表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/20

12

 「事件」の次の日から、私の一日に摂取する酒量が明らかに増えた。土日と晩御飯前の夕方に、妻から千円札をもらうと、スーパーに缶ビールを買いに行って、飲んだ。こんなことなかった。私は毎日晩御飯時に缶ビールを飲んだ。無職の私だったが、妻は必ずスーパーでビールを購入してくれ、テーブルに置いてくれた。けれども多くて350を二缶ぐらいだった。でも土日とも、夕方からすでに、三缶はかっくらっていた。それから晩ご飯の時にも二缶いつものように飲んだ。それは週明けの月曜日にも続いた。いや、もっと程度が飛躍した。朝から飲んだ。結人を保育園に送り届け一旦は帰宅したが、すぐさまコンビニに行き、土日の買い出しのおつりで500mlのビール三缶のほか、カップ酒をも購入して飲んだ。飲み終えるとそれから夕方まで寝て、結人を保育園へ迎えに行く。その日、仕事から帰ってきた妻は、私の表情を見て驚いていた。自分でもわかった。二日酔いならぬ、半日酔いで気分が悪かったのだから。でも妻は、私がまさか朝から酒を飲んでその日の夕方に青い顔をしているとは想像すらできなかっただろう。酒のにおいも多分消えていたと思う。さすがに夕食の時は、酒はすすまなかったが、無理して一缶飲んだ。妻が、「事件」後の私を気遣ってくれていたことは明白だ。妻には「事件」の次の日、何があったのか詳しく説明した。その時妻に、私自身が当夜ことを思い返せば、今になって衝撃が大きいということも話したので、妻もいたわってくれた。だから土日と、夕方から酒を飲んでいても何も言わなかったし、いつものように接していてくれていた。それに甘える形で、私は酒に頼った。飲んで平常を誤魔化さないと、時間を過ごせずにはいられなかった。やりきれなかった。思い出してしまうのだ、色々なことを。コンビニにあらわれた時の津木くんの表情、奥さんから流れ出た血痕、倒れる母親を見るほのかちゃん、と、「事件」当日のことが入れ替わり立ち替わり頭に浮かび、それらが私の思考を支配してくるのだ。もうどうしようもなかったのだが、まさか自分でも、月曜は朝から飲むとは考えていなかった。いわば、月曜日の朝飲んだのは突発だった。いつものように結人を保育園に預けにいく。遊戯室に身を移すと、朝だけいるいつものパートの保育士は、挨拶もなく淡々と保育していたし、当番の保育士は、赤ちゃんを抱っこして、部屋に入ってきた私たちを見もしない。朝、必ずいるいつもの園児は、元気に遊戯室を走り回っていた。私もいつものように結人に手を振り別れ、門扉をくぐり、守衛のおじさんにあいさつをして帰路に。笑顔で挨拶はしたが、おじさんから目を離すと、私の顔は急速に真顔にかわる。不機嫌だった。気分が悪かった。前日の酒が残っていたせいではない。あることを目にしたからだ。パンダ組に赴き、その日の結人の保育に必要なものを準備して、右記の通り、遊戯室へ行った。壁にかかったバインダーにはさまれている紙に来園時刻を記入。ふと見ると、「つきほのか」の名前にボールペンで二重線が引かれてあった。やはりほのかちゃんは退園したんだと、私の胸に寂しい風が吹く。だが、急速に別の感情が広がる。なにもかもを複雑かつ陰に考えるのは当時の私の真骨頂だ。この線を引いたヤツは安易にこの線を引きやがったな、と憤りを覚えた。あの夜、どういう経緯があってほのかちゃんが退園したのか、この線を引いたヤツは知っているのか、どういう気持ちでこの二本の軌道を印したのか、それを考えると、持つ鉛筆が震えた。帰宅して、冷蔵庫を覗いた。酒はなかった。だからマンションの前にあるコンビニに走った。家でひとり、二重線から派生した保育園に対する怨嗟をぶつくさ言いながら購入した酒を飲んだ。多少気持ちも紛れる。火曜日も朝から飲んだ。保育園に結人を送った帰り、私の憤りは前日をはるかに超えていた。つきほのか、の名前が紙から完全に消えていたのだ。今日も飲む! と息巻いて帰宅したがお金がない。そういえばと、押入れの奥にしまってある熊の貯金箱のことを思い出し、貯金箱を探し当てると、底の蓋をめくり、畳の上にお金をぶちまけ、缶ビール三本ぐらい買える金額を集めコンビニに出向いた。コンビニから戻り、ひとり飲む私の胸中にある計画が芽生えた。次の日計画を実行すべく私は、ボールペンをジーンズのうしろポケットに突っ込んで登園した。遊戯室に着いて、結人が厭々ながら、私から離れるのを見届けると、バインダーがかけられてある壁にむかった。記入用紙に目をやり、「つきほのか」と書かれてあった空白の欄に目を当てた。私は、みてろと、ポケットからボールペンを抜き取り、ゆっくりと一番下のその空白に「つきほのか」と書きつけてやった。バインダーには、鉛筆が紐でくくられていて、いつもはその鉛筆を使って来園した時刻等を書いてあったのだが、ほのかちゃんの氏名はボールペンで書く、と前日から決めていた。設置されている鉛筆はいつも先がまるまっていて書きづらかったし、ボールペンなら消せないぞという私なりの意思表示だった。お金を用意して家を出ていたので、保育園からその足ですぐさまコンビニに赴き、家で祝宴をあげるべく、またまた缶ビールを購入した。まさに祝宴だった。ほのかちゃんに対しての同情などはどこかに吹き飛んでいて、自分が考えたことを実行しやり遂げたという達成感に感動しながら酒を飲んでいた。完全に初めの趣旨から逸脱していたが、そんなことも忘れて飲んでいた。

 水曜日。遊戯室にある記入用紙には当然の如くつきほのかの名前は記載されていなかった。それはわかっていたことなので、またほのかちゃんの氏名を書き込もうとした。

 ペン先を紙に置いた時、背中に視線を感じた。チラりと首を動かすと、いつもはこちらのことなど気にせずに保育しているやつらが、白眼の目で私の様子を見ていた。でも構わず私はほのかちゃんの氏名を書いた。木曜日もほのかちゃんの名前を書こうとしたのだが、バインダーには記入用紙の他にもう一つ紙が挟まれていた。金曜日に各学年で懇談会があり、その出席有無を確認するための用紙だった。何事かといぶかしんだが、すぐに想像がついた。たぶん、津木くん一家のことを踏まえての話し合いだろう。私はとりあえず○をつけた。つけ終わると、私の後ろにはパンダ組の見覚えのある誰だかの母親が時間を記入するため待っていたので、ほのかちゃんの名前は記さずに保育園を後にした。帰路、懇談会には妻に行ってもらおうと考えながら家に到着した。その日は朝からは飲まなかった。なんとも、ただ後ろに人が居ただけで、少し動揺し、ほのかちゃんの名前を書けなかったことに、不甲斐なさを感じ飲む気持ちにはならなかった。そこまでいこじにならなくても、不甲斐なさをはらうため飲んでもよかったのだが、やはり私は弱い。飲もうぞ! という勇ましい(?)気持ちはまったくなく、敗北にも似た感情を抱きながら無理やり寝ようとした。布団の中で右に寝がえりをうち、それからまた逆に向いたりと眠って現実から逃げようとしたが、結局は布団の中でバタバタと動き回りながら昼過ぎまで意識があり、よけいに疲労が募った。

 金曜日。この日は、ほのかちゃんの名前を記入用紙に記した。家に帰りまた祝宴。昨じつの敗北を挽回できたと興奮して気分が高まり、実際に窓を開けて「挽回できたぁ」と絶叫した。近所迷惑も甚だしい行為だった。この日は飲みすぎた。三本買った缶ビールはすぐに空になって、おかわりを飲むため買い出しに行った。正午が過ぎ、記憶では午後二時まで飲んでいたと思う。それから倒れ込むように布団に突っ伏した。目が覚めると、六時半近くになっていて、いつも結人を迎えに行く時間はもう過ぎていた。急いで身支度をして、靴を履こうとしたところ、妻から連絡が。もう少ししたら保育園に着くとのことだった。そこで気がついた。この日は妻が懇談会に出席して、会が終われば結人と一緒に帰って来るということを。電話を切った途端吐き気を催した。急いで洗面所にむかった。大量に吐いた。嘔吐物は、洗面台の排水溝に詰まり、水が流れない。指でまさぐり、水の流れを作った。吐き気はじきにおさまり、洗面台を綺麗にしてから台所に行き水を飲んだ。さすがに、俺は何をしているんだと、思わずにはいられなかった。水を飲みながらバラエティー番組を何気に見ていたら、妻と結人が帰ってきた。七時半は過ぎていたと思う。渾身の表情を繕って、二人を出迎えた。妻は、開口一番「広ちゃん、今日は行かなかったの?」と聞いてきた。「何が?」という私の返事に、「コンビニ」と口にした妻の顔を見ながら、吐き気が舞い戻る。「コンビニ」という単語を聞いただけでお酒が連想され、胸糞が悪くなったのだ。しかし表情には出さず、「コンビニではまだ飲む気にはなれない」と返した。妻は、隅市さんは行っているらしいよと言いながら私の横を通り抜け、保育園の帰りに寄ったのであろうスーパーの袋を台所の方へと運んでいった。私は妻を追いかけ、なぜ隅市さんがコンビニに行っていることを知っているのか尋ねた。「隅市さんの奥さんから聞いたから」と妻はこたえた。懇談会終了後、妻が遊戯室に行くと、そこは帰りを待つ児童や会が終わった保護者でごったがえしていたという。結人を見つけるのも困難だったらしいが、部屋の隅で、男の子とブロックで遊ぶ結人を発見。近寄って行こうとしたところ、先にその場に到着し、結人と一緒に遊ぶ男の子に語りかける女性を見たそうだ。その女性は隅市さんの奥さんで、妻も歩を進めどちらからともなく挨拶をしてから、お互いのことがわかったという。門まで四人で帰り、その最中、隅市さんはコンビニに行っているということを聞いたとのこと。しかしそれを聞いても私はコンビニには行かないと言い、少し横になるわと訴えた。妻は快く了解してくれて、私はさっきまで突っ伏していた布団に戻った。横になって、そういえば隅市さんとは「事件」後一度も保育園で会っていないなと、虚脱に近い心身の中で思った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ