接触
二人が僕たちの目の前に差し掛かった瞬間、男の子がぱっと手を離し、こちらへ走ってきた。
「ママ! このお兄ちゃんが遊んでくれるんだよね!」
「ええ、そうよ」
母親の穏やかな声に背中を押され、男の子は無邪気な目で僕を見上げてくる。僕は困惑し、しどろもどろになりながら身をかがめた。
「あ、あの……ごめんね、ボク。お兄ちゃんは今日、君のお母さんとお話をしに……」
申し訳なさから、チラリと母親の顔を見上げる。
その瞬間――ゾクッと背筋に氷を突き立てられたような冷気が走った。
(……違う)
彼女の瞳だ。僕と目が合った瞬間、その黒目が1ミリのブレもなく、完璧な精度で固定されている。微動だにしない焦点。眼球の不規則な微小運動が一切存在しない。
――AI移植者特有の、あの無機質な視線。
ということは……この目の前の女性が「白AIを移植された人間」だというのか?
じゃあ……この目の前で笑い、話し、走ってきた「子ども」は……?
混乱したまま、ゆっくりと男の子へ視線を戻す。
男の子は、期待を裏切られたように眉をひそめ、今にも泣き出しそうな表情で僕を見上げていた。
「えーー! ママがお兄ちゃん遊んでくれるって言ったんだよー……?」
その声には、悲しさやダダをこねる子ども特有の「生々しい感情の揺れ」が、痛いほど詰まっていた。
僕が戸惑って立ち尽くしていると、隣からアイリスが何事もないように助け舟を出した。
「ええ、そうですよ。このお兄ちゃんが遊んでくださるんです。このお兄ちゃん、そうちゃん様と遊びたいって、ずっとおっしゃっていましたから」
「ええっ! 本当に!?」
男の子――そうちゃんの顔に、ぱっと弾けるような笑顔が咲く。
「じゃあ行こっ!!」
ギュッと握られた小さな手のぬくもり。想像以上の力で、ぐいぐいと僕の手を引っ張っていく。
「あっちで僕の友達が遊んでたんだ! お兄ちゃんも一緒に遊んでいいか、僕が聞いてあげるよ!」
「え……、あ、うん……」
引きずられるように歩きながら、頭の中でジグソーパズルのピースが組み合わさっていく。
アイリスのあの口ぶりからして――この小さな男の子こそが「被検体2」なのだ。
そして、この子はコールドスリープ前も、きっとこのような姿だった。
被検体の専属AIは、その人間が最も精神を安定させられる存在が選ばれる。あのAI移植者の女性が「母親」として配置されているのはそういうことか。
そして、丈一郎さんが吐き捨てるように言っていた『他の二人は話し相手にならない』という言葉の意味が、ひとつ理解できた。5歳児が相手なら、確かに社会やシステムの歪みについて「会話」など成り立ちようがない。
案内されたのは、そうちゃんと同じくらいの子どもたちが集まるエリアだった。そこで僕は、彼らの「おままごと」に付き合わされることになったのだが、そこで見たおもちゃの仕組みには目を見張るものがあった。
遊び場の隅に、おままごと専用の小型ロボットが設置されている。子どもが「コップが欲しい」「お皿とリンゴ!」と声をかけると、ロボットの内部で数秒のうちにおもちゃが生成されるのだ。
紙とプラスチックの中間のような、僕の時代には存在しなかった滑らかな新素材。それが瞬時に成形され、リアルな食器や食べ物の模型となって吐き出されてくる。
そして使い終わると、子どもたちはそれをロボットの回収ボックスへ放り込む。おもちゃは一瞬で分解・再原料化され、また次の子どものリクエストに応じた道具へと姿を変える仕組みだった。
「徹底して無駄を省いたエコだな……」
思わずそう呟くと、砂場でお皿を並べていたそうちゃんが、不思議そうに首を傾げて僕を見上げてきた。
「えこって、なあに?」
「え? エコ、知らないのか……? 聞いたことない? ええと、物を大切に使うとか、節約みたいなことだけど……」
「えこなんて聞いたことないよ。これは『ゼロ』だよ」
「ゼロ……?」
「うん。ゴミが何も出ないの。おもちゃだけじゃなくて、ここは『ゼロロボット』ばっかりなんだよ?」
そう言われてハッとし、あらためてドーム内を見回してみる。
僕の時代ならどこにでも溢れていた「エコ」や「ECO」という緑色のロゴマークが、どこにも見当たらない。ゴミ箱や自動販売機、遊具を管理するロボットの側面に刻まれているのは、すべて洗練された『ZERO』の文字だった。
――『ECO』ではなく、『ゼロ』へ――
新しい未来がもう動き出していた。




