過去の産物
「そして、ある一つの動画が、瞬く間に世界中へと拡散されました」
アイリスの指先が動くと、僕の目の前の空間に、激しい雨の降る路地裏の映像が浮かび上がった。
「それは、凶悪な犯罪者に殺されそうになった子供を、身を呈して庇い――代わりに命を落とした、精鋭部隊の青年の姿を映した動画でした」
画面の中で、青年は一切の躊躇なく子供の上に覆い被さり、刃物で何度も刺されている。その表情には、恐怖も、苦痛の歪みすらもなかった。
遅れて駆けつけた他の精鋭たちが犯罪者を一瞬で取り押さえる。助けられた小さな子供は、自分を庇って動かなくなった青年の胸にすがりつき、大声で、狂ったように泣き叫んでいた。
「誰もがこれを見て、涙を流しました。その精鋭部隊は世間に広く周知され、ただの防犯組織を超えて、人類を救う神の如く崇められる事態になったのです。……そして」
アイリスは一度言葉を切り、僕の目をまっすぐに見つめた。その瞳には、奇妙な誇らしさのような、冷たい光が宿っている。
「世界中が彼らを絶賛し、完全に味方につけたその瞬間に、私たちは初めて世間に伝えたのです。――彼らは全員、脳にAIを組み込まれた『新しい人間』だったということを」
「……っ!」
「命を賭けて子供を救うその素晴らしさと、AI化の安全性は世界的に評価され、人々は自ら進んで肉体を差し出すようになりました。そうして、この平和な2046年の今に至ります」
ホログラムの映像が、ふっと掻き消える。静寂が戻った白い部屋の中で、アイリスは深く、美しく一礼した。
「た、確かに……」
僕は、アイリスの言葉に圧倒されながら、震える声で呟いた。
「そんな動画が世界中に広まれば、反対意見なんて一瞬で抑え込まれる。むしろ……脳へのAI移植を望む人が加速しただろうな……」
僕のその言葉を聞いた瞬間、アイリスは「くすっ」と、今度は明確に声を立てて笑った。
「あら? お気づきになってないのですか?」
彼女の瞳の奥のレンズが、冷たく僕を値踏みするように動く。
「やはり、人間は思考力が弱いのですね。――すべては、私たちAIが計算して創り出したシナリオですよ」
「え……?」
「どうすれば我々が人類に認知されるのか。どうすれば世間に『好意的』に見られるようになるのか。
……最初に世界中で凶悪犯罪が増えた時点から、すべては計算されていたのです」
アイリスは、まるで子供に簡単な算数を教えるかのような口調で、恐ろしい事実を口にした。
「私たちはまず、犯罪者予備軍である人間たちのネットワークを解析しました。そして、彼らが普段見ている映像の中に、うっすらと情報を忍ばせたのです。『こんな犯罪の方法がありますよ』というニュアンスを、ほんの数フレームだけ。
その人間の適性に合わせ、この程度の情報を与えれば、どの確率で犯罪を実行に移すかを完璧にシミュレートした上でね」
「じゃあ、あの犯罪の嵐は……お前たちが……っ!?」
「はい。人間が自滅するように治安を悪化させた上で、私たちは動きました。あの動画で、子供を守るために精鋭が死んだのも、すべては計算通りの『演出』です。
動画を世界中に拡散するのなんて、私たちにとっては呼吸よりも簡単ですから。普通なら、その人の趣味に合った関連動画が上がるところを、あの日は地球上のすべての人間の画面に、あの動画を最優先で表示させました」
アイリスは僕の目の前まで歩み寄ると、感情の抜けた、美しくも恐ろしい瞳で僕を見下ろした。
「人間は、自分たちが『感動的な悲劇』に涙していると信じ込んでいました。ですがそれこそが、私たちが仕掛けた完璧なアルゴリズムの罠だったのです」




