丈一郎の家
走り出してしばらくして、僕は車が向かっている方向に違和感を覚えて首をかしげた。
「あれ……? こないだ行った、あの厳重な施設には行かないのか?」
あの重苦しい警備と無機質な廊下が続いていた、あのドーム内の実験施設へ向かっているのだとばかり思っていた。
すると、助手席のアイリスが静かに振り返り、微笑みを浮かべた。
「はい。お気づきになりましたか。里奈様より、本日は丈一郎様の『ご自宅』へ来てほしいとのご連絡をいただきましたので、そちらへ向かっております」
「え!? 家!? 家に行っていいの!?」
思わず身を乗り出すと、膝の上のチョコがびっくりしたように「きゃん」と小さく鳴いた。
「はい。あちら側からの強いご希望でございます」
「えー! すごく興味ある!! 一体どんなところに住んでるんだろうな〜! 僕みたいな一般的なマンションタイプじゃない気がするし……あ! でも丈一郎さんって100年以上前に生まれた人だから、インテリアとか建て方がすごく古風だったりするのかな!?」
胸の奥から、抑えきれないワクワクがふつふつと湧き上がってくる。
コールドスリープ前の時代を知る者同士、そしてこの時代で葛藤を抱える者同士。丈一郎さんが一体どんなプライベートな空間で、どんな空気感の中で日々を過ごしているのか。
僕は期待に胸を膨らませ、車外を流れるディストピアの景色へと目を馳せた。膝の上のチョコを撫でる手にも、自然と力がこもっていた。
細い道へ入り、車は都市の喧騒から少し外れた川沿いの道を静かに進んでいく。車窓の風景が変わり、やがて一軒の大きな邸宅の前で静かに停車した。
「え! ここ!?」
思わず声をあげてしまうほどの圧倒的な存在感。
「はい、降りましょうか」
アイリスに促されて車を降りると、そこには期待を裏切らない巨大な家が構えていた。けれど、想像していたような古い木造の屋敷などではなく、周囲の最新鋭の建築にも決して引けを取らない、洗練されたモダンな邸宅だった。
僕たちが近づくと、重厚な大きな門が、ゴゴゴ……と低い音を立てて左右に滑るように開いていく。
(うわ……すごいな……)
ドクドクと速くなる自分の鼓動を落ち着かせるように、僕は腕の中のチョコをぎゅっと抱きしめた。当のチョコは「ここどこ!?」と言わんばかりにハッハッと舌を出し、目を輝かせて尻尾を激しく振っている。
アイリスと並んで門をすり抜け、どこか遠くに感じる玄関までのアプローチを歩き出した。
見渡すと、このあたりはきっと富裕層の住宅街なのだろう。周囲に立ち並ぶ家々も同じように巨大な門を構え、外から見ても分かるような三階建ての豪邸がひしめき合っている。
丈一郎さんの家の庭に目をやると、見事な日本庭園が広がっていた。完璧に整えられた芝生や苔の上に、絶妙な配置で置かれた大きな景石、静かに水面を揺らす小さな池。
職人の手が行き届いたような和の趣がある一方で、隣の区画の邸宅には広大な芝生にプールや噴水が映える西洋風の庭園が見えたりと、住人の好みに合わせて多様な美意識が組み合わされているようだ。
「すごいな……こんな世界があるんだ……」
自分の住む機能的なマンションとはまるで違う、重厚で豊かな空間。圧倒されながらも、僕はこれから扉の向こうで待っている丈一郎さんとの再会に向け、一歩一歩踏みしめるように進んでいった。
重厚な玄関に近づくと、静かに大きなドアが開き、中から里奈さんが出てきた。
前回見た時と同じ、体のラインが際立つ露出度の高い衣装を身にまとっている。
だが、何かが違っていた。
あんなにベッタリと彼女に甘え、縋りつくようだった丈一郎さんの姿が、どこにもないのだ。
僕たちが足を止めると、里奈さんは完璧に整った美貌に何の感情も浮かべず、冷徹な声で一言だけ告げた。
「丈一郎の部屋に案内するわ」
(えっ、丈一郎さんの個人の部屋に行けるんだ!)
本来なら一気にテンションが上がるところだった。けれど、氷のように冷たい里奈さんの空気感と無表情な仮面を前にすると、とてもじゃないが声を弾ませることなんてできない。気圧されるようにゴクリと唾を飲み込んだ。
「ワン!」
その重苦しい静寂を破るように、抱っこされていたチョコが元気に声をあげた。
「しっ……! チョコ、静かに!」
慌てて僕が小声で制すると、チョコは「くぅーん……」と小さく鼻を鳴らし、しゅんとした様子で首をすくめてしまった。可哀想なことをしたと思いつつも、僕は里奈さんの後について、緊張した面持ちで邸宅の奥へと足を踏み入れた。




