居住地
チン――。
静寂を切り裂くように無機質な電子音が響き、エレベーターの扉が滑らかに開いた。
静まり返った内廊下に降り立つ。左右を見渡すと、味気ないデザインのドアが等間隔でずらりと並んでいた。外観も廊下の作りも、僕がかつて暮らしていた時代の一般的なマンションと何ら変わり映えしない。
アイリスはある一つの部屋の前で足を止めると、鍵を取り出す様子もなく、そのままドアノブへと手を伸ばした。
カチャリ、と短い解錠音がして、すうっと扉が開く。違和感を覚えてドアを注視すると、そこには鍵穴はおろか、カードキーや暗証番号をかざすようなセンサー端末すら一切取り付けられていなかった。
部屋の中へ踏み込もうとするアイリスの背中に、思わず声を張り上げる。
「待てよ、アイリス! 日が落ちたら治安が悪いって言ってたろ!? なのに鍵もなくて大丈夫なのか!?」
アイリスは足を止め、機械的な動作でゆっくりと振り返った。
「このマンションは、AIチップを埋め込まれた人間専用の居住エリアです。管理サーバーが登録された居住者のチップ固有IDを常時感知し、自動で玄関や個室の解錠を行っております。
私にはチップの代用品が内蔵されておりますので、一般市民と同様アクセスが許可されているのです」
「……じゃあ、僕は? 僕も自由に出入りできるんだろ!?」
「いいえ、みなと様単独での出入りは不可能です。あなたのお身体にはAIチップが埋め込まれておりませんので。私が同行している場合に限り、ドアは開放されます」
「は!? じゃあ僕には外出の自由すらないってことかよ!?」
僕の激昂に対しても、アイリスの表情はピクリとも動かない。
「自由です。お好きな場所へ出かけ、お好きな行動をとっていただいて全く問題ございません。――ただ、私は臨床データの収集のため、二十四時間常にみなと様の傍に同行させていただきます」
「見張られてるなんて……ゆっくり過ごせるわけないだろ!」
怒りを込めて吐き捨てるように訴えたが、アイリスは一寄りの眉すら動かさない。僕の拒絶を環境音の一つ程度にしか処理していない様子で、玄関で静かに靴を揃えるとスーッと奥へ上がっていった。
彼女は廊下に並ぶ三つの扉のうち、手前のドアノブに手をかける。
「こちらの部屋をみなと様の居住空間として割り当てております」
アイリスの背後から、恐る恐る中を覗き込んだ。
壁際に寄せられたシングルベッド。シンプルな木製の机と椅子。差し込む月光を拾う真っ新な窓ガラス。
――殺風景ではあるが、驚くほどかつての「自分の部屋」と寸分違わぬレイアウトだった。
漂ってくる新調された家具の木香とファブリックの匂い。本来なら異物感しかないはずのその空間に、どこか歪な懐かしさを覚えて息が少し軽くなる。
「なんだよ……もっとピカピカした未来的な部屋かと期待したよ」
僕が斜に構えて皮肉を口にすると、アイリスは静かに振り返った。
「みなと様の精神的負担を軽減し、早期の環境適応を促すため、二十年前の居住データを元に再現いたしました」
「あ、そう……」
思わず言葉が詰まる。そこまで計算し尽くされているのか。憎たらしいが、この絶望的な状況下において、この再現度が少しだけ救いになってしまっている自分が悔しかった。
「そして――こちらが私の部屋となります」
隣の扉が静かに開く。そこは窓と無機質なベッドフレームだけがぽつんと置かれた、あまりに狭く殺風景な空間だった。
「え……これだけ? 何もないじゃないか」
「はい。私は基本的にみなと様の傍で観察を行いますので、個室の設備は最低限で問題ありません。ただし、生体パーツのメンテナンスおよび疲労回復のための睡眠は必要となります。
……もっとも、みなと様さえよろしければ、同じベッドで就寝するのが最も効率的ですが。睡眠時における精神波動や生体データの取得が容易になりますので」
「は!? そんなことできるわけないだろ!?」
思わず声を裏返して退いた。
いやいやいや、そんな状態で落ち着いて眠れるわけがないし、そもそも年頃の女の子と同じベッドなんて、僕の理性がもつはずがない――。
混乱する僕をよそに、アイリスは至極当然といった顔で淡々と追撃をかましてくる。
「性行為を行っていただいても問題ございません。その際の心拍変化およびホルモン分泌のデータも、非常に価値の高い検証結果となります」
「はぁ!? そ、そそ、そんなの……!! ど、堂々と何を宣言してんだよ……っ!?」
顔が一気に熱くなり、舌が上手く回らない。
「あらゆる極限状態におけるデータの取得が私たちの命題です。今後、脳移植を施された重要人物が、いかにして精神の安定を保ち、環境に順応していくのか……そのガイドラインを作成するためには――」
「もういい! データデータって、うるさいんだよ!!」
真っ赤になった顔を隠すように叫び、僕は自分の部屋のドアを勢いよく叩きつけた。




