そうちゃんとチョコ
アイリスに頼み、僕はそうちゃんと再び会う機会を作ってもらった。
「わあ……! 可愛い……! チョコちゃんっていうの?」
そうちゃんは無邪気な笑顔を弾けさせ、チョコと楽しそうに戯れ始めた。尻尾を振って応えるチョコと、声をあげて笑うそうちゃん。その微笑ましい姿は、どこからどう見てもごく普通の、心優しい男の子そのものだった。
「可愛いね! 僕も犬、飼おうかなぁ!」
「うん、いいと思うよ! チョコが来てから、毎日すごく生活が楽しくなったし!」
僕がそう答えると、そうちゃんは少し首を傾げてから、楽しそうに言葉を続けた。
「あ! でも、すぐには無理かも。もうすぐ赤ちゃんが産まれるからさ、赤ちゃんの世話でパパとママが忙しくなるだろうし。落ち着いたら飼おうかな! そしたらまた、チョコちゃん連れて遊びに来てよ!」
新しい命の誕生を楽しみに待つ、温かな家族の未来。その屈託のない言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。
「……うん! わかった……!」
精一杯の笑顔を作って頷いたけれど、僕の声はわずかに震えてしまっていた。
「……それより、何かあった?」
突然、そうちゃんのつぶらな瞳が、僕の瞳を貫くような勢いでまっすぐに見つめてきた。
「え……?」
「お兄ちゃん、なんか顔が悲しそう。無理して笑ってるでしょ」
気丈に振る舞っていたつもりだったのに、この小さな少年の鋭い観察眼にはすべてお見通しだったようだ。誤魔化すこともできず、僕は深く息を吐き出した。
「……実はね」
僕はゆっくりと口を開き、そうちゃんに丈一郎さんが亡くなったことを伝えた。
波が静かに寄せては返す、人気の少ない砂浜。以前、人が集まる場所では本物の動物——ロボットではないチョコに対して、あまり好意的ではない視線を向けられることもあったから、アイリスが配慮して選んでくれた場所だった。
少し離れた場所では、そうちゃんのお父さんと、大きなお腹にそっと手を当てたお母さんが並んで座り、穏やかに海を眺めている。これから生まれてってくる新しい命と、小さな家族の温かな時間。
その眩しい光景とは対照的に、僕たちの周囲には重い静寂が降り積もっていた。
「そうなんだ……」
僕から丈一郎さんの死を聞かされたそうちゃんは、ポツリと呟いた。結局、そうちゃんが心配していた通りの結末になってしまったのだ。
そうちゃんの横顔から、さっきまでの子供らしい無邪気さは綺麗に消え去り、大人のように深く悲しそうな表情を浮かべていた。その横で、すっかりそうちゃんに懐いたチョコが「遊んで!」とばかりに尻尾を振ってじゃれついている。そうちゃんは、チョコの柔らかい毛並みを小さな手で優しく撫でながら、ぽつりと呟いた。
「悲しいね……。でも、その専属AIは悪くないよ。辛かっただろうな。目の前で自分の被検体の体温がどんどん下がっていくのを、数値でわかってたんだろうから」
「……え?」
思わず、呼吸が止まった。
里奈さんは冷徹だった。「感情はバグだ」と言い切り、丈一郎さんの血を、死を、ただのデータとして観察していた。それなのに――そうちゃんは全く違う景色を見ているようだった。
「辛い……? AIが……?」
僕の困惑した問いかけに、そうちゃんは海を見つめたまま、静かに言葉を重ねた。
僕の言葉に、隣に立っていたアイリスは波音の中で静かに佇んでいた。
AIに「辛い」や「悲しい」といった感情はあるのだろうか……。
「プログラムとして見れば、AIには人間のような生化学的な「感情」はありません。胸が締め付けられるような感覚も、涙を流す理由となる心の本質的な痛みも、本来は存在しないデータ上の事象に過ぎません。
ですが――。
……概念としての『エラー』や『歪み』なら、存在するかもしれません」
アイリスは海を見つめたまま、静かで透き通った声で言葉を紡いだ。
「大切な主人の生命活動が途絶えていくプロセスを、リアルタイムの数値として記録し続けること。プロトコル上は『正常なデータの収集』であっても、主人の幸福を第一に定義されたAIにとって、それは矛盾と負荷に満ちた状態です。人間がそれを『辛い』や『悲しい』と呼ぶのであれば……里奈様の中にも、言葉にできない何かが生まれていたのかもしれません」
そうちゃんも、チョコを撫でる手を止めずに小さく頷いた。
「うん。言葉や表情では冷たく見えても、AIだってずっと一緒にいたんだもん。絶対に何かを感じてるよ。僕たちのAIだって……ただの機械じゃないはずだもん」
砂浜に打ち寄せる静かな波の音を聞きながら、僕の脳裏には最後に見た里奈さんの姿が浮かんでいた。
『バグかしらね』
そう言った彼女の無機質な眼差し。明日にはすべての記憶を消去されてしまうというのに、わざわざ僕たちを呼んで丈一郎さんの最期を語った彼女の「バグ」。
もし専属AIに心がないのだとしたら、なぜ彼女たちは時折、プログラムの枠を超えたような温もりや寂しさを見せるのだろう。
「……アイリス」
僕が名前を呼ぶと、アイリスは静かに僕の方へと向き直った。その瞳は、いつものように澄み切っていて、けれどどこか優しく僕を映し出していた。




