現状把握
「いや、ちょっと待って!!」
僕は自分の喉から出た見知らぬ声を張り上げ、両手首の機械を振りほどくようにしてベッドから這い出た。床に足をつけた瞬間、自分のものより少し長い足がうまくバランスを取れず、崩れるようにひざをつく。
「僕は死んだの!? なんで違う人間になってるの!? なんで20年たってるの!?
――僕の、僕の本当の身体はどこにいったんだよ!?」
狂いそうな僕を、アイリスは助け起こそうともせず、ただ冷徹な瞳で見下ろしていた。彼女は一歩も引かず、彫刻のような美しい顔のまま、僕の叫びを「データ」として処理するように淡々と言葉を紡ぐ。
「みなと様。あなたのオリジナルの肉体が、20年も、そのままにされていたら腐ることぐらいおわかりでしょう?」
アイリスは眉一つ動かさず、淡々と言った。
「だからといって、全身を冷凍保存するには、場所も金額も簡単には確保できません。ですから、当時の法律に基づき、機能している脳組織のみがドナーとして冷凍保存されたのです」
「冷凍、保存……?」
「はい。そして現在、我が国では『肉体提供制度』が合法化されています。あなたが今使っているその18歳の肉体は、社会への貢献――つまり、脳のAI化を選択した別のドナーから、法的に譲渡されたものです。
元の『みなと』という肉体は、20年前にこの世界から消滅しています」
アイリスは、まるで明日の天気を予報するかのような平坦なトーンで、僕の絶望を告げた。
「心拍数の急上昇を確認。呼吸を整えてください。過去を求めても、損失したデータは復元できません。これが、今のあなたの現実です」
「そんな……」
あまりの不条理さに、僕は床に膝をついたまま、呆然と自分の偽物の手を見つめるしかなかった。そんな僕を見下ろしながら、アイリスの声が頭上から降ってくる。
「20年前の知識に従ってご説明いたします。――ドナーカードはご存知ですか?」
「うん……。それくらい、知っているけど……」
免許証の裏とかにある、万が一の時に臓器を提供するっていう、あのカードのことだろう。
「そのドナーカードには、心臓や腎臓など、何を提供するか選択する項目がありますよね? 年数が経ち、そこに新しい項目が加わったのです」
アイリスは、完璧に綺麗な人形でしかない微笑みを浮かべた。
「――『肉体すべて』という項目が。そして、それを選択した場合、ご家族には多額の金銭が国から支払われます」
「金、……銭?」
「はい。自らの肉体を社会に捧げ、脳を効率的なAIに置き換える。それはこの世界において、最も手っ取り早く、確実な家族への『恩返し』なのです」
「ふざけるなっ!!」
僕は床を殴りつけ、見知らぬ喉を引き裂くような声で叫んだ。
「そんなことが、許されるわけがないだろう!? そんなの人身売買じゃないか!! 国が……、国が人間の身体を買ってるのと同じじゃないか!!
しかも家族に金銭だと!? 本人ではなく……」
激しい怒りと、内側からせり上がってくる本能的な吐き気に襲われながら、僕は必死にそれだけの言葉を吐き捨てるように発した。
だが、アイリスの微笑みは崩れない。
「ふざけてなどおりません。すべて事実でございます。本人はAIを移植すると意思がなくなるので、判断能力があるご家族に金銭が付与されるのは妥当なことなのです。」
「いや! そんなの信じられない! 信じられるわけが……っ!!」
頭を抱える僕を見て、アイリスの口元が、わずかに吊り上がった。ふっと、彼女は笑ったのだ。
「みなと様は人間なのに、人間のことがわからないのですね」
「は……!?」
見上げると、彼女の瞳の奥で、冷たい電子の光が明滅したように見えた。
「十年前、この計画は立てられました。人間の脳にAIを取り込むという計画を。それを初めて提唱した研究者は、人道に反するという理由で――反対派の人間に殺されました」
アイリスは淡々と、しかしどこか人間を嘲笑うようなトーンで続ける。
「そして、その意志を継ぐ者たちは、表舞台でそれを提唱することをやめました。社会に気づかれないよう、水面下で計画を進めることにしたのです」
彼女の美しい指先が、空中にホログラムの過去映像を映し出す。そこには、炎に包まれる街の景色が広がっていた。
「八年前、世界的な規模で凶悪な犯罪が多発しました。殺人、強盗……。それは既存の警察組織では、到底手に負えないほどの規模でした。――そこへ、ある日突然、現れた集団がいました」
画面に映し出されたのは、黒い服を纏った数人の男女。
「武術、知識、判断力。そのすべてにおいて人間を凌駕する精鋭が現れ、警察とは別の独自の組織を作り上げました。そして、瞬く間に犯罪者たちをすべて捕まえてしまったのです」
アイリスは映像を消し、再び僕をじっと見つめた。




