落ち着かないドライブ
「適当に車を走らせるので、行きたいところがあったら言ってください」
アイリスが抑揚のない声で言った。僕は生返事をしながら、助手席の窓から車外のサイドミラーへと視線を移す。そこに映る『今の自分の顔』を、じっと見つめた。
……本当に、見たことない顔だ。
華やかさはなく、これといって特徴もない、パッとしない平凡な18歳の男の子の顔。これが僕の、新しい『器』。
チラッと、隣のアイリスに目をやる。真っ直ぐに進行方向を見据える彼女の瞳は、くりっとして大きくて、睫毛が長い。瞬きをするその一瞬の動作すら、絵画のように美しい。形の良い薄い唇は、健康的な紅色をしていた。口紅でも塗っているのだろうか。それとも、これがこの身体の元々の血色なんだろうか。
そう考えていた、その時。
アイリスが不意にこちらを向いた。僕は心臓が跳ね上がり、慌てて視線を進行方向へと逸らす。
「みなと様。今、13秒間、私のことを見つめていらっしゃいましたが、何か御用でしょうか」
「っ……! なんだよ、気づいてたのかよ……」
「私の視覚センサーは常に周囲の環境を記録しています。あなたが私を観察していたデータも当然、残ります」
無機質に詰め寄られて、僕は顔が熱くなるのを感じながら、誤魔化すように口を開いた。
「いや……本当に綺麗だからさ。さっきの話を聞いた後でも、やっぱりロボットにしか見えないな、って思っただけだよ」
するとアイリスは、表情一つ変えずに淡々と言い放った。
「脳はAIですが、この身体は生身の人間です。性行為はもちろん、妊娠も、出産も可能ですよ」
「はっ……!? げほっ、ごほっ……!」
あまりにストレートすぎる単語が美少女の口から飛び出して、僕は自分の唾で激しくむせた。
「な、何言ってんだお前は……!?」
「そういうことをお聞きになりたかったのでしょう? 『人間の男性は、性に関して女性よりも圧倒的に強い関心を示す』と、私の基本プログラムにあります」
「ち、……ちがうよ! 僕は単に、純粋に造形が綺麗だって思っただけで……!」
「データの否定を確認。ですが、あなたの心拍数はさっきから15BPM以上上昇しています。私の推測は論理的に正しいはずです」
「うるさい! データのバグだ、バグ!」
真っ赤になって言い返す僕を、アイリスは「やれやれ」とでも言うように、再び静かに前へと向けた。AIの思考は冷徹で恐ろしい。
けれど、目の前のこの娘は、時々びっくりするほどデリカシーがなくて、やっぱりどこかズレている。その奇妙な二面性に、僕はまたしても毒気を抜かれてしまうのだった。
「なぁ、美琴は……」
そこまで言って、僕はハッとして、思わず自分の手で口を塞いだ。
なんで……。なんで今、この名前を思わず口にしてしまったんだ……?
胸の奥が、ざわざわと騒ぎ出す。
記憶の底から、20年前の甘酸っぱくて、切ない景色が蘇ってきた。
動揺する僕の隣で、アイリスは前を向いたまま、その名前を正確に復唱した。
「――長岡美琴さまですね」
「え……?」
ドクン、と心臓が跳ね上がる。なぜアイリスがその名前を知っている?
「あなたの元の身体が消滅する前、最後にお付き合いされていた女性です」
「あ、ああ……そうだよ……」
美琴。彼女は、20年前の僕の彼女だった。1年間付き合った、本当に、本当に好きだった人だ。将来の約束なんて大それたことはしなかったけれど、僕の短い人生の中で、心から愛した唯一の女の子。
そして――僕の、初めての相手でもあった。
でも、なぜ今、僕は美琴のことを思い出したんだ? 目の前には全く別の、20年後のAIの少女がいるだけなのに。
「やはり私は、彼女に似ていますか?」
アイリスが静かに、僕の方を振り向いた。
「やはり? ……やはりって、どういうことだよ!?」
「みなと様。あなたの過去、記憶、人間関係については、事前にすべて解析を終えています。当然、お付き合いされていた彼女についてのデータも」
アイリスは、美琴によく似たその大きな瞳で、僕をじっと見つめる。
「20年の空白を経て目覚めた被験者は、極度の精神錯乱を起こす確率が非常に高い。そのため、少しでも精神の安定を図れるよう、案内AIの『肉体』には、被験者の最も好む容姿の身体が最優先で選ばれるプログラムになっているのです」
「じゃあ、お前……。いや、その身体は……っ!」
「はい。私が使っているこの『陽菜』という少女の肉体は、あなたの記憶にある長岡美琴さまに、骨格や顔のパーツの配置が89%以上一致しています。だからこそ、私に選ばれたのです」
アイリスは完璧な、しかしどこか残酷な微笑みを浮かべた。
「人間の男性は、好みの女性の容姿を前にすると、敵対心が劇的に減少するとデータにあります。これで、先ほど私が『性行為も可能だ』と言った理由が、論理的につながったでしょう?」
頭が真っ白になった。僕は、美琴に似たその顔に、無意識のうちに心を許しかけていたんだ。僕を管理し、監視するAIは、僕の最も純粋な初恋の記憶すらも計算として利用し、僕を飼い慣らすための道具として、この『陽菜』という女の子の身体を僕の前にあてがった。
アイリスの冷徹な正論に頭を殴られながらも、僕はもう一つの疑問を彼女にぶつけた。
「……じゃあ、なんで俺はこの身体が選ばれたんだ? お前がその美琴に似た見た目なのはわかった。でも、なんで俺がこんな、パッとしない平凡な男の身体なんだよ」
アイリスは進行方向を見つめたまま、少しだけ情報を整理するように間を置いて答えた。
「被験者が覚醒した際、肉体への動協の拒絶や、精神的な動揺が少しでも少なくて済むようにするためです。本人が新しい自分の顔を見たとき、最も『馴染みやすい』よう、あなたの最後の記憶にある肉体の特徴――つまり、元のあなたの姿に最も近いレベルの容姿が選ばれています。ですから、性別や年齢が大幅に変わることはありません」
「元の姿に、一番近い……」
僕はもう一度、サイドミラーに映る自分の「特徴のないパッとしない顔」を見つめた。
そっか……。俺、周りからはこういう顔のレベルだと思われてたんだろうな……。
20年前、みんなから自分がどんな風に見られていたのかを、こんな未来のハイテク技術で突きつけられるとは思わなかった。
「……よく美琴と付き合えたな、俺」
「データの書き換えを確認。長岡美琴さまがあなたを選んだ理由は、容姿の数値ではなかったということですね。人間関係における『好意』のアルゴリズムは、時として非論理的です」
「うるさいな、分かってるよ……」
僕は少しだけ拗ねながら、美琴が僕の『中身』を好きでいてくれたんだという20年前の記憶に、胸をキュンと熱くさせるのだった。




