17
隅市さんの手紙がきた次の日、早速私は、手紙を返信しようと便箋を買ってきて、ペンを持った。
手紙を送ってくれたことに対して謝辞を書き、自分が、隅市さんがいなくなったことにより元気がなくなり、果てや自暴自棄にもなったことを書き、しかし、妻の助言で自暴自棄を回避していこうと心がけるようになったことも足して書いた。あと、奥さん同士がメールのやり取りをしていることを知っているか、それから将吾くんの様子を知らせてほしいといった旨を記した。切手を貼り、ポストに投函した。それから私にとって落ち着かない日が始まった。隅市さんからの手紙がいつくるのか、そわそわするのだ。それはまるで、恋する乙女が、意中の人からの便りを待ちわびる様子に似ていたと思う。妻にも言う。
「いつぐらい来るかな?」
「何が?」
「手紙」
「まだこないわよ」
こんなやりとりを一日一回以上はしていた。ある日、妻はしつこい私に思わず本音を漏らした。
「広ちゃんたちっておかしいね」
「なんで?」
「携帯メールでやりとりしたらいいじゃない」
「おまえには手紙でやりとりする情緒がわからんのや」
「それならそわそわしないで、どっしり構えて待ってたら?」
「…………」
なにも言えず、それからは表面的には落ち着いて、便りを待った。
私が手紙を出して五日後、早速待ちに待った隅市さんからの手紙が届いた。
内容は主に、私が送った手紙に対しての答え、及び、助言で、妻同士がメールのやりとりをしていたことは、秋田に来てから知ったということだ。将吾くんについては、とても元気だと書かれてあった。それと、消沈や怒りに囚われない予防として、事細かく対策案を綴ってくれてあった。一つを例に出せば、とにかく週一回は体を動かすこと(自転車に乗り、一時間のサイクリング。そうすれば、地元を離れ人の目を気にせず、汗をかきリフレッシュができる。適度の疲労感は、厭なことを忘れさせてくれますよ)。
有難いと思った。本当に事細かく、色々な対策案を書いてくれていた。たぶん、多忙の合間をぬって、私の為に、いち早く送ろうとしてくれたに違いなかった。感謝をしつつ、私は、その日の夜、返信の手紙を書き始めた。だが、挨拶から入った私のペン先は、すぐさま止まった。書くことがないのだ。いや、書こうと思えば、なんでもある。ただそれを書くと前に書いた手紙とほぼ同様のものができるだけ。つまりは、私の家族の現状、保育園での出来事、それだけなのだ。私はそこで本当に知ったのだ。自分の日常の薄っぺらさを……。マンションと保育園が私の主な行動範囲。前に手紙を出してからの五日間、私の生活はとりわけなんの変哲もなく過ぎ去っていた。隅市さんの手紙はどうだ、新天地での生活ということもあるだろうが、二通目の手紙には、前の手紙には記されていなかった、住居周辺の様子や、秋田弁に戸惑うこともあれば、なにやら癒されるということもある等、自分の想いをふんだんに綴っている。私が書こうとする手紙には、そのように躍動する文体が出てくる気配はなかった。
その日は取りあえず手紙を完成させることは断念し、私は布団に横たわって対策をしばらく考え、一案を思いつき、次の日の自分の行動に期待しつつ眠りについた。
朝になり、妻よりも早く布団から出ると、私は昨晩思い描いた予定を遂行するべく、てきぱきと行動した。洗濯機を朝一から動かし、その間、台所の流しに積み重なる昨日の晩御飯の食器を洗い、妻の起床時間に合わせ、彼女のために朝食のパンまで焼いた。続いて、結人の食べるコーンフレークを器に盛り、あとは牛乳をかければいいという状態で準備した。
妻が起きてきた。彼女は顔をくしゃくしゃにして私の座る食卓まで来ると目を全開にして驚いた。
「どうしたの?」
「なにが?」
「なにがって、これよ。この朝ごはん。こんなこと今までしたことなかったでしょ? ――もしかして、洗濯機も動いてない?」
「動かした。晩御飯の食器も、もう洗った」
「どうしたの、本当に」
妻は目を擦りながら訝しげに私を見ている。
「今日はね、色々と忙しいから」
「忙しい? ――何するの?」
「話題さがし」
「話題さがし?」
「そう。隅市さんに書く手紙の話題をさがしに出かけるから、家の用事は早めに片付けておこうと思って」
「それにしたって、今までしたことのない朝ごはんの用意なんかする?」
「これも話題の一つ」
「えぇ?」
私はパンに塗るバターを冷蔵庫から持ってくるために席を立った。
妻を見送り、結人を保育園に連れていった私は、その足で、線路の向こうの丘陵へと赴いた。辿る道は、この前と同じだ。やや前傾姿勢をとりつつ、前回同様、苦悶の表情で登坂する。しかし、違うことがあった。それは汗の量だ。汗をかくにはかくが、シャツにたっぷり沁み込むというわけでなく、少し湿る程度だった。というのも、吹く風が冷たく、肌に当たるそれは、すぐさま体の表面の熱を冷やしてくれる。それもそうだと思った。もう九月も終盤を迎えているのだ。汗をかきながら隅市さんとコンビニで酒を飲んだことも遥か昔に思われた。丘陵下から吹き上げてくる風は確実に冬をもたらそうとしていた。
だが――
私は足を止め、振り向いた。
光がすぐさま目に入ってきたが、手をかざし、光に慣れると目線を少し上げた。空に白く浮かぶ太陽が一瞬見え、光を放っている。暖かい。そう、太陽の光は暖かいのだ。丘陵を登っている時に、首筋と両腕で感じていた太陽の暖かさ。肌をこがすほど照りつけるというまで強くなく、暖かさをまったく感じないということでもない。心地いいのだ。予想通りの光に対して、私は目を瞑り、顔を向け、大いなる力を享受した。しばらく太陽のぬくもりを感じていたが、ふいに瞼から伝わる光が弱まった。目をあけてみると、太陽は雲に閉ざされていた。しかし、すぐさま雲間に太陽が顔を出す。やはり暖かい。風は冷たいが太陽は暖かい。私はこの時の快感が忘れられず、年に一回、この時期になると、この丘陵を訪れ、この暖かい太陽の恵みを全身で受けるということをした。街を引っ越すまでこの行事は続いた。太陽の有難味に遭遇したという予期せぬ体験も手紙に書ける。手紙の内容になる。しかし私は、手紙に書くことだけを求めてここにきたのではなかった。ふと何気に眼前に広がる風景に目をやった。前と同様、私の住むマンションがある。今、結人がいる保育園も見える。前はこの風景を見て興奮していた。自分の住むマンションから四方に世界はひらけているんだ、マンションと保育園だけが世界ではない、と。あの時も興奮していたが、やがて自宅に戻ると、その意識は時間の経過とともに薄れる。いずれは普段の私に戻る。何もしない、行動を起こさない自分に戻る。だけれども、それでいいのか、私はその場で自問した。駄目に決まっている。だからこそこの場所にふたたび来たんじゃないか。隅市さんに送る手紙の内容を得るために来ただけじゃない。今後の自分をどうするか自問自答するためにもここへ来たのだ。今のこの心地よい時に決心するんだ。なぜ社会に出ない? なぜ働けない? ――人が怖いから。ならなおさら、世間に飛び込め! 他の人と接し、人情を探すのだ。つれない態度出くわすかもしれない。でも珠玉の心にも出会えるかもしれない。隅市さんとも出会えた。期待しよう。希望しよう。私は傾斜に佇んだまま、そんなことを想っていた。他人から見ればその時の私は不審に見えたかもしれない。実際、右手にあった家の垣根の向こうで、おばあさんが花の水やりでもしていたのか、ホースを持ったまま私を凝視していた。私は辞儀した。おばあさんは無反応。警戒心でか、少し身構えているようにも見えた。でもどう思われようがよかった。私はとりあえず、笑みをおばあさんに向けて、その場を去った。この日の私の話題づくりはまだ終わっていない。ここでおばあさんの冷たい視線に負けるわけにはいかなかった。精神を疲労させてはいけない。精神の疲労は私の計画を頓挫させる可能性がある。つまり、家に帰ってしまうということだ。これだけは避けなくてはいけなかった。もう充分に話題づくりは達成したともみられた。まず、この場所に来たということもそうだ。これも手紙の内容にできる。太陽の温度が心地よかった。これも書ける。社会に飛び込んでいこうと決心したことも書ける。いや、遡れば、早起きして、洗濯機をまわし、皿の片付けをし、妻と息子の為に朝食を準備したことも書ける。が、これで満足しては駄目だ。自分をこれで許しては駄目だ。誰かに奇妙に思われようが、なにを思われようが、私は決めたことをやり遂げる。少なくとも――そう、この日は少なくとも達成させようとする気力がある。まだ挫けていない。この丘陵を下りるのは、神社に行ってから。神社で賽銭箱にお金を入れて手を合わす。この目的を達せられたならば、とりあえずこの日の朝の話題づくりは終了だ。
神社に着くと、本殿で手を合わし、賽銭箱に十円玉一つを落とし、次は十円以上を賽銭できるように頑張ります、と祈った。カミサマは、金額の高低で人間を判断しない――賽銭する人の相応の金額で祈りは届く――ということは、わかってはいるが、金額そのものより、私の持ってきた十円玉は、自分で稼いだお金ではない。祈りには、自分で働いたお金で賽銭します、という願かけも含まれていたし、いずれはやはり、最低百円以上は賽銭箱に落としたいという意気込みも当時はあったわけで、私は直入にそう祈ったのである。
手を合わせ終えたのち、私は石段を数段下りて、帰路につこうとしたのだが、石段の木の手すりの向こう側に、参拝客にむけ立て札が掲げられていることに気がついた。お参りする前は全くきがつかなかったのだが、下までおりて何気に見るとそこには、「二拝、二拍手、一拝」と記されてあった。ああ、神社の参拝の仕方かと私は解した。賽銭箱にお金を入れたあと、鈴を鳴らして、二回拝んで、二回柏手をしたのち、もう一度拝むのだな、と理解したのだが、私はそんな作法もせずに、お祈りをしたわけだった。なんとも後味の悪いことをしてしまったものだ、と、次来た時は、そのようにお参りをしようと心に決め神社をあとにした。マンションに帰る道中、私は隅市さんに送る手紙の内容のまとめながら坂を下っていた。神社の参拝の方法、知ってますか? こんな文章も入れようかと思案していた時、ふと道端に目をやると黄色い小さな花が咲いていた。アスファルトの崩れた間から、それはぽつんと存在していた。
(……名前はあるのか?)
「――これ、いけるかも…………」
瞬間的に頭に浮かんだ。私は携帯電話についている写真機能を使用して、その黄色い花を撮った。
家に戻り、自転車のカギを手にし、私は再び家を出た。自転車に乗って近所の図書館にむかうためだ。図書館は、保育園に必要な書類のやり取りをしている市立こどもセンターの――小宮山警察署よりは手前――近くにある。自転車を十五分ほど漕ぐと到着した。私は図書館に入ると、植物に関する本を収めている本棚を探した。このように用があって図書館に来ることなど、この街に引っ越ししてきて初めてである。私は迷いながら、しかしすぐに植物の図鑑がずらりと並んでいる書棚をみつけた。あまりにも植物関連の本がありすぎてどれから手をつけていいかわからなかったが、取りあえず一番分厚い図鑑を手に取った。
朝の十時前、図書館の中には、お年を召した方が多かった。私が着いた席の対角には、綺麗な白髪が目を引く男性が熱心に新聞を読んでいたし、真向かいには、鼻頭ギリギリまで眼鏡をずらして、これまた新聞を読んでいる老人が座っていた。私が植物図鑑をひらいた丁度その時、私の隣りに座る人物がおり、顔を少し動かし横目で見れば、これもまた、新聞を広げる老人だった。新聞を読む三人に囲まれながら、それを捲る音に初めは辟易したが、すぐに自分の世界に没入することが出来た。つまりは、携帯で撮った黄色い花の正体を判明させるべく、図鑑と携帯の写真を見比べる作業に集中しだしたのだ。しかし、膨大な写真が掲載される図鑑からこの携帯で写した画像を割り当てるのは困難で、これは難儀なことになりそうだと、顔を曇らせた時、あることに気がついた。それは図鑑の目次の欄で、アイウエオ順とは別に、花が開花する時期に焦点をあて、分類してくれている項目があったということだ。しめた、と思い、秋に咲く花のページを上から一つ一つ調べ始めた。そこで「ダイコンソウ」という花の写真を見た時、私は飛び上がりそうになった。
(これだぁ!)
飛び上がるのはこらえたが、膝が机の裏に当たり、机に振動が走った。三人の視線を感じ、私は、各々に恐縮げに会釈した。私は暫くその場に着席していたが、興奮が少し収まると席を立ち、図鑑を書棚に戻して、図書館をあとにした。
「ダイコンソウかぁ」
と何度も小さく連呼しながら、ペダルを漕ぎ、家に向かう。行きしなより自転車が軽い。




