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 部屋を片付けたあと、結人は妻とシャワーを浴び、そのあとすぐに布団の敷かれた和室に入り横になったようだった。妻は、しばらく結人と添い寝をし、彼が大きな寝息をたてると、綺麗になったリビングで一人腰かけ水を飲む私の真向かいにやってきて、「寝たわ」とポツリと言いながら座った。

 「結人、疲れたんだと思う」

 「ああ」

 「広ちゃんは?」

 「え?」

 「疲れた?」

 「……ああ」

 「――保育園行くの、しんどい?」

 ハッと私は、俯き加減の顔を上げた。

 何か動揺したような心地がしたが、私は取りあえず水を飲み、何もいわず妻の次の言葉を待った。

 「わたしね、最近、広ちゃんがなんだか落ち着いてきたみたいだったんで、よかったって思ってたの。家の掃除も回数増えたと思っていたし、何より、保育園のこと悪く言わなくなっていた。――あれ、保育園の悪口ね、私聞くの、とても苦痛だった」

 妻が保育園の悪口を聞くことを厭がっていることは知っていたし、私も妻に保育園での不平不満をぶちまけたところで、彼女から返ってくる言葉は、決して自分が期待すべきものでなく、余計焦燥としてしまうので、あまり言わないでおこうとするのだが、私の実感したことを感想として言える相手は妻しかいなかったので、自然と夕食の時や就寝するときなどに口から出るのだった。だが、隅市さんと出逢い、コンビニ飲みをしてからは、彼がその任を受け持ってくれ、しかも私の期待する返答をしてくれるので、その場で不平不満を発散でき、家で、保育園の悪口をいうということは減った――というか全くなくなっていた。

 「――でも、悪口もなくなって、しかも保育園の送迎時の結人との会話や出来事を面白おかしく喋ってくれるようになって、私、広ちゃん、いい風に変わったなって、密かに喜んでいたの。この調子でいい働き口も見つかって、広ちゃんも社会に出られたらなぁって想像していた」

 妻は息を大きく吸い込み話を続けた。

 「だけど、隅市さんが引っ越して…………、いえ、隅市さんが引っ越した時はまだ元気だったけど、息子の将吾くんが保育園からいなくなって、途端、広ちゃん、元気がなくなった」

 妻は妻なりに気がついていたのだ。隅市さんがいなくなったことで私の様子が変になったというより、彼の息子の将吾くんの引っ越しが私に多大な動揺を生んだということを。

 「やっぱり広ちゃんが落ち着くまで、私が結人の送り迎えをする」

 水の入ったコップを手にしたまま、妻の話に耳を傾けていたが、彼女が結人の送り迎えをすると言った時、私のこめかみはピクリと脈打った。

 「ね? そうしよ。それが広ちゃんの為にもいいし、私だったら大丈夫よ。朝起きるの十五分早めたら、結人のこと送れるし、迎えも――」

 「いや――」

 私は妻の目をジッと見つめた。

 「俺がする」

 「無理よ、またこんなことが起こるよ。結人がまた――」

 「大丈夫。もう、切れない」

 「でも……」

 「俺が結人の送迎をする」

 「……」

 妻は私から視線をそらすと椅子から立ち上がり、キッチンに向かった。それからコップに水を汲むと、それを持ってまたこちらに戻ってきた。

 「大丈夫なの広ちゃん?」

 「ああ」

 「それなら…………それなら広ちゃん、無職のことは気にせずにもっとどうどうと保育園に行きなよ。保育園の先生やスタッフはたぶん広ちゃんが働いていないことは知っていると思う。でも先生たちはそんなに気にしていないと思うよ。彼らは保育園に来た園児の面倒を見るということが仕事で、誰の親が働いていて、誰の親が無職なんだという意識で働いていない。きちんと分け隔てなく結人のこと見てくれているのよ。有職、無職が気になるのは、市の職員よ。保育園の先生たちじゃない。だから広ちゃんは保育園で小さくならなくてもいいし、何も気にすることはないよ。結人が保育園に行っている間にできれば就職活動をして、職を見つければいい。見つからなくて市から退園命令が出たらその時考えればいい。兎に角、広ちゃんは先生たちを敵視することなく信頼するのよ。私たちの可愛い結人をなんだかんだ言っても面倒見てくれているのよ。私たちがあの人たちを信じないと結人も安心して保育園生活を送れないよ。もう保育園のことは……他人のことは考えず、広ちゃんは自分のことだけを考えて生活するのよ」

 わかっていることだ、そんなことわかっているんだ。何も考えず、いらぬことは考えず、と保育園に行く前は心掛ける。でも無理だった。自分を蝕む邪念はすぐにうまれ、私をどうしようもなくしてしまう。だが、この時は、決心するときだった。このままいけば、本当に津木一家の二の舞となるのは時間の問題だった。あそこまで凄惨な結果にはならないかもしれないが、それに近い結末が訪れる可能性は十分にあった。それを回避するために、もっと意識しようと思った。

 意識――あまり他人のことは気にせず、妻の言う通り、自分の自立を最優先に考えて生きる。これを無理矢理にも、否が応でも命題とする。

 次の日の朝、目が覚め、いつもなら前の日に誓ったことなど忘れていて、いつもの私に戻り、また同じようなことで苦しみ、果ては、暴走してしまうのがおちだったのだが、この日は違った。とにかく、結人を保育園に送る、このことだけを胸に出発まで――いや、保育園に着いても意識して、行動し、息子を遊戯室に連れていってから帰宅した。

 家に戻り、リビングで私は荒い息を吐いていた。なんとも冷静に自分を保とうと、過剰に緊張したからか、余計に疲労を感じた。そしてやはり、そんなことからもわかるようにそんな容易く急に自分の思考回路を変化させることはできなかったようだった。それでも、厭々ながら結人を保育園に送るのとは違う効果が出ていた。帰宅後荒い息は吐き出していたが、不思議と吐き気はなかった。隅市さんと逢う前は、保育園から帰ると必ずといっていいほど吐き気に襲われ、二、三分は、蹲ることがあった。実際この前の日も、暫くは治まっていた胃の不愉快な症状が自分の内面状態の不安定でいきなり、ある意味面白いぐらいの反応で出現していたのに、「結人を送ることだけを考える」と意識を集中して行けば、吐き気はなくなっていたのだ。たまたまだったのかもしれないが、このことに気がつき、私はほくそ笑んでいた。それから驚いた。

 「笑った……」

 朝から笑っていたのだ。記憶を辿っても、それが隅市さんと逢ってからも、朝から笑っているということはなかった。急いで洗面所に向かって自分の顔を鏡にうつした。

 「俺、笑った」

 独りごとを言い、笑顔はもっと顔中に広がった。そこでまた驚いた。俺って、こんなに皺よるんだ、顔くしゃくしゃになるんだ。

 やがて声を上げて笑った。なにが可笑しかったのかよくわからない。でも洗面所で自分の顔を見ながら笑った。ちょっとして笑いがおさまると、洗面台の鏡の横にある洗濯機から洗い終えた洗濯物の皺を伸ばし、ベランダに干した。この日はいい天気だった。

 衣類などを干しながら、眼前に広がるなだらかな丘陵に点在する住宅群をちらちら見ていくうちに、ふと、隅市さんが行ったという教会のことが頭に浮かんだ。この丘陵の中腹のどこかにそれはある。

 (いこうか)

 洗濯物を全て干し終えると、靴を履き、家をあとにした。

 驚くべきことだった。

 何かしたい、何かしようと思いついても、体は動かず、結局は「出来なかった」という悔いが残るだけで、無意識的にそれが厭だからか、欲求すら封印したむきが私にはあった。

 だがこの時は、教会に行く道中で誰か見知った人と出会ったらどうしようとか、行動に対して否定的な発想は浮かばなかった。というか、そんなことを考える前に家を出ていた。家を出てから困った。教会がどこにあるのか大体の見当すらわからない。そこで、確か駅の改札の真向かいに掲示されてある地図に、教会の所在が載っていたことを思い出し、駅に向かった。

 改札前に着くと、隅市さんと別れた時同様、多くの人が改札を行き来していた。一瞬その混雑ぶりを感じ取ったが、私は、目指す地図に一直線に向かった。

 地図の横には、地図に載っている店舗や施設の写真付きパネルがいくつかあり、その中に教会の外観がうつしだされた写真が掲示されていた。

 「あれ?」

 教会の写真をよく見ると、カップルが教会の前で正装して小さくうつりこんでいることが確認できる。どうも正規の教会ではなく、結婚式場としての施設の感が否めなく、建物の名称も○○チャペルウエディングと記されており、修道女が滞在している場所ではなさそうだった。隅市さんの話の印象では、教会はもっと厳かな雰囲気が漂っていたような気がしたので、試しに写真の下に掲載されてある住所を地図と照らし合わせてみた。丘陵の中腹どころかその写真の教会は、線路沿いの通りを一つ入った所にあった。どうやら隅市さんが行った教会は別にある。私は地図をくまなく見た。教会の地図記号ってどんなだったろうと考えながら凝視した。学校や病院の施設は至るところで目にするが、教会と名のつく建物の記名はない。どうしようか暫く思案したが、私はとりあえず駅をあとにし、なだらかな斜面に広がる住宅街の方へ歩きだした。この丘陵に沿って立ち並ぶ住宅群のどこかに教会はあるのだろう。私は、この住宅街に足を踏み入れたことはなかった。自宅マンションからこの丘陵を遠目に見ていて、感想は、なだらかに広がる斜面、だったが、実際歩いてみると、坂道は車も通れぬぐらい細く、くねくねよく折り曲がり急だし、選んだ道が悪かったのか、百段以上もありそうな石階段もあり、運動不足な私には骨折りだった。それでも脈打つ鼓動を全身に感じつつ、それが快く思えて、額の汗を手の甲で拭きながら教会を探した。立ち止りまた歩いては立ち止りし、その都度、周囲に目を配るが、教会らしき建物は見当たらない。もう「中腹」も過ぎ、相当な所まで登ってきたろうとふと思い、振り返り、自分がいる場所を高さで確かめようとした。

 振り返った瞬間、朝の光で目を奪われた。ややあって、視力が戻ってきた。

 「はっ」

 言葉を失った。

 私の視界に飛び込んできたのは、見はるかすような広い海原だった。もちろん海はなかったが、太陽の光が、見下ろす家々の屋根に反射し、見ようによっては、それらが輝く海にも見え、自分がどこかの孤島から、この風景を眺めていると錯覚させた。潮をも嗅いでいるかのようで、恍惚にも似た心地でその場に佇んでいたが、目が太陽の光線に慣れるに従って、次第に、はっきりと、目の前の全容が明らかになり、私は自分の立つ居場所を確認し、相当高い位置にいるんだと認識することができた。私の住むマンションが見える。その先には、この位置からは見えづらかったが保育園の大体の場所もわかった。さすがに俯瞰とまではいかなかったが、見下ろすことで客観的に自分の存在する世界というものが認識できた。

 ――狭い。

 私の生きる世界は、主にその二つの場所を行ったり来たりしているだけだった。前までは――隅市さんがいた時は、それに加え、駅前ロータリーのコンビニが含まれていたが、それを含めても狭い。

 見ろ! 視野を広げろ! 広大な景色があるだろう? 世界は広い。私の住むマンションから四方に世界は広がっているのだ。マンションと保育園だけが私の人生ではない。自分を叱咤し、興奮する気持ちを胸に秘め、再び教会を探すことにした。

 まだ上に登る道は続いていたが、ここで路地を右手におれた。

 丘陵に沿って建つ住宅群は、敷地面積が広いものが多く、ほとんどの家が低い垣根に囲まれた庭を持っている。

 色とりどりの花が咲く庭、隆々とした木が立つ庭、野菜が植えられた庭。手入れされていない庭。それらの家々を横目に歩き探索したが、この頃、本当のところ教会の所在はもうどうでもよくなっていた。なにか目的以上のことが達せられた感があり、疲労も募ってきたこともあって、そろそろ家に帰ろうかと考えていた。歩速をゆるめ、今きた道を戻ろうと踵を返そうとした時、右手前方に住宅街にはおよそ似つかわしくない――神社等にある、一対の狛犬の姿が目にうつった。

 興味が湧き、足を運ぶと、例にもれず鳥居まであるではないか。果たしてそこには神社があった。狛犬の存在が住宅街には似つかわしくないと記したが、それは一般的なことを率直に言ったまでで、神社の周囲は、駅からも離れ、閑静であり、またそこらの家々は純和風家屋が多いからか、神社と周囲の住宅は自然に調和がとれていた。

 私は境内へ足を踏み入れた。小さい神社だったが、手水舎には水も流れ、柄杓が等間隔で並べられ、本殿に目をやれば、屋根が綺麗に「八」を広げ、おもむきが感じられた。

 当初の目的は教会に行くことであったのだが、神社でお参りするのもいいであろうと、柄杓で水をすくい両手に漱ぎ、本殿に赴いた。

 だが賽銭するお金を持ち合わせていなかった。頭上からさがる鈴がついた紐には手をつけず、(すみません、この次は……)と手を合わせ、何を願おうかと思案したが、またここへ来れますようにと心で唱え、神社をあとにした。

 来た道を戻り、私はマンションに帰ってきた。

 一階にあるポストの中身の確認はいつもなら妻にやってもらっているのだが、この日はなにかポストにひかれるものがあった。ポストが並ぶブースに足運び、郵便物を確認しようとしたのだが、ポストにはダイヤル式のロックがかかっており、ポストの開閉は妻にまかせっきりだったが、それでも数回はおこなったことがあるので、うろ覚えの暗証番号を取りあえず回してみた。

 一回の挑戦で開いた。

 覗くと、妻も郵便物の確認を怠っていたのか、何かのチラシやハガキが何枚も折り重なって、手を突っ込むのを躊躇するぐらいの量が中にはあったのだが、とにかくそれらを鷲づかみにして引っ張り出した。一度で全部は出せず、再び取りだすためにポストを覗くと、ピザ屋のチラシと、電気か水道の明細、それに封筒が一つ残っていた。

 最後に封筒を手にし、目を落した。

 「ああっ」

 そこには、私がもっとも欲していた字が並んでいた。

 ――隅市健吾

 息が止まる。

 叫びたい。

 だが我慢する。

 エレベーターに向かう。

 一階で待機しているエレベーターがない。

 ボタンを押して待つ。

「7……6……」

 背後に人の気配。振り向くと、中年の女性が立っていた。

 エレベーターが到着した。

 乗り込んで、私は「15」のボタンを押す。中年の女性は、「3」。

 (3! 3階? 階段でいけやっ)

 一刻も早く手紙を開封したい私は興奮していて、多少感情も荒れていた。

 3階に到着した。

 「失礼します」

 と会釈する女性の優しい声で、多少荒い心は落ち着いたが、急く心は残り、「閉」のボタンを連打する。そこから15階までが長く感じ、また一段と焦燥としてくる。

 階数を示すパネルを凝視しながら、

 「速く、速く……」

 と口の中で呟き、「15」の表示を待った。

 ようやくエレベーターが止まった。

 私は自宅のドアに向かうべく、小走りしたが、ドア寸前の門扉の前で立ち往生した。両手は大量の郵便物で塞がっており、すぐさま門扉の取っ手に手をかけることができなかったのだ。とりあえず、郵便物を脇にはさみ、門扉をあけ、そのままポケットから鍵をぎこちなく取り出すと、鍵穴にさしこんだ。二か所解除してドアを引く。一息ついてすぐさま脇にはさんだ封筒だけつまむと、脇を開きあとの郵便物は床に落とした。パラパラと郵便物は散乱したが、私はそれらには構うことなくその場で封筒の先端をうまく破り、中から手紙を取り出した。手紙を持つと、読むというより、喰らいたいという衝動に駆られていることに気がついた。体内に入れれば全文を瞬時に理解できるという不条理な感覚を咄嗟に持ったが、やはり一行目の初めの文字をとらえ、読み進めた。




 ――出輪さんいかがお過ごしですか。元気ですか。そちらは、まだ暑いでしょうか? 

こちらは、私だけかもしれませんが、東北ということもあって、もう肌寒く感じ、整頓できていないダンボール箱から冬服を取り出しているという具合です。さて、私としては、早々にも出輪さんに手紙を書き、こちらの近況を知らせたかったのですが、新天地で頑張るぞと息巻いていた私の気持ちは、引っ越してきた初日で消沈していたのでした(汗)秋田空港到着後、お世話になる病院の上司の車で、用意していただいたマンションに移動して上司と別れリビングで独りになると、私はもうすでに泣きたくなっていました。途方もなく寂しくなったんです。妻と子供が恋しくなったんです。情けないでしょ? 仕事が始まっても、久々の医療現場復帰ということで緊張する状況が続き、休日があっても、なにもする気が起こらず、ずるずると日々を送ることをしていました。私が暫くの間、ストレスによって医療現場から離れていたということは、私が所属する上司はもちろん、職場の人たち全員が知っています。元々みなさん優しい人たちばかりだと思いますが、私が問題を抱え秋田に来たということを考慮してくれているようで、とても気にかけ接してくれています。仕事の配分も私に負担がかからないように考えてくれています。赴任当初、親睦会も開いてくださって、楽しい時間を過ごしましたが、それでも家で独りになるとどうしようもない不安と寂しさに囚われ、苦しんでいました。仕事をうまくやっていけるかどうか、また憂鬱な気持ちに内面が支配され仕事ができなくなるのでは……。本当に大丈夫か、こんな時家族がいてくれれば……。そんなことばかり考えていました。このような状況が続けば、仕事にも支障をきたすのでは、と思い悩んでいるところに妻と将吾がこちらに来てくれたのです。

本当に助かりました。もし彼らが計画通り来年になってから秋田にきていたら、その時私は廃人になっていたかもしれません〈笑〉

仕事から家に戻っても要らぬ心配ごとを考えなくなり、家族で楽しく会話もできて気持ちもほぐれ、そういうことが影響しだしたのか、仕事も少しずつこなせるようになってきました。この手紙が書けたのも、心に余裕ができた証拠だと思います。

すみません、ここまで自分のことばかりだらだらと書き連ねてしまって。ほんと、出輪さんはどうしていますか? 気持ち悪く思われるかもしれませんが、出輪さんのことは、いつも考えていました。妻と息子がまだこちらに越してきていない時、出輪さんとコンビニで飲んだことを毎日のように思い返していたんです。

あぁ、やっぱりこちららには来ず、出輪さんとコンビニで飲んでいた方がよかったなぁと後悔していたんです。まだ秋田に来たことが正解かどうかわかりません。でもとりあえず気負いせずぼちぼちやっていこうと思います。

また出輪さんの状況などを手紙で知らせてくれたら嬉しいです。私の方からも、出輪さんにどしどし手紙を送ろうと思っています。今この手紙を書いていて思ったのですが、手紙を書くという作業は自分の内面が整理できて、自分にいいことだと発見しました。だからまた出輪さんに手紙を送ります。私の心の浄化のためにどうかお付き合いを(笑)

それではまた!


                        隅市健吾



 手紙は私の涙にうたれインクが滲み、一部は穴があきそうになっていた。玄関に散らばった郵便物をかき集めてからフラフラしながらリビングまでいくと、私は床に腰を下ろした。教会を見つけるため勾配を登り、帰宅して立ったまま手紙を読んで、気付けば足は棒のようだった。涙を流せば、なぜか心地いい脱力感に包まれる。疲労と脱力感でしばらくはなにもしなかった。だが、どうしようもない喉の渇きはやがて私に行動を起こさせ、冷蔵庫にいくとお茶をだして飲んだ。沁みる、全身に沁みわたる。

 その日の夕方、結人を迎えに行き、隅市さんから手紙が来たことを知らせた。結人は、将吾くんはどうしているかと聞いてきたが、詳しいことはなにも記されていなかったので、パパが今度送る手紙で聞いておくよと言っておいた。妻が仕事から帰れば、もちろん手紙のことを言う。

 「よかったじゃない」

 と言ってくれたが、妻はどちらかというと素っ気ない対応だった。

 「人ごとやから、あまり感動はないのか」

 「そんなことないよ」

 と、妻は仕事帰りに買ってきた食材を冷蔵庫に入れながら返したが、

 「大体、知っていたから」

 と続けて言った。

 「は?」

 「将吾くんママからメールで、夫が出輪さん宛てに手紙を出したようだよって知らせてくれたから」

 「ええ? どういうこと?」

 「どういうことって、言ったことそのままだけど」

 「違う違う。おまえ、隅市さんの奥さんとメールのやり取りしてたの?」

 「言わなかった?」

 「聞いてない」

 「あ、そう」

 妻はあっけらかんとしているが、私には寝耳に水だった。 

 「いつアドレス交換したん?」

 「懇談会で私が保育園に行った時。懇談会終わって遊戯室に結人迎えに行ったら、将吾くんママと出会ったって広ちゃんにも言ったでしょ? ちょうど津木さんの事件があった頃よ」

 「ああ……」

 私は、ほのかちゃんの名前のことが絡んで朝から飲んだくれて気分を悪くしていたときかと思い返していた。でも妻が隅市さんの奥さんとアドレスを交換していたなんて聞いた覚えはなかった。もっとも私はその時、心身ともに二日酔いならぬ半日酔いで調子が悪く、聞いていたとしても記憶にとどめておかなかったという可能性も大だが……。いや、体調が悪くともそんなことを聞きそびれることなんてないと、反抗しようとしたが、もうどうでもよくなっていた。精神がまいっている夫を持つ者同士、メールのやり取りでお互いの思いを発散させていたのかもしれない。あくまでも推測だが……。その話題はそこで打ち切った。

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