新たな生活
――ハッとあることに気づき、僕はがばっと跳ね起きた。
そのままベッドを飛び出し、足早にリビングへ向かったが、アイリスの姿はない。僕は廊下の奥にあるアイリスの部屋のドアを、勢いよく叩いた。
すぐ室内から「はい」と鈴を転がすような返気が聞こえ、スライドドアが静かに開いた。
「どうされましたか? みなと様」
「僕、この二日間シャワーも浴びてないし、着替えもしてないんだけど!!」
腕を大きく広げ、目覚めた時から着っぱなしの白いワンピース状の衣服をアイリスに見せつける。
「ああ、お気づきになりましたか。お使いになるのでしたら、玄関の横にシャワー室と着替えのご用意がございますのでどうぞ」
「え、待って……その言い方、入らないなら入らないで別にいいって聞こえるんだけど」
「はい。わざわざお体を水で濡らし、それを拭いて乾かすなどという非効率で無駄な作業は、現代では好まれておりません。このお部屋の空気循環システム、およびその衣服には自浄作用が備わっております。汗や皮脂の汚れを常時分解・浄化するため、肉体的な不快感は生じない仕様となっております」
言われてみれば、今日50度近い猛暑の外に出て汗をかいたはずなのに、ベタつきもなければ服が肌に貼り付く感覚も一切なかった。恐ろしいほどずっと快適だったのだ。だからこそ、二日目にしてようやくこの異変に気づいたのだった。
「ああ……そうなんだ……。でも、なんていうか……気持ち悪いから入るよ」
「そうですか? 匂いも一切いたしませんし、髪の毛一本に至るまで完全に清潔な状態に保たれておりますが」
「あー……そう? いや、臭いと言われるよりは嬉しいけどさ……なんというか、精神的に……気持ち悪いんだよね……」
「さようでございますか。それではどうぞ」
アイリスに案内されてシャワー室に入ると、そこは本当に「ただ水を浴びるためだけの極小スペース」だった。浴槽なんてものは存在しない。
この時代に来てつくづく思う。人間が「必要だ」と判断した利便性や効率はどこまでも過剰に発展しているのに、AIによって「無駄だ」と削ぎ落とされたものは、二十年前よりも退化しているかのように存在感を失っている。
そこにはあまりにも極端な差があった。技術の進化の差――そして、人間にとっての「真価」の差が。
脱衣所に用意されていた服は、案の定、最初に着せられていたものと全く同じ白いワンピースタイプだった。横に置かれたタオルも、完璧な無菌を感じさせる白一色だ。
(……次は違う色の服か、せめてズボンタイプにしてもらおうかな……)
髪を拭きながら、鏡に映る味気ない自分の姿を見つめる。
いや待てよ、そんな服を着たら周りの人間から浮いてしまうだろうか……? でも、今日見かけた実家のおふくろや、妹の結月の子どもたちは、昔と変わらないデザインの普通の服を着ていたはずだ。
(……あの白ワンピースは、『AI適合体』としての制服みたいなものなのかな……)
そんなことをあれこれ考えながら脱衣所のドアを開けると、目の前にアイリスが微動だにせず立っていて、僕は思わず「うわっ!?」と声を上げて跳ね上がった。
「えっ!? ずっとそこにいたのか!? シャワーくらい大丈夫だよ、そんな見張らなくても……」
(どうせ、この身体じゃ逃げ出すこともできないんだし……)と言いかけて、慌てて言葉を呑み込んだ。余計な刺激は与えない方がいい。
「いいえ。早急にお伝えしなければならない事態が発生いたしましたので、ここでお待ちしておりました」
「え? なに……?」
アイリスの顔は、相変わらず感情の読み取れない温度のない表情だ。けれど、今の僕にはその無表情さすら、何か重大な不吉を孕んでいるように思えて恐ろしかった。
「明日予定しておりました海への移動ですが、延期していただくことになります」
「えっ……。まあ、延期はいいけど……なんで?」
「『被検体3』が、みなと様にお会いしたいと連絡を寄越してまいりました」
「え……!? 僕に……!?」
『被検体3』――。
その言葉を聞いた瞬間、脳裏に雷が落ちたような衝撃が走った。
そうだ……僕は「4人目」だったんだ。
僕より先に目覚め、この狂った未来の社会に適応させられた人間が、僕の前にあと三人いる。そんな当然のことすら、自分のことで手一杯だった今の僕の頭からは、完全に抜け落ちていたのだった。




