目に映る世界
車体が滑らかに減速し、目的地を示す電子音がピッと小さく鳴って、車は静かに停車した。
「え……うそだろ……」
車窓の外に広がっていた光景を目にした瞬間、僕は息をすることすら忘れて固まってしまった。
「本当に……ここが……?」
血の気が一気に引いていくのを感じながら、震える声で隣のアイリスに問いかける。
「ええ、位置は間違えておりません。みなと様のご実家の場所に間違いありません」
アイリスの声も、どこかいつもの機械的な冷静さを失っているように聞こえた。
後部座席の蓮ちゃんに目をやると、彼女は何も言えず、大きな瞳をくりくりと見開いたまま、小さな口をぽかんと開けて固まっていた。幼い子の頭では、目の前で起きている現実を理解しきれていないのだろう。
あまりの衝撃に膝の力が抜けそうになりながら、僕は逃げるように車から飛び降りた。
そこに、あったはずの家はなかった。
昨日、確かに僕たちが足を踏み入れ、蓮ちゃんを連れ出し、机の上に手紙を残してきたあの家が――跡形もなく消え去っていたのだ。
爆破されたような瓦礫すら残っていない。まるで最初から何も存在しなかったかのように、きれいに更地になっていた。だが、敷地内をよく見れば、明らかにそこに建物が建っていた痕跡があった。周りには雑草が生い茂っているのに、家が建っていた部分だけぽっかりと草が生えておらず、土が露わになっているのだ。
「なんなんだよ、これ……っ……!」
頭が狂いそうだ。夢なのか? 昨日の出来事が夢だったのか? それとも、今目の前に広がっているこの景色が夢なのか?
「……れんちゃん……」
蓮ちゃんに何と説明しよう、と戸惑って思わずそうこぼしてしまう。服の裾を引っ張られた感じがして振り向くと、いつの間にか僕について車を降りていた蓮ちゃんが僕のすぐ後ろに立っており、僕の服をぎゅっと握りしめていた。
蓮ちゃんは僕が見ていることに気づき、ハッとして僕を見上げた。信じられない光景を前に、驚きすぎて声も出ないようだった。涙すら浮かべられないまま、ぽつりと呟く。
「……おうちが……ないよ……」
その幼い声が、僕の胸を刺した。
「アイリス! 蓮ちゃんを頼む!!」
僕はアイリスに叫ぶと、吸い寄せられるように無人の敷地内へと足を踏み入れ、夢中で駆け寄った。
冷たい土の上に両膝をつき、しゃがみ込んであたりの地面を必死で調べる。手で土を払い、草の隙間に目を凝らす。
すると――土に半ば埋もれるようにして、焦げたような小さな木片が、わずかに転がっているのを見つけた。
「……やっぱり、家はあったんだ……」
指先でその木片を強く握りしめる。その木片の冷たさが、これが現実なのだと嫌でも突きつけてくる。
昨日確かにここにあった家が、母さんと結月が暮らしていた場所が、一晩のうちに跡形もなく消し去られた。
これは事故なんかじゃない。
僕の死の真相、Subject 4の分類、そして僕が残したあの手紙――何者かが、すべてを隠蔽するために動き出したのだろうか……と、冷たい戦慄が背筋を駆け抜けた。
次の瞬間、僕の背筋を冷や汗が吹き抜けた。
(マズい……ここにいちゃ危険だ……!!)
理屈じゃない。この異様すぎる光景そのものが、目に見えない巨大な『悪意』に囲まれていることを告げていた。僕は弾かれたように立ち上がると、車のかたわらに立つ二人に向かって全力で駆け寄った。
「アイリス!! 車を呼んで!! ここから離れよう!!」
「承知いたしました」
アイリスは即座に端末を操作し、走行モードを待機させていた車を急速接近させる。僕は呆然と立ち尽くす蓮ちゃんの肩を強く抱き寄せ、その目線を合わせるようにかがみ込んだ。
「蓮ちゃん!! 大丈夫だからね!! 君のことは、絶対に僕らが守るから!!」
「おにいちゃん……っ」
僕の強い口調に我に返ったのか、蓮ちゃんがキュッと僕の服の裾を両手で握りしめてくる。
その小さな手の震えを感じながら、僕の頭の中では最悪の可能性が猛スピードで渦巻いていた。
……もし昨日、僕たちが蓮ちゃんを連れ出さずに、この家に残したままにしていたら……?
一晩で家ごと跡形もなく消し去るような連中だ。もし蓮ちゃんがここにいたら、今頃――。
背筋がさらに凍りつき、脳裏に浮かびかける惨劇の妄想を、僕は頭を激しく振って必死に打ち消した。考えるな。考えちゃダメだ。とにかく今は、この場所から一刻も早く離れることが先決だ!
滑り込むように到着した車のスライドドアが開き、僕たちは滑り込むように車内へと飛び乗った。
「発進!! すぐに出して!!」
ドアが閉まると同時に車が勢いよく加速する。遠ざかっていく「かつて家があった場所」を車窓から見つめながら、僕は荒い息のまま、助手席のアイリスに向かって早口でまくし立てた。
「アイリス!! 念のために……!!」
僕たちの居場所が特定されているかもしれない。今住んでいる家だって絶対に安全とは言い切れないはずだ。だから――
「わかりました。潜伏先および本車両の暗号化プロトコルの再構築、ならびに警備ドローンによる防御態勢の強化ですね」
「……え?」
僕が焦って言おうとしていた対策のすべてを、アイリスは静かなトーンであっさりと先回りして口にした。
あまりにも完璧すぎるフォローに、僕は勢いよく口を開けたまま呆気にとられてしまう。
「……う、うん。よろしく……」
さっきまでのパニックが嘘みたいに一瞬で毒気を抜かれ、僕は脱力しながらシートの背もたれに深く体を預けるのだった。




