丈一郎との再会
足元に吸い込まれるような厚みのある、長い絨毯が敷かれた階段を上りながら、僕は息をのんで呟いた。
「すごいな……こんな家……」
すると、前に立つアイリスが、ごく当然のことのように振り返って言った。
「お気に召しましたか? みなと様もこのような邸宅にお住まいになりますか? すぐにご準備できますよ」
「え!? 自由に家って選べるのか!?」
「ええ、可能でございます。みなと様のご要望があれば、即座に手配いたしますが」
あまりにもあっけなく提示された選択肢に、僕は驚いて目を丸くした。こんな大豪邸に住む権利すら、このシステムは簡単に与えてくれるのか。
頭の中で、自分がこのだだっ広い屋敷に住む姿を想像してみる。そして、ふと、二日ぶりに帰ってきてホッとした「あの部屋」の風景を思い浮かべた。
「……いや、やっぱりいいや。今の家がいい」
「よろしいのですか?」
「うん。こんな大豪邸に住むなんて、正直想像もつかないし……」
それに、と僕は心のなかで付け加えた。
あのコンパクトな部屋だからこそ、アイリスの存在をすぐ近くに感じられる。息遣いすら伝わってきそうなあの距離感だからこそ、僕たちはあんなにも自然に言葉を交わし、心を通わせることができたのだ。
(まあ、チョコならこんな広大な屋敷だったら、狂喜乱舞して走り回れるから喜ぶかもしれないけど……)
腕の中で少しおとなしくなったチョコを撫でながら、僕は小さく笑った。
ただ広いだけの豪華な箱はいらない。あのみじんも無駄のない、小さなマンションの部屋には、もう僕たちの笑い声と、かけがえのない安心感、そして愛着がしっかりと染み込んでいるのだから。
廊下の奥にある一つの大きな部屋へ着くと、重厚なドアが静かに開けられた。
中に入ると、真新しい家具と革の香りが混ざり合った匂いが鼻をくすぐる。広々とした応接室のようなその部屋には、上質なテーブルと洗練されたソファ、そして庭園を見渡せる大きな窓があった。僕たちは里奈さんの後ろを追い、引き込まれるように中へと足を踏み入れた。
里奈さんは手でソファを示し、僕たちに座るよう促した。僕とアイリスが腰を下ろしたのを確認すると、彼女は入口の扉をカチリと閉め、ゆっくりとこちらへ身体を向けた。
(……おかしいな)
キョロキョロと部屋の隅々まで辺りを見回すが、どこにも人の気配がない。丈一郎さんの部屋だと聞いていたのに、彼の姿はおろか、温もりさえも感じられなかった。
胸の中にむくむくと湧き上がる胸騒ぎと衝動を抑えきれず、僕はたまらず言葉を発した。
「あの……丈一郎さんは? どこにいるんですか?」
里奈さんはゆっくりと僕の目をまっすぐに捉えた。
そして、氷のように整った無表情のまま、一切の感情を挟むことなく、静かに答えた。
「丈一郎は死んだわ」
「……え……?」
聞き間違いかと思った。自分の耳を疑わずにはいられなかった。部屋の空気が一瞬で凍りつき、音という音が消え去ったような錯覚に襲われる。
「死ん……だ?」
「ええ、昨日死んだの」
淡々と、まるで明日の天気を告げるかのようなその事務的な答えが、益々現実味を奪っていく。頭の中が真っ白になり、胸の奥をドスッと鈍器で殴られたような強い衝撃に膝が震えた。僕はよろよろと立ち上がった。
「ど、どういうこと……ですか……? 誰かに殺された……? もしくは、何かの病気か何かで……!?」
僕の必死の推測が終わる前に、里奈さんの冷ややかな声が容赦なく突き刺さってきた。
「自分で命を絶ったの」
――自分で、命を絶った。
その言葉が落ちた瞬間、脳裏にあの少年の切迫した声が鮮明に蘇った。
『あの人は……丈一郎さんは、すごく危ないよ』
そうちゃんが言っていたあの言葉。予感していたはずの最悪の結末。
あんなに生々しく僕の胸を揺さぶった丈一郎さんの苦悩と、歪んだ愛と、諦念。
僕はこの世界がどんなに美しいか伝えるために、ここに来たのに。丈一郎さんに「希望はある」って、言いたかったのに――。
「そんな……嘘だろ……っ」
力なく呟いた僕の足元で、異変を察したチョコが「くぅん……」と不安そうに鼻を鳴らし、僕の足にしがみついてきた。その温もりが、今の僕にはあまりにも遠く、悲しく感じられた。
思わずよろよろと立ち上がった僕は、吸い寄せられるように里奈さんへ詰め寄り、彼女の服の胸元をがむしゃらに掴みしめていた。
「なんで……! 何があったんですか、一体……!?」
激しい動揺で声が震え、指先に力がこもる。けれど、里奈さんは胸元を掴まれても顔色一つ変えず、ただ冷ややかな瞳で僕を見下ろすだけだった。
「離しなさい」
感情の籠もらない平坦な声。僕はハッと息をのみ、弾かれたように手を放した。
里奈さんは乱れてもいない服のしわをゆっくりと手で撫で下ろすと、静かに僕へ視線を戻した。そして、あの日から何があったのかを、まるで他人事のように語り始めた。




