目覚め〜20年の時を超えて〜
目を閉じる直前、視界に焼きついていたのは、父さんと、母さんと、妹の泣き顔だった。
最後に覚えているのは、誰かの温かい手のぬくもり。
最後に嗅いだ、あの胸が熱くなるような香りは……なんだっけ。どうしても思い出せない。
けれど、その記憶の残骸に触れた瞬間、胸の奥がぎゅっと熱くなった。一筋の涙が目尻から溢れ、不自然な角度でこぼれ落ちて、冷たく耳の穴へと当たった。
その冷たさで、僕の意識は急激に浮上する。
ゆっくりと、目を開ける。なにかが、決定的に違っていた。身体の感覚が、自分のものじゃないみたいに奇妙だ。なのに、頭の中だけは妙にすっきりと冴え渡っている。背中に伝わるのは、パリッとしたシーツのさらさらした感触。
自分がベッドの上に寝かされていることだけは分かった。ただ、両手首に重みがある。見ると、何か機械的なバンドのようなものがきつく巻かれていた。
ここは、どこだ……?
目を閉じる前の病室に似ているようで全然違う。
キョロキョロと周りを見回そうとして、視界が透明な障壁に遮られていることに気づく。プラスチックか、あるいは強化ガラスか。
僕はまるで、SF映画に出てくるような密閉されたカプセルの中に閉じ込められていた。パニックになりかけた瞬間、さらなる異変が僕を襲う。
……口の中が、おかしい。
気持ち悪い。喉が渇いて水分が足りないとか、そういう単純な話じゃなかった。歯の並び、舌の厚み、顎の噛み合わせ――そのすべてが、僕の記憶にある『僕の口』と、全く違っている。
「――っ」
慌てて身体を起こそうとした。けれど、長いこと眠っていたせいか、鉛のように身体が重い。それに、このまま無理に起き上がれば、目の前を囲むプラスチックの天井に激しく頭をぶつける。そう本能が告げていた。
身動きが取れない僕の視界。その透明な壁の向こう側に、ぼんやりと、誰かの人影が近づいてくるのが見えた――。
プシュー――。
排気音のような、低い機械音が鼓膜を震わせる。同時に、目の前を塞いでいたプラスチックの天井が、滑らかにスライドして開いていった。流れ込んできた空気は、どこか無機質な消毒液の匂いがした。
さっきまで僕の心を熱くしていた、あの温かい家族の香りは、どこにもない。
「……生体反応、安定。脳波、正常値。覚醒を確認しました」
上から僕を覗き込んできたのは、息をのむほど整った顔立ちの少女だった。
年齢は僕と同じ、18歳くらい。さらりとした艶のある黒髪に、大きな瞳。だが、その目は僕の黒目の中心を、1ミリのブレもなくじっと見つめていた。まるで、高性能なカメラのレンズを向けられているような、奇妙な圧迫感。
「お、あ……」
声を出そうとして、自分の喉から出た『低くて、聞き覚えのないガラガラした声』に、僕は息を呑む。自分の声じゃない。手首を縛る機械のせいで、逃げることもできない。
「無理に話さなくて結構です、みなと様」
少女は完璧な、しかしどこか絵に描いたような美しすぎる笑顔を浮かべた。その微笑みには、人間特有の「照れ」や「戸惑い」といった雑音が一切混ざっていない。
「20年間の冷凍保存から目覚めたばかりですから、脳と肉体の同調に、まだズレが生じているのです」
「にじゅ、……ねん?」
動かない他人の舌を、必死に動かす。少女は機械的に静かに一礼した。
「はい。現在は西暦2046年。私はあなたをサポートするために配置された、案内AIのアイリスです」
僕は手首のバンドを外してもらい、震える手で、恐る恐る自分の顔を触る。
あごのラインが違う。鼻の高さも……僕じゃない。
カプセルのガラスに薄く映り込んでいたのは、見慣れた僕の顔ではなかった。そこにいたのは、僕と同じ18歳くらいの、まったく見知らない同世代の男の子の顔だった。
「驚かれるのも無理はありません。ですが、それがこれからの『あなた』です。みなと様」
アイリスは、完璧にコントロールされた美しい声で言った。自分の心だけが20年前のままで、身体も、目の前の少女も、世界も、すべてが僕の知らないものにすり替わっている。
「さあ、行きましょう。新しい世界が、あなたを待っています」
こうして僕は、他人の身体のまま、2046年の未来へと一歩を踏み出すことになったんだ――。




