選ばれた人間
アイリスの後に続いて、その重厚な扉の前に佇む。
すると頭上でピピッという短い電子音が響き、扉上部のランプが青く点灯して自動で扉が左右に滑り開いた。
「私たちの体内に埋め込まれたチップのデータを読み取り、入室可能かどうかを瞬時に判断しているのです」
僕が理由を尋ねるよりも先に、アイリスからすらすらと答えが返ってきた。僕が何を疑問に思って口を開こうとしたのか、完璧に察している。
一緒に過ごす時間が長くなるにつれて、僕の細かな仕草や思考の癖まで読み取れるようになっているんだなと、胸の奥にどこか心地よい安心感が広がった。
「この時代は、顔認証や指紋認証はないんだな……」
僕らの時代では、スマホの解除からビルのセキュリティまでそれが一般的だった。ついそんな独り言をこぼすと、アイリスは静かに僕を見つめ返した。
「そうですね。顔認証や指紋認証であれば、対象者を殺害して精巧なシリコンマスクを作ったり、指を切断して持ち込んでも『本人』だと誤認識して認証してしまいますから」
「さ、殺害って……っ! 物騒なこと言うなよ……!」
思わず背筋が寒くなり、声をひっくり返してしまう。しかし、アイリスは真顔のまま、淡々と恐ろしい解説を続けた。
「ですが、生体チップであれば対象者が死亡した時点でシグナルが無効化されるよう設定されています。ですので、仮に脳から直接チップを取り出したとしても使用することは不可能なのです。……制度が導入された当初、それと知らなかった非装着者たちが、チップを奪うために脳をほじくり返す事件が多発しまして――」
「いいよいいよ!! もう説明しなくてっ!!」
僕は両手をぶんぶんと振って、慌てて彼女の言葉を遮った。これ以上喋らせたら、どんどんグロテスクで生々しい怪奇事件の話が出てきて僕の心が耐えきれそうにない。
「そうですか。知りたくなったらいつでもおっしゃってくださいね」
一切の悪びれもない様子で、アイリスはコクリと首を傾げた。
「では、行きましょうか」
「う、うん……」
急激に冷や汗をかかされた僕は、少し引きつった笑みを浮かべながら、開かれた扉の向こうへと一歩を踏み出した。
施設の中に一歩足を踏み入れ、僕は思わず目を見張った。広々とした吹き抜けのホールでは、無数のロボットたちが整然と行き交っていた。人の手を借りず、すべてが機械によって完遂されている空間。
車椅子の背もたれと一体化したような流線型の走行型ロボットが、乗っている高齢者に優しく速度を合わせて滑るように進み、壁際のベッドサイドでは多関節アームを備えた介助ロボットが、寝返りを打つ老人の体を一切の負担を与えずに柔らかく支え直している。
「あー……今日のスープは少しぬるいかねぇ」
「承知いたしました。適正温度の三十八度に再加熱いたしますね。お口に合うと良いのですが」
高齢者がぼやくと、給食カートのような小型ロボットが合成音とは思えないほど穏やかで温かみのある声で応じ、器の温度を微調整していた。どこを見渡しても「人間の職員」の姿はひとりもない。ロボットたちが滑らかな動作で対話し、抱え上げ、動きの補助をし、すべての介護を完遂している。
(え……ここって……? まるで老人ホームじゃないか……。どういうことだ? ここで働いている……ここのロボットたちを統率している人間が、被検体1なのか?)
僕たちが歩みを進めると、すれ違う介護ロボットたちの頭部に埋め込まれたレンズが一瞬キュッと絞られ、僕たちにカメラのような視線を向けてくる。けれど、僕たちの体内のチップを瞬時に認識しているようで、何事もなかったかのようにすぐさま元の介護作業へと戻っていった。その一連の無機質さに、少し背筋が寒くなる。
アイリスは周囲のロボットたちの動向に一切目をくれることもなく、まっすぐと通路の奥へ向かって歩いていく。僕は作業中のロボットたちの邪魔にならないよう、少し身を縮めながら彼女の後を追った。
「ここですね」
深々とした静寂が漂う金属の扉を見上げながら、僕は深く息を吸い込んだ。
(チョコも元気に留守番してくれてる。僕も……ちゃんと向き合わないと)
手配をしてくれたアイリスに一度だけ深く頷いて見せると、僕は意を決して、その重厚な扉の前に手をかざした。




