丈一郎という人間
「おい、落ち着けって」
丈一郎が煽るような笑みを消し、静かな声で言った。
「俺たちは可哀想なモルモットだ。実験体なんだよ。こいつらはただ、データが欲しいだけ。俺はそれを叶えてやってるだけさ。どれくらい性欲があって、どれくらい求めてくるのか……それすら、こいつらにとっちゃただの数値データなんだよ。
俺たちは、最初から人間として扱われてない。……それくらい、お前だってうっすら気づいてんだろ?」
「っ……!」
ぐうの音も出なかった。丈一郎の言葉はあまりにも的を射ていた。
(それでも僕は……アイリスを傷つけるようなことは、したくない……)
そう思いかけたが、すぐに自分の考えの甘さに絶望する。
傷つくわけがないのだ。感情を持たないAIにとって、それは傷つく行為どころか、むしろ待ち望んでいたデータ採取のチャンスに過ぎないのだから。
僕が弱々しく黙り込むと、丈一郎はその全てを見透かしたように身を乗り出し、一気に顔を近づけてきた。
視界いっぱいに丈一郎の顔が広がる。ガシッと力強い右手で左肩を掴まれた。鍛え上げられた男の圧倒的な力に押し潰され、身体がぴくりとも動かなくなる。
恐怖からなのか、それとも抗う気力すら奪われたからなのか、僕はその場に完全に固まってしまった。
「……いいモノ見せてやるよ」
丈一郎は左手で、かけていた黒いサングラスをゆっくりと押し下げた。
その奥にあった両目を見た瞬間、僕は息を呑んだ。
そこに「眼球」と呼べるものは存在していなかった。
プラスチックかガラスで作られたような、無機質で光を反射しない人工物が嵌め込まれているだけ。黒目すら存在せず、ただ濁った白目だけが嵌っているような、異様で不気味な造形。
「目……目が……」
僕が言葉を失ったのを確認すると、丈一郎は静かにサングラスを元の位置に戻した。
だが、僕の肩を掴む右手の力は緩まない。彼はそのまま言葉を続けた。
「俺は、冷凍される前の元の体でも目が見えなかった。だから……俺の身体を忠実に再現するために、この体は『あえて』健康な眼球をえぐり取られて作られたんだよ」
背筋に、ヒヤリとした冷たい血が駆け抜ける。
「そんな……」
「残酷なことするよな、こいつらは」
丈一郎は自嘲気味に鼻で笑った。
「目が見えない人間が蘇った場合のデータが欲しいらしい。歴史を見れば、視覚がなくても偉大な業績を残した人間はたくさんいるだろ? そういう人間を将来蘇らせた時のための『臨床データ』採取さ。
……俺がこの女から離れられないのは、そういうことだよ。この女が常に、俺の代わりに視覚情報を伝えてくれてるんだ」
僕の肩を掴む手に、さらにぎゅっと力がこもる。
「……昔から目が見えねぇ分、周りに舐められたくなかったんだよ。弱みを見せないよう自分を強く見せるために、髪を金にして、肉体をこれでもかと鍛え上げた。この姿が、俺にとって一番『強い自分』でいられる鎧なんだよ」
その言葉には、ヘラヘラとした態度とは裏腹の、彼が生きてきた過酷な人生と揺るぎないプライドが滲み出ていた。
「だがな……この時代なら、視覚障害者にも光を与えられる技術があるらしい。すべてのデータを取り終えたら、ご褒美に健康な眼球を嵌め込んで、世界を見せてくれるんだとよ」
「……っ」
あまりの残酷さと異常さに、僕は言葉を失うことしかできなかった。
「……盲目なんて……大変でしたね……」
僕の口から漏れた言葉を聞いた瞬間、丈一郎は掴んでいた手をすっと離し、再びどっしりとソファへ身体を預けた。
「……大変、か……」
「え……?」
丈一郎はサングラスの奥から、静かに僕を射抜くような気配を放ちながら問いかけてきた。
「お前は、背中に羽が生えていない自分を『可哀想』だと思うか?」
突然の奇妙な問いかけに、僕は戸惑いながらたどたどしく答える。
「い……いや、あったらいいなと思うことはありますけど……可哀想とは……」
「そうだろ。俺は生まれつき目が見えないんだ。光だの影だのと言われてもピンとこないし、自分の顔すら見たことがない。『見る』という概念そのものが分からないんだよ。そして――それが俺にとっての『普通』なんだ。お前にとって、背中に羽がないのが『普通』なのと同じようにな」
丈一郎は静かに首を振り、フッと笑った。
「他人のことを『可哀想』と思うのは、あくまでもお前の物差しで測った場合に過ぎないんだよ」
自分の軽率な同情と、無意識の傲慢さを突きつけられ、僕は言葉を失った。
「……そしてな。俺はあと一ヶ月で、すべてのデータ収集が終わる予定なんだ」
丈一郎は里奈の腰を引き寄せながら、どこか遠くを見つめるようにそう呟いた。




