、なんだこの更衣室のような匂いは」
「おはよう、巴これは零くんの仕業さ、奏くんにスプレー噴射していたんだ。」
「何やってんだ、あいつは…」
「なんか、犬臭いとか言ってた…そんなに臭かったかなぁ?朝ご飯食べている時も臭くなかったし」
「犬臭い…なぁ、桜木今、零のやつ何をしているんだ」
「何って…今玄関で出発の準備…え!?」
「はぁ…またか。桜木、後は頼んだ」
巴は僕の肩に手を置いた後台所へと向かってしまった。
僕は玄関へと慌てて走っていった。
零くんは玄関の近くの壁の前で座り込んでいた。
「零くん止まれ!!止まって!!」
壁に爪を立てようとする彼の左手首をあわてて掴んだ。
彼の金色の瞳の瞳孔が大きく丸くなる
顔が険しく、眉間に皺がより歯をむき出しにする
口から出るのは唸り声、人間ではなく獣の
「零くん!爪研ぎなら自室でやってくれないかい?」
彼がガッチリとこちらの腕を右手で掴み返す
止められたのが不服だったようだ。
鋭くなった爪が皮膚に食い込む、痛い。
ブチっという感触と音がした時、唸っていた彼がハッとした顔をした。
「さ…く…ら…ぎ…さ…ん?」零くんが口を開いた
「やぁ、零くん。気分はどうだい?」
俺は爪が食い込んだままの腕でにこりと笑った。
「桜木さん、腕が」
「あぁ、これかい?この程度の傷、壁の修繕費に比べれば安いものさ」
「そうじゃなくて…オレは…オレは…」
手が俺の腕から離れる。
零くんの呼吸が荒くなり、目を見開き、座り込んでしまった。
「零くん。本当に大丈夫だから」
「でも俺桜木さんの腕を…」
「いや、俺妖怪だからね?腕の傷もほら、もう塞がり始めてる」
俺は腕を零くんに見せる。
彼は俯いたまま力無く笑った。
「ハハ…でも、オレまたやっちまったんですよね…」
「それは…」
その時巴がどしどし歩いてきた
「取り込み中悪いが…零、今大丈夫か?」
「はい…なんすか」力無く零くんが返事をする
「出勤時間を過ぎている、今酸漿が向かっているそうだ」 巴が携帯電話の着信履歴を見せる。
履歴にはっきり表示されているカガチの三文字
そして表示されている時間は、零くんの出勤時間をとうにすぎていた。
「え…?酸漿さんが…?」
「酸漿…くん…が?」零くんの顔がみるみる青くなる。俺も血の気が引いていく感覚がする。
酸漿くん。酸漿 糸遊
零くんの働き先の雑貨屋の店主。
見た目若者、実年齢不詳、細身の男。
毛先が赤い白髪に切り揃えた前髪で左目を隠した細目の吊り目がちな目。
そこにいる巴よりも蛇のような印象のある人だ。
何より、何かがあって零くんと連絡がつかない場合幽玄荘に来る。
蛇の目傘をさして笑顔で。
その笑顔と威圧感が怖い。
「零くん…とにかく早く出発して、あぁ、あと酸漿くんに連絡!!」
「は…はい」零くんはボディスプレーを持ったまま外へと出ていった。携帯電話を置いて
「零くん!!携帯電話!!それ!携帯電話じゃない」
「え!?あ、すみません。桜木さん」
今度こそ、携帯電話を持って零くんは出ていった。
「大丈夫かな」俺はボディスプレーの容器を振る
中身はほとんど入っていなかった。
「問題ないだろう。一応は人間としての理性は戻ったようだしな」
人間、零くん自身は人間と主張はしているけど、彼には獣が混ざっている。
元々彼はふとした時に、獣の面が出てくる最近は特に顕著だ。 (悪い意味で)
酸漿くんはそれは知っている上であえてその一面を出すという条件の下、零くんを彼の店で働かせている。
本来であれば、零くんは それを受け入れなければならない。
ただ彼はそれ拒否する、人間であろうとする。
拒否をすればするほど獣の面は色濃く映り、意識させられ、彼は飲まれていく。
先ほどのあれもそうだ。
嗅覚、その場で爪を研ごうとする行動、威嚇、極め付けは人間らしからぬ鋭く太く立派な皮膚すら突き破る爪。
「零くんも俺らみたいに受け止めればいいのになぁ」
「それは難しいだろう、己達のように元から異形としての一面を受け入れているわけではないからな」
異形、 俺は妖、巴は蛇、フランちゃんはツギハギ、ブランくんは特異体質、それぞれ異質な部分を元から認識したり、早い段階でそれを受け入れている。
彼はまだそれができていない。
最近は新入り…人間の奏くんが来てから、彼の否定はさらに増した気がする。
ただ、いくら人間という蓋をしてもいずれは限界が来る。
いくら酸漿くんのところでガス抜きしてもいずれ限界が来る。やがて尻尾を出す日が来る。
その日が来た時彼はどうするのか…それ以降どうなるかそれが俺としては少し気がかりではある。
(奏くんは多分それを見ても受け入れるだろうけど)
俺は巴を見た。
「ところで巴サン、俺も携帯電話が欲しいのですが…」
「断る。お前には、ここの固定電話で充分だ。」
「そんなぁ…」
俺は空を仰いだ。今日はやや曇り空だ。
雲の間からはうっすらと青空が見えていた。




