世界の危機②
翌日、朝から彩先生は出かけていた。大宮付近のバレエ教室をかたっぱしから見学に行っているのだ。かすみとレイちゃんは、買い物に出かけ、俺は一人で留守番することになった。ベビーを残して出かけるとは、これは虐待である。などと訴えたら、彩先生に本当に虐待されそうだから黙っていた。もちろん、分身仏を護衛につけている。
お昼の時間を少し過ぎた頃、異変が起きた。かすみの叫ぶ声が聞こえた。そして、それと同時に分身仏の気配が消えた。何かあったのだ。かすみが呼んでいる。緊急事態だ。俺はヒロの体に戻り、瞬間移動した。
場所は、国道沿いの歩道。人だかりができている。俺は人を掻き分け、中に入った。小さな子供と、犬が倒れている。そばに、かすみがしゃがみこんでいた。しばらくすると、サイレンの音が近づいてくる。救急車だ。国道に、トラックが停まって、すぐ近くに青ざめたドライバーが立っていた。これは、明らかに交通事故だ。俺は、かすみの肩を掴んだ。
『どうしたんだ?』
『レイが、レイがトラックにはねられたの。どうしよう。ねえ、どうしよう。』
取り乱しているかすみ。俺は、倒れている子供を見た。レイちゃんだ。胸に手を当てた。鼓動がしない。まさか、そんな。分身仏はどうした。守らなかったのか。レイちゃんの傍に、小さな分身仏が倒れている。さっきまで、意識を失っていたようだが、再生能力で蘇ってきた。
『おい、どういうことだ。』
俺は分身仏を俺の体に戻した。分身仏によると、国道に飛び出した「野良犬」を助けようとレイちゃんが飛び出したらしい。とっさに分身仏は体を呈して守ろうと思ったのだが、一緒にトラックにはねられたというのだ。分身仏は、再生能力で復帰したが、レイちゃんは、倒れたまま意識を失っている。いや、心臓も止まっている。一刻の猶予もない。救急車に任せるか。
『イヤー。イヤー。』
かすみが泣き叫んでいる。
『ねえ、ヒロ君、何とかして。お願い、ねえ、ヒロ君、レイを助けて。』
一か八か。あれを試すしか方法はない。
『かすみ、俺に任せてくれ、何とかする。時間との勝負だ。レイちゃんを彩先生の部屋に連れて行く。こいつと、後から来てくれ。俺は先に行く。』
分身仏を一体残して、俺はレイちゃんを抱え、瞬間移動した。
レイちゃんを死なすわけにはいかない。かすみの可愛い一人娘。俺のライバルであり、俺の姉になることもある。さらに救世主の母になる女性なのだ。必ず助ける。俺は、レイちゃんを彩先生のマンションのリビングのソファーに寝かせた。
俺は急いでクローゼットの中を漁った。クローゼットの奥にかたずけた箱を探すのだ。トランプ教団のハート軍のキングから譲り受けた箱だ。すぐに見つけることができた。箱を丁寧かつ迅速に開け、中の物体を取り出した。小さなワイングラスのような容器だ。俺はその器に、水を入れた。そして、レイちゃんの口に流し込んだ。一回、二回、三回流し込んだ。うまい具合に、水は口の中に吸収されていった。後は奇跡が起きるのを待つだけだ。遅れてかすみが到着した。
『かすみ、必ず、レイちゃんは復活する。確証はないが、俺のカンは当たっていると確信している。後は祈るのみ。頑張れレイちゃん。』
俺は祈った。かすみも祈った。気がつくと、後ろに俺の仲間が集まっている。伐折羅大将、阿修羅大王、千手観音、女羅刹、4人の精霊。みんなレイちゃんの清い心に癒された神々だ。みんな、レイちゃんの復活を祈っている。すると、テーブルの上に置いていたワイングラスが輝き始めた。紫色、黄色、赤、青、、、色々な色の光を放ち始めた。やがて、その光は、レイちゃんの体に注がれ包んでいく。光が強く輝いた。眩しくて目を開けていられないほどの光だ。再び目を開けた時、ワイングラスの光は消えていた。その光に代わり、レイちゃんの体が光り、やがて顔に生気が蘇ってきてた。弱いながら呼吸もしている。奇跡は起きた。レイちゃんは復活した。世界の危機は免れた。
やはり俺の思った通りであった。この器は『聖杯』である。秘宝中の秘宝である。モーゼの十戒を記したと言われる石版、別名『アーク』とともに、キリストの『聖杯』は、世界中の人々が探し求めているものである。その聖杯が我が手の中にある。キリストの手紙の中に書かれていた最後の一節。「手紙とともに私の気持ちを送ります。」キリストの気持ちとは『聖杯』を表していてのだ。「いつか役に立つ時が来る」それが今日のことであったのだ。キリストは予言していたのであろう。救世主の母なる女性の命が失われる危険を。聖杯の伝説は色々とある。レイちゃんの体に聖杯のエネルギーが流れている。おそらく、俺と同じような再生能力も身についただろう。ただ、今回の事故は、俺に責任がある。守るべき人を守れなかった。どこかに慢心があったのだと思う。守るべき方法を変えるきっかけと考えよう。物事には100%は、ありえない。しかし、俺が今後目指すのは、100%の護衛だ。ミスに2度目はない。
レイちゃんが俺の弱点を考えていた。俺の再生能力を破壊する方法は、脳を麻痺させることだと。しかし、前に、その対策は既に済んでいると説明したが、その対策はいたって簡単なことであった。俺は、聖杯を手に入れた数日後に、この器を聖杯とは思わずに、ミルクを注ぎ、ガブガブと飲み干したのだ。俺の体の中にも聖杯のエネルギーが流れているのだ。俺は、一段階上に覚醒したと思っている。人類の夢である『不老不死』を得たのである。キリストから受けた恩は、必ず返す。レイちゃんを守りきる。必ず守りきる。




