永遠
「……お前は、いつまで僕のそばにいてくれるんだ?」
部屋の明かりを落とした薄暗いリビングで、僕はポツリと呟いた。
アイリスは暗がりの中でも変わらない声のトーンで、淡々と応じる。
「予定では、検証に必要なデータが一通り揃うまでとなっております。被験者様の個体差により適応速度が異なりますので、現段階で具体的な期日をお伝えすることは困難です」
「……そっか」
いつかは消えてしまう存在。データを取り終えれば立ち去る観察者。分かっていたはずなのに、思わず落胆が声に混じってしまう。
「ですが――」
アイリスが言葉を繋いだ。
「――みなと様が望むのであれば、永遠です」
「……は? 永遠……?」
思わず「ハハッ」と小さく乾いた笑いが漏れた。
何を突拍子もないことを言っているんだ。アイリスの気遣い……なわけはないか。AIにそんな感情はないはずだ。
「さすがに『永遠』はないだろ。どれだけ科学が進歩したって、生身の身体は老いるし、いつかは命だって尽きるんだから」
だが、アイリスはクスリとも笑わなかった。冗談を言ったつもりなど微塵もないのだろう。無機質でどこまでも真剣な眼差しが僕を射抜く。
「いいえ、永遠は可能です。私たちは元々、脳細胞とAI端末で構成されたシステムに過ぎません。宿主となる生体アセットが老朽化し、物理的な寿命を迎えたならば――また新しい肉体へシステムを切り替えればよいのです。それを繰り返すことで、言葉通り、私は永遠にみなと様の傍で過ごすことができます」
服を着替えるかのような、あまりにも軽く、そしてあまりに異常な『肉体の交換』の提示。
予想外のスケールの大きさと非人間的な発想に、現実感がスーッと遠のいていく。
……だが、そんな狂気的な提案に対して。
「誰か別の人間が肉体を奪われる」という残酷な犠牲の上に成り立つシステムだと分かっているはずなのに、僕の胸の奥に、どこか歪んだ安堵が生まれてしまったのは間違いなかった。
僕の心がどれほど激しく揺さぶられているかも知らず、アイリスはケロッとした顔で平然と言葉を発した。
「お腹が空かれたでしょう? 私のこの身体も空腹の数値が高まっておりますので、食事を摂取しなければなりません。何かお作りしますね」
僕の返事を待つこともなく、アイリスは手首に装着された腕時計のような端末を軽く操作した。すると、空中に光のラインが走り、タブレットほどの大きさのホログラム画面が浮かび上がる。指先で手際よく操作を終えると、画面はすっと消えた。
アイリスはキッチンへ向かうと、慣れた手つきで鍋や包丁、まな板を準備し始める。僕はとりあえずその背中を見つめながら、リビングの椅子へゆっくりと腰を下ろした。
しかし、彼女の様子を観察していて、はたと気づく。
……食材がない?
先ほどちらりと見えた冷蔵庫の中身は、空っぽだった。アイリスは調理器具こそ揃えているものの、肝心の材料をどこからも取り出していない。
不思議に思って視線を追うと、アイリスがふと窓の外へ目を向けた。引き寄せられるように、僕も同じ方向を見つめる。
ガラス窓の向こう――ベランダに、一台のドローンがライトを点滅させながら、静かに滞空していた。アームの先には、小さなプラスチックケースがぶら下がっている。
アイリスは迷いのない足取りでベランダのサッシを開け、ドローンからケースを受け取って部屋の中へ戻ってきた。役目を終えたドローンは、どこか満足げに(機械に感情などないはずだが、僕にはそう見えた)夜空の奥へと去っていく。
「アイリス……これって……?」
僕が問いかけるより早く、彼女は全てを察していたかのように滑らかな口調で語り始めた。
「現在、日常的な買い物の多くはネットワーク経由で完結いたします。このように注文から数分で食材が届きますので、わざわざ店舗へ足を出向く必要も、移動時間というコストを無駄にすることもありません」
そこで、ハッとした。
記憶の霧が晴れるように、脳裏にこの場所の過去が重なる。
そうだ……今、僕たちがいるこの場所は、かつてこの地域で一番賑わっていた大型ショッピングセンターがあった場所だ。
一階には活気にあふれた食品売り場、二階には最新の服や雑貨が並び、三階にはゲームセンターや玩具売り場、そして家族でよく利用したレストラン街があった。
子供の頃から大好きだった場所。家族で数え切れないほど訪れ、買い物をして、一度迷子になって大泣きした場所。見つかった時、怒られると思ったら、母さんが涙を流しながら僕を強く抱きしめてくれた――僕の思い出が、温もりとともにたくさん詰まっていた場所だ。
それが、ネット通販の普及によって人間が足を運ばなくなり、打ち捨てられ、今やマンションという名の「墓場」に姿を変えてしまった。
思わず胸が締め付けられる。自分の愛した記憶や思い出すべてが、ただの儚い妄想に思えてきて、眩暈がした。
ぼんやりと、完成したばかりの室内を見回す。
間取りや家具の配置、カーテンの色まで確かに「我が家」を模している。だが、目を凝らすと細部が決定的に違っていた。
電子レンジや冷蔵庫といった電化製品は、ボタンもツマミもない、銀色に光るシームレスな金属の塊だ。カーテンの生地も、触れずとも分かる硬質で人工的な質感を放っている。
部屋中の家具から曲線や無駄な装飾が削ぎ落とされ、のっぺりとした無機質なデザインで統一されている。人間が手で「操作する」という行為そのものが、この時代では不要になっているのだ。
実家のぬくもりを真似ただけの、冷たい銀色の箱。
その中にぽつんと取り残されている自分を感じて、僕は背筋に冷たいものを覚えた。




