対峙のロジック
四千の軍勢の眼前に、一人のレディ。
普通なら、プレッシャーに押し潰されて気絶するような場面だった。しかし、フランシスカの足取りに迷いは無かった。
彼女の真後ろには、黒髪の少女ホウオウ。そして、少し離れた位置に紫の髪をはためかせるミリアムが控えている。
完璧な布陣。個の強さとしては、これ以上無い防壁と言えた。
バルドル帝国の本陣から、数騎の馬が前へ出てきた。
中央にいるのが、黒いマントを羽織った男。バルドル皇帝、ルドルフ。
彼の目は、冷徹そのものだった。まるで、目の前の人間を生きた存在ではなく、単なる数字として処理しているかのような眼差し。
「お前が新たな女王、フランシスカか」
ルドルフ皇帝の声が、静まり返った荒野に低く響いた。
「いかにも。バルドル皇帝陛下、お初にお目にかかります」
フランシスカは一礼した。気品のある振舞い。
「手短に話そう。私は無駄な時間が大嫌いでね。お前たちが不戦の意図を示してここに来たことは評価する。だが、論理的に考えて、我が軍が引き返す理由は無い。六つの聖女が結託したという事実は、それだけで周辺諸国への脅威。パワーバランスの維持のため、お前たちはここで潰されなければならない。それが世界のロジックだ」
「それは、貴方の勝手な仮定に過ぎません」
フランシスカは凛と言い放った。ノータイムでの切り返し。
「私たちは、他国を侵略するつもりなど毛頭ありません。ただ、この国を、民を豊かにしたいだけです。戦いを起こせば、貴方の国の兵士も多く死ぬことになる。それは、皇帝として、正しい不利益の選択ではありませんか?」
「兵の死など、単なるコストに過ぎん」
皇帝は冷酷に切り捨てた。
「コストを支払ってでも、将来の特大の不確定要素を排除する。これは極めて正しい投資だ。……だが、一つだけ、別の選択肢を提示してやってもいい」
皇帝の目が、ギラリと怪しく光った。
「お前が持っている『聖魔の石』。あらゆる負傷を瞬時に癒す奇跡の道具だそうだな。それを我がバルドル帝国に譲渡しろ。加えて、お前たちの国を我が帝国の属国とする契約を結ぶ。これを受け入れるなら、今日のところは兵を引いてやろう。猶予は十秒だ」
過酷な条件。
実質的な完全降伏の要求だった。
フランシスカの後ろで、ホウオウの気が一瞬で跳ね上がった。四天王の指輪が激しく明滅している。いつでも国王の時のように、皇帝を真っ二つにする構え。
だが、フランシスカは左手を軽く上げ、ホウオウを制した。
「考えるまでもありません。その条件、お断りいたします」
フランシスカの即答。
「聖魔の石は、民を救うためのもの。私利私欲のために戦いを起こす貴方に、渡すわけにはいきません。それに、私たちは二度と、誰の手駒にもならないと誓ったのです」
「……交渉決裂だな。愚かなレディだ」
皇帝が右手を上げた。
四千の質量が、一斉に殺気を放つ。石弓の照準が、完全にフランシスカへとロックされた。
勝率、ゼロ%の戦場。
だが、そこへ割り込む不協和音があった。
「へへっ、話が長げぇんだよ、皇帝陛下」
バルドル軍の陣形を割って、数人の男たちが飛び出してきた。
黒い衣服。顔に大きな傷。
「赤い牙」の残党たちだった。彼らは、皇帝の命令を待たずに、勝手に前線へ躍り出てきたのだ。
首領を失い、金に飢えた狂犬たち。彼らにとって、フランシスカの持つ「聖魔の石」は、他国に売り飛ばせば一生遊んで暮らせるだけの特大の財宝。
皇帝の戦術的ロジックなど、彼らにはどうでもよかったのである。
「石は俺たちがいただく!皇帝のダンナ、兵隊どもに邪魔させるんじゃねえぞ!」
残党のリーダー格の男が、巨大な斧を振り回しながら、フランシスカ目掛けて突撃してきた。
数は五人。
いずれも、アクドラの無法地帯を生き抜いてきた荒くれ者。普通の兵士よりは遥かに強い。
「不愉快ですね。命令も聞けない猟犬を野放しにするなど、バルドル帝国の規律も大したことはありませんね」
遠方に控えていたミリアムが、冷たい声で呪文を唱えた。
大魔法使いの先制攻撃。
「ライトニング・ボルト」。
虚空から激しい雷光が走り、突撃してきた男たちの一人を直撃した。
轟音。
一瞬で消し炭になる残党の一人。
「ひっ……!化け物め!」
しかし、残りの四人は止まらない。やけっぱちの突撃。
ターゲットはフランシスカ。
「守ること鉄壁の如し」
ホウオウが動いた。
彼女の速度は、すでに通常の戦闘の次元を超えている。
残党たちがフランシスカの白いワンピースに触れるよりも早く、ホウオウの新しい名刀が、空気そのものを切り裂いた。
横一閃。
風の剣技。
刃が男たちの体を通り抜ける。
直後、残党四人の武器と、その肉体がバラバラになって地面に転がった。
「雑魚が」
ホウオウは剣を引き抜き、すぐにカバンから乾燥したレモンを取り出して口に放り込んだ。酸っぱい。だが目覚ましには丁度良い。もしゃもしゃと噛み砕く。
一瞬の殲滅劇。
それを見ていたルドルフ皇帝の表情が、ついに険しくなった。
赤い牙の暴走は想定外だったが、目の前の黒髪の少女の戦闘力は、明らかに計算を狂わせるレベルだった。
「ゲオルグ。あの黒髪の娘、四天王の指輪とやらをつけているな」
「は、ハッ……!間違いありません。あの光、第四聖女ディークの力かと!」
「なるほど、魔力の増幅か。だが、個がどれだけ強かろうと、四千の包囲網を突破することは出来ん。全軍、突撃!奴らを一人残らず圧殺せよ!」
皇帝の冷酷な指令。
ついに、バルドル帝国軍の本隊四千が、地鳴りを立てて進軍を開始した。
マリアンヌの紫水晶が、フランシスカのポケットの中で激しく振動する。
『フランシスカ様!ディーク、イグドラシル、私の部隊も全員、前線へ向かっています!合流まであと一分!持ちこたえてください!』
「一分、ですか」
フランシスカは目を閉じた。
四千の突撃を相手に、一分。
あまりにも長い一分。
「ホウオウ、ミリアム。耐えます。私たちの明日は、この一分の先にある!」
赤い牙の残党を瞬殺したホウオウ!しかし、ついに四千の本隊が動き出しました。
聖女たちの合流までの一分間、絶望的な防衛戦が始まります。
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