目的地へのルート
翌朝、昨日と同じ無機質な朝食を腹に流し込み、僕たちは用意されていた車へ乗り込んだ。
「……アイリス。今日会う人って、どんな人なんだ? 会いたいっていう連絡は、その人から直接アイリスに来たのか?」
静かな車内、前に向かって流れていく景色を見つめながら尋ねる。
「どんな方なのかは、私も存じ上げません。お会いしたこともなければ、個人情報も保持しておりませんので。我々AIには自身の担当する被検体のデータのみが与えられており、他の被検体に関する情報は共有されていないのです」
「……『被検体』って言い方、なんか冷めるな……。人間扱いされてないというか……実験室のマウスみたいで」
僕のぼやきを気にする風もなく、アイリスは淡々と説明を続ける。
「今回連絡を受けたのは、被検体3の専属AIからです。『担当する被検体が被検体4に会いたがっている』と打診を受けました」
「そっか……」
どんな奴なんだろう。
その存在を知らされてからというもの、頭から離れず、昨夜はベッドに入ってもまともに眠れなかった。微かな雨音を聞きながら、微睡んでは目が覚め、浅い眠りを繰り返すだけの夜だったのだ。
「……その人の家に行くのか?」
「いいえ。指定された対面専用の対話スペースへ向かいます。防音・防弾ガラスに加え、高度なハッキング対策が施された、セキュリティに特化した施設です。適合体同士の接触には、それだけの厳重な警戒が義務付けられておりますので」
「へぇ……大切にされてるんだな」
ぽつりと漏らした言葉に、自分で自分の心が冷え込んでいくのが分かった。
――大切にされている。
『人間』としてではなく、かけがえのない『実験体』として。
車は大通りを外れ、鬱蒼とした山道の中へと入っていった。すれ違う車も途絶え、静まり返った木々の中を進むにつれ、「本当にこんな山奥に、そんな高度なセキュリティを持つ建物があるのだろうか」と不気味な不安が募っていく。
やがて、目の前に頑丈そうな金属製のゲートが現れた。
だが見張りの姿はなく、車が近づくと微かな駆動音とともに、自動で左右へ滑らかに開いた。アイリスか、あるいは僕の身体に埋め込まれたAIチップの信号に反応したのだろう。
ゲートを通り抜け、森を切り開いたような敷地を進むと、突如として異質な高層ビルのような建物がそびえ立っていた。
車はそのまま地下駐車場へと続くスロープを下っていく。そこにも厳重なシャッターゲートがあり、車が中に滑り込むと同時に、背後で重厚な扉がガシャリと閉め切られた。
「へぇ……車ごと室内に入る感じなんだな。それほど厳重にされてるってことか……」
暗い地下空間でぼんやりとそう呟くと、隣のアイリスがどこか不思議そうな顔で僕を見つめてきた。
「二十年前は、お車を屋外に放置するのが一般的でしたね。外に野晒しにしていて、盗難や雨風による劣化などの恐怖は感じられなかったのですか? しかも、各家庭が一家に一台ずつ車両を所有し、スペースを占有していたなど……現代の基準では非常に非効率です。現在は全車が自動運転で勝手に管理拠点へ帰還いたしますので、個人で駐車場を保持する必要すらございません」
「……まあ、当時は外の駐車場に置くのが普通だったからね」
「気候の脅威といい、設備の不便さといい……本当に大変な時代をお過ごしになられたのですね」
アイリスの言葉には、皮肉も悪気も一切ない。心からの純粋な「同情」だった。
……けれど、その悪意のない優しさが、かえって僕の胸の奥を重く冷たく締め付ける。
自分たちが生きて、笑って、泥臭く暮らしていたあの時代が、現代の物差しでは「哀れむべき不便な過去」として片付けられていく虚しさに、僕は静かに息を吐くことしかできなかった。
アイリスと共に車から降りると、地下駐車場の静寂の中に僕たちの足音が響いた。彼女は迷う素振りを一切見せず、一直線に奥のエレベーターホールへと歩いていく。置いていかれないよう、僕は必死でその後ろ姿を追った。
金属音とともにドアが開き、エレベーターへ乗り込む。パネルのボタンを迷いなく操作するアイリスの背中に、僕はふとした疑問を投げかけた。
「……アイリスはここに来たこと、ないんだよな? なんで迷わないで進めるんだ?」
アイリスは前を向いたまま、上昇していく階数表示のデジタル数字を見つめて答えた。
「被検体3の専属AIより、本施設内の詳細な配置図および目的地までの最短ルートが事前に送信されておりますので」
「……ほんとに便利な時代なんだな」
GPSや広域ネットワークが存在するのは当たり前。それを辿って最適解を出力すれば、この世界で「道に迷う」という概念そのものが消滅する。
(……ああ、そうか)
アイリスに少し尋ねただけで、その先の仕組みや理由を自然と予測できるようになっている自分に気づく。ほんの二日前までは、目に入るもの全てに戸惑い、恐怖すら覚えていたのに。
僕は僕が思っているよりもずっと早く、この冷たく完璧な未来社会に、静かに毒されるように馴染み始めてしまっているのだった。




