合理主義の決戦布陣
バルドル帝国軍の本陣。
魔笛の完全な破壊と、赤い牙の残党五百の壊滅。その急報を受け取ったルドルフ皇帝の顔に、もはや冷静な余裕は無かった。
机を叩くような無駄な真似はしない。しかし、その黒い瞳には、冷徹な殺意が満ち満ちていた。
「『神殺しの魔笛』が通用しなかったのではない。魔力を必要としない化け物が、もう一匹いたという理屈か……。計算が狂ったな。だが、ならば話は単純だ」
皇帝は立ち上がり、残された全軍の将兵を見据えた。
本隊、残るは三千五百。これに本国からの増援を加え、総勢六千。
もはやパワーバランスの維持などという奇麗事ではない。これは、帝国の威信をかけた完全なる殲滅戦である。
「ゲオルグ。すべての攻城兵器、大型石弓ボルトロース、そして魔導砲を最前線へ並べよ。個の武力がどれほど規格外であろうとも、一歩も近づけさせずに消し炭にすればいいだけだ。面による完全な飽和攻撃。これが我が軍の最終ロジックだ」
「ハッ!直ちに!」
鉄の仮面の奥で、ゲオルグ将軍が狂喜の声を上げた。
一方、西の国境線。
ミリアムに連れ戻されたナイム、そして灼熱の荒野から強行軍で帰還したフランシスカとホウオウが合流していた。
ディーク、イグドラシル、マリアンヌもすでに布陣を終えている。
だが、マリアンヌの紫水晶から、かつて無いほどの激しい警告の波動が全員の脳内へと伝わってきた。司令塔の悲鳴。
『全員、身を隠してください!敵の全砲門が、ここから数キロ先から、この座標に向けて照準を合わせています!来るのは矢ではありません……炎と魔力の雨です!』
「面攻撃、ですか」
シュクレが顔を青ざめさせた。
個の強さを誇るホウオウやナイムでも、数キロ先から放たれる無数の砲撃を剣で叩き落とすことは物理的に不可能だ。近づく前に、この荒野ごと焼き尽くされる。勝率は、完全にゼロ%へと叩き落とされていた。
「私が行きます」
前に出たのは、第一聖女ミリアムだった。
紫色の長髪が、不穏に渦巻く戦場の風に激しく揺れる。
彼女はディークの元へ歩み寄り、その白い手を差し出した。
「ディーク、貴女の『四天王の指輪』の祈りを、すべて私に注ぎ込みなさい。一秒の遅れも許しません。マリアンヌ、貴女のテレパスで、敵の砲撃が放たれる『一瞬のタスク』を私に共有しなさい。……新参者のフランシスカにばかり、いい格好をさせておくのは反吐が出ますわ」
「フン、言ってくれる。私の魔力をすべて持っていけ、ミリアム!」
ディークの指輪が、かつて無いほどの眩い金の光を放ち、ミリアムの全身へと吸い込まれていった。
限界突破の魔力。
ミリアムの紫の瞳が、天を衝くほどの魔力で発光し始める。
「空を焦がすほどの熱量があるというのなら、世界のすべてを凍らせて差し上げましょう」
大魔法使いの、文字通り命を賭した超大魔術が、今、発動しようとしていた。
地平線の向こうが、真っ赤に染まった。
バルドル帝国軍の魔導砲、そして大型石弓が一斉に放たれたのだ。
放たれたのは数百の光弾と、炎を纏った巨矢。それは、国境の荒野全体を消し炭にするための、無慈悲な質量兵器の雨だった。
降り注ぐ破滅。
普通なら、ここで全滅を確信する。
『ミリアム様、今です!上空、角度四十五度から着弾まであと三秒!』
マリアンヌの必死のテレパスが響いた。
「遅いですわよ」
ミリアムが両手を天へと掲げた。
彼女の身から放たれた魔力が、巨大な光の柱となって天を衝く。
直後、戦場全体の温度が、一瞬にして絶対零度へと急降下した。陽炎が消え、空気そのものが凍りつき、白い霧が爆発的に広がる。
大魔術。
「カタストロフ・グラシアル」。
ドゴォォォン!!
凄まじい衝撃音が響き渡った。
しかし、それは地面が爆発した音ではない。
降り注いでいた数百の光弾と炎の巨矢が、フランシスカたちの頭上数百メートルの虚空で、完全に「氷漬け」になり、巨大な氷の塊となって静止した音だった。
空を焦がすはずだった炎が、巨大な氷柱の森へと変えられ、天を覆い尽くしている。
圧倒的な魔力の防波堤。ダメージは、完全にゼロ。
「な……何だと……!?バカな、魔導砲の熱量を、一瞬で凍らせただと!?」
数キロ先の本陣で、ゲオルグ将軍が腰を抜かした。
ルドルフ皇帝も、その絶対零度の光景を前に、初めてその冷徹な顔を驚愕に歪めた。
ロジックの完全な完全な崩壊。
だが、ミリアムの負荷もまた、限界を超えていた。
すべての魔力を放出し、彼女の美しい体が、糸の切れた人形のように地面へと崩れ落ちそうになる。
「ミリアム!!」
フランシスカがノータイムで駆け寄り、その体を抱きとめた。
すぐにカバンから『聖魔の石』を取り出し、全力で光を放つ。
治療のカード。
一瞬にして、ミリアムの枯渇した精神と肉体が、暖かい光によって修復されていく。
「はぁ……はぁ……。本当に、無神経で、お節介な治療ですこと……」
ミリアムは息を吹き返し、悔しそうに、しかし嬉しそうに微笑んだ。
「ナイム、ホウオウ!敵の砲撃の装填には、少なくとも三分はかかります!今こそ、突撃の時です!」
フランシスカの凛とした大声が、凍りついた荒野に響き渡った。
「言われなくって行くよ。ホウオウちゃん、最後の遠足といこうか」
ニコニコ顔のナイムが、東方の剣を引き抜いた。
隣には、折れていない名刀を構えたホウオウ。
「行くぞ。明日を掴むは、死闘の先だ」
二大最強戦力が、絶対零度の荒野を、バルドル帝国の本陣へ向けて一瞬で消失するように駆け出した。
決戦の幕が、ついに切って落とされた。




