第12話
うっかり予約し忘れてた…。
次の日起きた時も、自分以外がベッドに寝た形跡はなかった。
「そうですか」
身体を起こして、寝ぼけ眼―――ではなく、据わった目でぼそりと呟くリュシールは悪くない。
「そーいうつもりですか」
ふふふ、と怒りを含んだ笑い声を上げるリュシールを止める人は、その場にはいなかった。
着替えて広間に行くと、やはりエリックの姿はなかった。朝食の準備をカーラたちに任せて、朝の挨拶と伝達にきたジョゼフに、潜めた声で確認する。
「昨日、エリック様はどこにお泊りだったのかしら」
「昨日は、夜遅くにお戻りでした。奥様を起こすのは忍びないということで、西棟の奥の部屋でお休みになられました」
「そうなの? それでは、まだお休みなのかしら」
「いいえ、それが…朝早く出仕いたしました。急に仕事が入ってしまったようで、本日も奥様と過ごすことができないことを、大変残念がっておりました」
「もう出かけられたの? お忙しいのね」
じっとジョゼフの目を見ていたが、特に動揺は見られない。しかし、ここで完全にそれを鵜呑みにする気にはなれなかった。なんといっても、食えない人だとわかっているから。
夜遅くに帰ってきて、朝早く出かけるなんて、本当に? 帰ってきていないだけではなくて?
寝に帰ってくるだけならば、そのまま王宮に泊まれば時間の節約にもなるのに、なぜそれをしないのか。やはり、実は他のところに―――。
「まぁ、それはそれで構わないけれど」
ぼそりと吐露したリュシールの本音に、ジョゼフが不思議そうな顔をした。
リュシールがまずすることは、この屋敷を掌握すること。エリックがいては、かえって複雑になりかねない。
「なんでもないわ。それより、今日もう一度屋敷の中を見て回りたいのだけどいいかしら」
「はい、もちろんでございます」
「あと、昨日カーラと会えなかったの。話がしたいから、あとで部屋に来るように伝えてくれる?」
こちら要求にも、ジョゼフは快く頷いた。
朝食を終え、昨日見つけた書庫で適当に数冊の本を見繕って部屋へと戻ると、すでにカーラがお茶の用意をしてくれていた。
「リュシール様、ジョゼフから私をお呼びだと聞きましたが」
「昨日屋敷を見て回った時に、カーラだけ見つからなかったでしょう。少しお話したいと思って。ダメかしら」
「申し訳ありません。昨日は所用で出かけておりまして。何か御用だったでしょうか」
忙しいのか用件をせかすカーラを、無理をいって椅子に座らせる。固辞するカーラを納得させるために、ミリアも同じテーブルについてもらい、ようやくお茶会の様を成した。
「カーラのことを聞かせて欲しいの」
「私の…ですか?」
「えぇ、これからお世話になるのだし。カーラがどんな人なのか知っておきたいと思って。カーラは、エリック様と乳兄妹なのよね」
今までほぼ無表情だったカーラの顔に、戸惑いが浮かぶ。リュシールを見つめ、逃れられないと観念したのか、重い口を開いた。
「そうです。私とエリック様は、恐れ多いことですが乳兄妹の間柄で、親しくさせていただいておりました。とは言いましても、私は女でございますので、それほど長い間一緒に育ったわけではありません。私は10歳になる頃には行儀見習いに出されましたので。エリック様が成人したら、侍女として仕えたいと思っておりました」
「では、侍女として仕えて長いのかしら」
「いいえ」
リュシールの疑問を、カーラは硬い口調で否定した。
「あくまで、私がそう望んでいただけのことです。エリック様は成人後数年遊学して過ごし、その後軍へと入隊されました。帝国では王族と言えども下級の軍人が個人的に侍女を雇うことはありません。自分のことは自分でする、というのが基本ですので」
「では、侍女として仕えたのは最近なのね」
「はい。アスティダ公爵家に雇われるという形にはなりましたが、長年の希望が叶いました」
うっすらと口元に微笑を浮かべるカーラは、本当に幸せそうな雰囲気を醸し出していた。ずっと願っていたことが叶ったのだから、それも当然だろう。
「ですから、リュシール様には感謝しているのです。エリック様が結婚したことで、仕えることができるようになったのですから」
ありがとうございます、と丁寧に頭を下げるカーラをリュシールは不思議な気持ちで見つめていた。
でも、結婚相手は私じゃない方がよかったんじゃない?
そう聞きたかったが、質問が意地悪すぎるような気がしてリュシールはカップを口に運ぶことで、それを堪えた。
その沈黙をどうとらえたのか、カーラの柔らかかった表情が強張り、突然立ち上がった。
「カーラ?」
「エリック様のこと。本当に申し訳ありません。いくら政略結婚とはいえ、このように新婚早々に放り出すなど、外聞が悪いにもほどがあります」
持っていたカップを皿に戻し、リュシールは頭を下げるカーラを見つめた。
「エリック様は素晴らしい方です。王族として、人の上に立つ者として、エリック様以上の方を私は知りません。ですから―――」
「カーラ、それ以上は慎みなさい」
そう鋭く言葉を割り込ませると、カーラははっとしたように頭を上げて、リュシールを見つめ返す。その瞳の中に、発言を止められてわずかに反抗するような色が見え、リュシールは小さくため息をついた。
よほどエリックを心酔しているようだ。自国の王と王太子への反逆と取られかねない発言をするほどに。
「エリック様以上の方も、世の中には当然いるでしょう」
リュシールの言葉を聞いて、カーラは唇をかみしめて少し悔しそうな表情をしてみせた。しかし、すぐにいつも通りの無表情に戻ると「申し訳ありません」と自分の非を認めた。
「それに、エリック様の所業をあなたに謝罪してもらわなくても結構です。少し、口に気をつけなさい。あなたの迂闊な発言が、エリック様を追いつめることもあります」
説教などしたくはない、と思いつつもこの屋敷の女主人としてきっちりいうべき時は言っておかなければならない。
カーラは再び頭を下げ、謝罪の言葉を述べると部屋から下がっていった。
「……疲れた」
「うーん、忠誠度70点といったところですね」
「そうね、そのくらいしか認められていないわね。前途多難だわ」
この屋敷で一番重要なのは、ジョゼフ。その次がカーラだというのはわかっていた。つまりは、この二人から認められないと、主人としてやっていけないのだ。
リュシールはジョゼフの底しれなさを知って、とりあえずカーラから攻略しようとしたのだが、あの頑なさにため息が出てしまう。
「それもこれも、エリック様がいないからよね」
「お仕事だそうですから…」
ミリアの本気とも気休めとも思える言葉に、リュシールはむくりと探究心がもたげるのを感じた。
本当に、昨日屋敷に帰ってきたのかしら。
その疑問を唐突に確かめたくなって、リュシールは西棟の奥の部屋へと向かった。
「リュシール様、勝手に入ってよろしいんですか?」
「朝、ジョゼフに屋敷を見て回ると言ってあるから平気よ。それにここは客室でしょう?」
エリックの私室ならば遠慮するが、客室と言い張るのならば勝手に入って何の不都合があろう。
遠慮なく開け放ったドアから、部屋の中を覗き込んで一言。
「どんぐりがないわ」
処分に困り、気休めの文鎮代わりに置いておいた、青いどんぐりがない。それに、まとめたはずの書類が、少し乱れていた。
「やはり昨夜はここでお休みだったようですね」
明らかにほっとしたようなミリアの声に、私はなんとなく面白くなくて「誰かが掃除したかもしれないわ」と反論する。
ぐるりと見渡すと、探していたどんぐりは窓辺にぽつんと置いてあった。
処分するでもなく、ただそこに移動しただけ。となると、やはりエリックが動かしたのだろう。
リュシールは憮然とした顔で、部屋の中に入ると、窓を開けてまた身体を伸ばした。
「リュシール様、無茶しないでくださいっ」
「もう、心配しなくて大丈夫よ」
そう言って、リュシールは手に入れた新しいどんぐりを、窓辺に並べておくことにした。
「何の意味が?」
「うーん、見張ってるぞ、とか?」
特に意味はない。
お読みくださりありがとうございました。




