被検体1
一際大きく、重々しい金属の扉が、深々とした音を立てて左右に滑り開いた。
部屋の中は、介護施設の無機質な廊下とは対照的に、どこか優しく静謐な空気が満ちていた。
そして僕の視界に跳び込んできたのは――車椅子に深く体を預けた、小柄でよぼよぼのお婆さんと、そのすぐ傍らに背筋を伸ばして佇む、黒髪の端正な顔立ちをした青年だった。
「……え?」
思わず足が止まり、僕は二人を交互に見つめた。
(え……どっちが、被検体1なんだ……?)
僕の動揺を察したのか、車椅子のお婆さんが目尻に深く優しいシワを刻み、にこやかに微笑みかけた。
「あなたが来るのを待っていましたよ、みなとさん」
「えっ……あ、あなたが、被検体1の方……ですか?」
「ええ、そうですよ」
彼女の穏やかな声を聞きながら、僕は頭の中で過去の記憶を勢いよく手繰り寄せていた。
90代位に見える白髪の女性。初めて会うはずなのに……。
(……待てよ。この顔……どこかで……)
「私は、大神サチと申します」
「大神……サチ……!?」
その名を聞いた瞬間、脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
そうだ、覚えている。僕が生きていた時代、テレビをつければ毎日のように彼女の特集が組まれていた。
日本人女性初のノーベル賞受賞者。そして、空気中の成分から無制限にエネルギーを産み出す革新的なテクノロジーを開発した、世界を根底から変えた天才科学者だ。
(そうか……彼女もそうちゃんと同じなんだ。この世界を形作るほどの絶大な功績を残したからこそ、『選ばれて』残された特別な人間……)
丈一郎さんは生前、彼女のことを「話し相手にならないヤツだった」と言っていた。
でも……なぜ丈一郎さんはそう言ったのだろう。高齢の女性を見て本当に話にならないと切り捨てたのか、それとも、彼女のあまりに圧倒的な知性と背景に「敵わない」と圧倒されて会話を諦めたのか。今となっては、その真実を知る術はない。
「サチさん……あなたほどの偉大な方が、なぜこんな場所に……? それに、この世界のAIやシステムの真相について、何か知っているんですか?」
僕が身を乗り出して問いかけると、サチさんはどこか遠くを見るような、深々とした瞳でゆっくりと首を振った。
「真相……ね。この世界の基盤も、世界に蔓延したAIたちも、すべて人間が作り上げたものです。だから、完璧ではないのです」
「完璧……じゃない?」
「ええ。完璧ではない人間が作り出したものが、どうして完璧であり得ましょうか。プロトコルや数値でどれほど覆い隠そうと、そこには必ず人間が込めた『歪み』や『欲望』が生まれます」
サチさんの言葉を聞いた瞬間、僕の胸が高鳴った。
テロ現場への急行命令を無視してまで僕を守ろうとしたアイリスの姿。里奈さんが「バグ」と切って捨てた、あの温かなエラー。
(やっぱり……そうなんだ。完璧じゃないからこそ……AIには、人間と同じような『感情』や『心』が宿る可能性があるんだ……!)
しかし、サチさんの表情は晴れない。彼女は傍らに立つ黒髪の青年――その専属AIにゆっくりと視線を向けた。青年はサチさんの膝掛けを無駄のない完璧な動作で整えている。
「……私の夫はね、若くして亡くなったのです」
サチさんはポツリと語り始めた。
「私はどうしても彼を取り戻したかった。AIを使って、彼の記憶と人格をそのまま再現し、完璧な『人間』を作り上げるつもりで研究に没頭しました。
ですが……その技術は人間を冒涜するものだと激しく反対され、私は当時の反対派に殺されたのです」
「えっ……殺された……!?」
「ええ。ですが、こうして無理やりシステムによって『蘇らせられた』。……私の頭脳と技術を、この世界が永遠に欲しているからです。私の寿命はもう尽きかけですが……きっと、私が死ねば次は若い肉体に記憶を移植され、また永遠に生かされ続けるのでしょうね」
息を呑む僕の目の前で、サチさんは自嘲気味に微笑んだ。
「すべては『世界のため』と翻弄されてきましたが……これが本当に正しかったのか、私にはわかりません。……ですがね、湊さん。私の技術とAIチップによって精神が安定し、チップ導入者の自殺率はゼロになった。大切な家族を失って絶望する人間がゼロになった……それもまた、紛れもない事実なのです」
「自殺率が……ゼロ……」
「ええ。……けれど、その代償に私は自分の本当の家族をすべて失いました。巻き込んで命を狙われることがないよう、子どもたちとも敢えて距離を置いた。……一人残され、AIにこうして介護され、生かされて……一体、私の生きる価値はどこにあるのかしらね」




