未来予想図と現実
行きの時とは違う車が、目の前に音もなく滑らかに到着した。僕とアイリスは、互いに無言のまま後部座席へと乗り込む。
車内には、朝と同じように静かで優しいヒーリングミュージックが流れていた。
僕は思考を麻痺させるように頭を空っぽにし、窓の外へと流れていく整然とした街並みや、行き交う無機質な車群をぼんやりと眺めていた。
「二十年経っても……やっぱり『空飛ぶクルマ』なんて、実現しないんだな……」
ぽつりと漏らした呟きに、隣のアイリスが静かに反応した。
「実用化はされておりますよ? ですが……おそらく、みなと様のイメージされているものとは異なると存じます」
「……? どういうこと?」
「みなと様が想像されるのは、このような乗用車に翼が生えて空を飛ぶ姿かと思いますが、実際の『空飛ぶクルマ』は、小型飛行機がそのまま道路を走行できるような形状をしております。大きさも一般的な普通自動車と同等です」
「えっ……? それが本当にあるのか? 現実に」
「はい。すでに何年も前に開発され、実際に市場へ投入されました。……ですが、操縦には自動車の運転免許だけでなく航空機の操縦ライセンスが必要となります。さらに、離着陸や飛行の際には中央交通局をはじめとする多方面への申請が義務付けられております。そして何より――」
アイリスは一度言葉を切り、透き通った瞳で僕を見つめた。
「航空機やヘリコプターと同様、上空からの墜落事故が発生した際の生存率は極めて低く、初期の運用段階で痛ましい死亡事故が頻発いたしました。そのため、現在では法規制が厳格化され、一般での実用はほぼ途絶えております」
「……なんか、思ってたイメージと全然違うな……」
「開発初期にそれをご覧になった昔の方々も、皆様口を揃えてそうおっしゃっていたそうです」
たわいもない会話。
AI特有の淡々とした知識の開示に耳を傾けていると、胸をかき乱していたさっきの光景――仏壇の前で肩を震わせていたおふくろの背中のショックが、ほんの少しだけ和らいでいくような気がした。
「他に行かれたい場所はございますか? お時間的には、昼食などはいかがでしょうか?」
「……そうだな……。じゃあ、未来のファストフード店がどう変わっているのか、見てみたい」
僕の言葉に、アイリスは一瞬だけ瞳を細め、手元のアラートで目的地を修正した。
「承知いたしました。みなと様のお体の状態やカロリー計算にも適した、最寄りのファストフード施設へご案内いたします」
数分、車を走らせ到着したのは、白と銀を基調とした、まるで調剤薬局か清潔な研究所のような建物だった。かつて僕が知っていた、黄色や赤の賑やかな看板や、香ばしい肉の匂いで充満した店内の熱気、店員の「いらっしゃいませ!」という明るい声は、ここには一切存在しない。
ガラス張りの自動ドアをくぐると、店内は静かで機械音だけがBGMのように流れ、数台の無機質なタッチパネル端末が整然と並んでいた。
……だが、店内を見渡しても、他の客の姿はどこにも見当たらなかった。静まり返ったフロアには、僕とアイリスの二人きりだ。
「ここ……全然、客がいないけど……?」
疑問に思い尋ねると、アイリスは平然とした様子で答えた。
「現在は、ドローンによる自宅への自動宅配サービスが主流となっております。わざわざ店舗へ足を運ぶのは、決済に必要なAIチップを導入していない極めて一部の人間くらいですので……実質的に、店舗に客が訪れることはほぼありません」
そう言ってアイリスが店の奥へ目をやると、カウンターの向こう側で小型のドローンがウィーンと羽音を立て、出来上がった商品を整然と抱えて次々と窓の外へ飛び立っていくのが見えた。配達すらも完全に無人化されているのだ。
「注文はあちらの端末、あるいは私の端末からの同期で行います。みなと様、画面の前にお立ちください」
端末の前に立つと、青いスキャン光が僕の顔と胸元を撫でた。
『生体認証完了。AI適応体。本日のバイタルデータに基づき、塩分・脂質を最適化したおすすめメニューを表示します』
機械的な音声とともに、液晶画面に立体的なハンバーガーの映像が浮かび上がる。
「えっ……レジ打ちの店員さんはいないのか? スマイルゼロ円とかさ……お金も払わなくていいのか?」
「はい。決済はすべて体内のAIチップを通じて自動で処理されますので、現金のやり取りも不要です。また、人間の店員は十八年前に完全に廃止されました。衛生面の観点や人件費削減、何より調理精度の均一化のためです」
メニューを見ると、かつて僕が大好きだった「ダブルチーズバーガー」や「照り焼きバーガー」といった名前はない。代わりに並んでいるのは、『高タンパク・低糖質合成パティバーガー』や『微量栄養素補給セット』といった無機質な商品名ばかりだ。
アイリスが端末を操作し、「みなと様が昔召し上がっていた味付けに一番近い再現メニュー」を注文してくれた。
数十秒後、壁の受取口がスライドし、金属製のトレーに乗せられたセットが押し出されてきた。誰もいない広々としたテーブル席に腰を下ろす。
目の前に置かれたハンバーガーは、見た目こそ完璧だ。バンズの焼き色も、レタスの鮮やかさも、まるでカタログの写真から飛び出してきたかのように寸分の狂いもなく整っている。……整いすぎていて、どこか人工物の模型のようにすら見えた。
「こちらのパティは、環境負荷を考慮し、細胞培養肉と大豆タンパクを最適な黄金比で配合した最新の品です。栄養価は二十年前の本物の牛肉を遥かに上回ります。さあ、温かいうちにどうぞ」
アイリスに促され、僕は一口、ハンバーガーに噛みついた。香ばしいソースの味、肉汁のようなジュワッとした旨味、ふんわりとしたバンズの食感。
……完璧だった。味付けは間違いなく美味しく、文句のつけようがない。
けれど――なぜだろう。
誰一人いない無菌室のような店内。客が来ないことが前提にあるためか、BGMも一切流れていない。そのせいか、奥からドローンが飛び立っていく音がやけに大きく聞こえてくる。それを聞きながら食べるハンバーガーは、どこか冷たく、砂を噛んでいるような味気なさを僕に残した。
昔、放課後に友達とバカ話を引きずりながら食べた、あの少しつぶれた甘辛いテリヤキバーガーの「温かさ」は、この未来のどこを探しても見当たらないのだった。




