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4/5

その先にあるもの

――そして、あっという間に一ヶ月が過ぎた、晴れた朝。


「カストルよ」


父親が重厚な声で呼びかけた。


「今日で俺との特訓は終わりだ」


「……え?」


カストルが顔を上げる。


「最後に、あいつと立ち合え」


父親が顎で示した先。


庭の中央には、エルダが立っていた。


その手には、練習用の鉄剣――フェダー。


「木剣じゃ手応えがないわ」


エルダが剣を構える。


「あなたもフェダーを構えなさい」


カストルは、目の前のエルダを見つめた。


以前とは違う。


その瞳に、もう冷たさはなかった。


「準備はいい、カストル?」


「……いつでも来い、エルダ!」


カストルもフェダーを構える。


「言っておくけど――手加減はしないわ」


エルダの切れ長の瞳が、鋭く細められた。


「本気で私を倒すつもりで来なさい!」


その瞬間。


庭の空気が変わった。


(任せんさい! ワシがどれだけ頑張ってきたか、見せてやるけえ!)


「ハッ!!」


エルダが踏み込んだ。


鋭い一撃が、カストルの顔面めがけて振り下ろされる。


だが――


カストルは紙一重で身をかわした。


頬をかすめた剣風に、背筋がぞくりとする。


そのまま斜め下から剣をすくい上げた。


ガキィン!


「……ッ!?」


エルダの目がわずかに見開かれる。


今の一撃をかわされた!?


「――やるじゃない、カストル!」


エルダの口元が、わずかに上がった。


次の瞬間、鋭い連撃が襲いかかる。


頭上高くからの一撃をカストルが受け止めた瞬間、エルダの剣は滑るように軌道を変えた。刃の表裏を自在に操る、目まぐるしい連撃。


薄い鉄刃が、風を裂いてカストルの生身を脅かす。胴を薙ぐ水平の風が、瞬時に足元を狙う低空の切り付けへと変化した。


ひとつひとつの斬撃に無駄がない。


ギンッ! ガキィィィィンッ!


カストルは必死に食らいついた。


受ける。


かわす。


そして、返す。


だが、剣の技術ではエルダが一枚上手だ。


(綺麗な剣技で勝てるわけがねぇ……! ドヤ顔で勝つなんて百年早いわボケぇ!!)


(剣では勝てん。なら――)


カストルは、剣を捨てた。


「……なっ!?」


エルダが目を見開く。


その一瞬の隙を、カストルは逃さなかった。


エルダの剣が肩をかすめる。


「ぐっ……!」


痛みに顔を歪めながらも、カストルは一歩踏み込んだ。


地面を蹴る。


低く身を沈め、一気に間合いを詰める。


「ちょっと、何を――!」


「うおおおおあぁぁぁッ!!」


カストルは頭からエルダの胴へと突っ込んだ。


ガゴォンッ!


「きゃっ!」


二人の身体が激しくぶつかり、そのまま地面へ転がった。


しばらくして。


「がはっ……げほっ……! ぜぇ……ぜぇ……っ!」


泥だらけになったカストルが、息を切らしながら顔を上げる。


「あ、相打ち……じゃな……!」


そして、満身創痍の顔で、無理やりニヤリと笑った。


「ワシの……完全勝利で……ええじゃろ、これは……っ!」


エルダが呆れた顔で言った。


「……バカ言いなさい。どこをどう見たら勝利なのよ。相打ちは相打ちよ」


二人は泥まみれのまま仰向けに倒れ込み、肩で息をしながら、どこまでも澄みきった青空を見上げていた。


エルダはカストルを見て言った。


「……カストル」


「ん?」


「あなた、本当に変わったわね」


「……そうか?」


「ええ。あの頃のあなたなら、最初の一撃で終わってた」


「……じゃな」


「でも――」


「ん?」


エルダは少しだけ言葉を探すように黙った。


「……強くなったのね。本当に」


「おう」


カストルが笑う。


「あんだけしごかれりゃあ、多少はな」


「ふふ……そうね」


エルダも、ほんの少し笑った。


けれど、その笑顔はすぐに消えた。


「……ねえ、カストル」


「ん?」


「あなたたちユニコーンって……どれくらい生きるの?」


「なんじゃ、急に」


カストルは首を傾げた。


「まあ、ワシらは千年くらいは平気で生きるが……」


「千年……」


エルダは小さく呟いた。


そして、視線を青空へ戻した。


「やっぱり、長いわね」


「エルダ?」


「私は人間よ」


エルダの指が、泥のついた服をぎゅっと握る。


「あなたよりずっと早く老いて、あなたよりずっと早く死ぬ」


「……」


「七ヶ月間、あなたを見てきたわ」


エルダは静かに続けた。


「最初は、口ばかり達者な変な男だと思ってた」


「ひどい言われようじゃのう……」


「でも、あなたは本当に変わった」


エルダがカストルを見る。


「苦しくても逃げなかった。何度失敗しても、次の日にはまた剣を握った」


「……」


「今日だって、私に勝てないと分かっているのに、最後まで諦めなかった」


そこで、エルダの声がわずかに震えた。


「だから……困ってるの」


「何がじゃ?」


「あなたのことを、好きになってしまったから」


カストルの目が見開かれた。


「私とあなたでは、生きられる時間が違いすぎる」


「……」


「私は数十年しか生きられない。でも、あなたは千年生きる」


「私が死んだあとも、あなたは何百年も生きることになる」


「私は、それが怖いの」


「エルダ……」


「嫌なのよ……ッ!」


凛とした彼女の声が、初めて大きく裏返った。


オリーブ色の瞳から、大粒の涙が溢れ、泥で汚れた頬を濡らしていく。


「私を看取ったあと、あなたがたった一人で、何百年も寂しそうに生き続ける……そんな未来なんて見たくない! 私はただの人間なんだから! だから……私なんかに囚われないで……っ!」


「馬鹿かお前はぁッ!!!!」


カストルは叫び、ふらつく身体を叱咤して立ち上がった。


そして、逃げようとするエルダの両肩を掴み、力強く引き寄せる。


「お前が死んでしもうたら、ばり辛うて苦しゅうていけんことぐらい分かっとるわ!!」


全身を襲う痛みに、額から冷や汗が流れ落ちる。


それでも、カストルはエルダから手を離さなかった。


「ワシはバカじゃけえ、調子にばっかのるし、ただのイケメン気取りの馬じゃ!


そがなこと自分で一番分かっとるわ!!


じゃけどな……お前と一緒に生きる数十年は、ワシの千年の一生の中で、何よりもキラキラした最高の時間なんじゃ!」


カストルの指先が、エルダの肩に強く食い込む。


「最後の1秒まで愛し抜いて、お前が先に死んだ後も、一生分の思い出を抱きしめて生きていく覚悟くらい……最初からできとるわい!!」


カストルの叫びを正面から受け止めたエルダの瞳から、大粒の涙が溢れ出し、ポロポロとこぼれ落ちた。


震える指先でカストルの泥まみれの頬を包み込み、そっと自分の額を押し当てる。


「カストル……」


彼女の温かい涙が、カストルの頬をも濡らしていく。


その温もりに触れた瞬間、体を焼き切るような激痛も、全身の疲労も、すべてがどこか遠くへ吹き飛んでいった。


エルダはそのまま、カストルの胸に身を預けた。


「……本当に、手のつけられない大バカ者ね。そんな重い覚悟、私に背負わせるつもり?」


「おう、背負わせる。ワシの『妻』になって、ワシの腕の中で一生幸せになってもらうけえの」


カストルは泥で汚れた顔を、くしゃりと笑わせた。そして、まるで壊れものを扱うように、けれど二度と離れないようしっかり彼女を抱きしめた。


――家に戻った二人は、両親の前に並んだ。


カストルは背筋を伸ばし、父親の正面に立った。


そして洗練された宮廷の作法どおり、左足を引き、右手をそっと心臓の上へ重ね、寸分の狂いもない動作で片膝を深く下ろす。


「……エルダさんとの結婚を、どうかお許しいただきたいと思っております」


床を見つめたまま、カストルは言った。


(え?……カストル!?)


普段のお調子者のカストルからは想像もつかない『本物の貴族』の佇まいに、エルダは目を丸くした。


一方、父親は腕を組んだまま、鼻を鳴らした。


「フン。ようやく本気を見せたか」


「僕は、エルダさんを幸せにしたいと思っています……っ」


続くはずの言葉が、喉に突っかかった。取り繕った行儀の良い言葉を発するたび、胸の奥が焼けるように熱くなる。こんな綺麗事じゃあ、ワシの覚悟は伝わらん――!


カストルは弾かれたように顔を上げた。


「――いや、幸せにする、じゃあ足りんです! 僕が……いや、ワシが、エルダと一緒に幸せになりたいんです!」


片膝立ちの綺麗な姿勢を崩し、両手を床へ突くと、額が床に触れるほど深く頭を下げた。


「じゃけぇ……ッ! エルダさんを、ワシにください!!」


短い沈黙が落ちた。


「……頭を上げろ」


父親の低い声が、静かに響いた。


カストルがゆっくりと顔を上げる。


父親は腕を組んだまま、エルダを見た。


「エルダ。お前はどうなんだ」


「……はい」


エルダはカストルの隣に立った。


「私も、カストルと一緒に生きていきたいです」


父親はしばらく二人を見つめ――


「……そうか」


短く頷いた。


「なら、好きにしろ」


「父上!」


「ただし」


父親の目がカストルを射抜く。


「エルダを泣かせたら、俺が許さん」


「……はい!」


両親からの許しを得たカストルは、エルダの手を握って言った。


「これからワシのユニコーンの里へ行かんか? きっとみんなも心配しとるじゃろし、それに、早うエルダを皆に紹介したいんじゃ!!」


(まさかワシが、こがいな別嬪さんを連れて帰るとは誰も思うてないじゃろ。


ふっふっ、みんながひっくり返って驚く様が目に浮かぶようじゃ……あ〜、あのまま泉におらんで良かったぁ!)


嬉しそうに笑うカストルを見て、エルダは「仕方ないわね」と小さく頷いた。


それから二人は、午後のひとときを穏やかに過ごした。


――夕暮れの残光が消え去り、宵の口の涼やかな風が吹き抜ける頃、


カストルは久しぶりに人の姿を解き、ユニコーンに戻った。


七ヶ月間の鍛錬を経たその姿は、以前にも増して大きく、月光を弾いて白銀に輝いていた。


「あなた……本当に、神聖なるユニコーンだったのね……!」


変身したカストルの姿を見上げ、エルダが心底感心したように呟く。


「いや、そうじゃて! 今までなんじゃと思うとったん?」


「う……馬?」


「今は違うじゃろう!!」


そして、エルダをその背に乗せると、


「お父さん、お母さん、ほしたら行ってくるけぇ」


と挨拶し、家を後にした。


しばらくはゆっくりと歩いていたカストルだったが、エルダが背に慣れたのを確かめると、


「落ちんように、しっかりワシに抱きついとけよ! ……行くぞッ!!」


ドッ! と大地を蹴った瞬間、一歩で景色が跳んでいった。


夜風を切り裂き、白銀の身体が月明かりの中を駆けていく。


「……速い……! すごいわ、カストル!」


「ふっふっふ、ワシの背中はエルダ専用じゃけえの! 落ちたら承知せんぞ!」


背中に感じるエルダの体温。


それだけで、カストルの胸はどうしようもなく満たされていく。


街道を外れ、小さな泉を過ぎ、森の木々を抜け、風を置き去りにして爆走すること数時間――。


やがて東の空が白み始め、朝モヤの向こうに、ユニコーンの里が姿を現した。


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