Day.20 笑顔の向こう
「いやぁ、まさに女の戦いって感じだったよな。」
「ボク、自信なくしちゃったよ。あの二人を相手にして勝てる気がしないもん。」
「大丈夫ですよ姫百合ちゃん、真也くんはそういうところで判断しませんよ。姫百合ちゃんは姫百合ちゃんらしく、自分のことをアピールすれば良いんです。」
「そうだぞ姫百合ちゃん。確かにあの二人は強敵かもしれないし、さっきみたいな強行手段もするだろうけど、姫百合ちゃんにはもっと違う魅力があるはずだぜ。後輩という属性を活かすんだ!」
「後輩…。そうだね峰岸先輩、ボク頑張るよ!」
「応援してるぜ!」
そんなやり取りがあることは露知らず、俺は三人の少し前を歩いていた。
言うまでもないことだが、俺の左右には莉乃姉と恵恋がそれぞれ張り付いている。
俺の腕をがっしりと抱き締めて離さず、温もりも通り越して暑苦しい。
しかも二人は俺を挟んでいがみ合っているのだ。
「おい冴塚、真也が歩きづらそうじゃないか、離れろ。」
「あら不思議なことを、貴女がそうやって引っ張るから真也さんが歩きづらいのでしょう?」
「冴塚のせいだ、なぁ真也?」
「小湊さんのせいです、ですよね真也さん?」
「いや、歩きづらいから二人とも離れてくれないか?」
「真也はどっちの味方なんだ!」
「もちろんわたしですよね真也さん?」
「どっちの味方でもないような…。」
『真也(さん)!』
「どうしろっつうんだよ!」
いつの間にかいがみ合いの矛先が俺に向いている、どんな理不尽だよこれ。
あぁ、もう帰りたくなってきた、ここにいると精神的に辛すぎる。
周りからの視線は相変わらず冷たいというか、もうほとんど殺気じゃないかと思うほど睨まれるし。
真夏にこんなくっつかれたら暑いし、そろそろ汗で気持ち悪くなってきた、このままじゃ俺まで日射病になりそうだ。
早く何処か涼しい場所に入って、この燦々と輝く太陽に一時の別れを告げたい。
…ありがたい、絶妙なタイミングで到着だ。
少し先に人だかりができていて、見ればそこにはお化け屋敷ならぬお化けビルの文字が。
…え、デカくないか?
そこは一般的なお化け屋敷のイメージとは違う、5階建ての雑居ビルのようなものが建っていた。
壁面には亀裂のような塗装がされていて、所々汚れ方が違うのがいかにもな雰囲気を出している。
窓は全てガムテープなどで塞がれていて、中の様子を全く伺い知れないのもまたお化け屋敷らしい。
それにしても凄い存在感だ、あそこだけここが遊園地と思わせない異様さで景色から浮いている。
俺は後ろをどうにか振り返って、離れて談笑していた緋結華を呼んだ。
「なぁ緋結華、あれって待ち望んでたやつじゃないのか?」
俺の問いかけに視線を向けた緋結華は、次の瞬間目をキラキラさせてこちらへ来た。
「真也くん!早く行きましょう!」
「おぉ!?」
興奮している緋結華は素早く俺を莉乃姉と恵恋から引き剥がすと、手を繋いでぐいぐいとお化け屋敷の方へと歩き出す。
その動きがあまりに手際よく鮮やかだったものだから、莉乃姉も恵恋も呆気にとられて手を離してしまった。
そんな二人を置き去りにして緋結華に引っ張られる俺は、どんどん近づいてくるお化け屋敷に苦笑する。
「そんなに楽しみだったのか緋結華は。」
「はいっ、こういうの大好きです!」
そう言って緋結華が振り返ると、目の前で揺れていたウェーブがかった栗毛が風になびく。
ふわりと舞う髪は俺の頬を掠めて、柔らかく軽い感触を残していった。
そして振り返って俺の方を見ながらも、緋結華は歩く速度を緩めようとはしない。
どんだけ楽しみなんだよお化け屋敷。
「まったく、緋結華は変わってるよな。」
「え、そうでしょうか?」
「大人しそうに見えて全然物怖じしないし、友好関係もかなり広いみたいだし、緋結華が嫌そうな顔をしてるのも見たことないし。」
「どれも普通のことのように思いますけど、そんなに変でしょうか?」
緋結華は苦笑すると、前を向く。
「…でも、その方が良いじゃないですか。誰からも嫌われないって、良いことですよね?」
「まぁそうかもしれないけど。」
「ね、だから変わってても良いです。だって真也くんはそんな私でも嫌いになったりしないでしょ?」
横顔に見える緋結華の表情は、何故か凄く真剣なものだった。
いつもの柔らかな雰囲気はなくて、代わりにどこか泣いているような、寂しいと呟くような、そんな横顔。
それは満開に咲いた花畑の中で、一輪だけ蕾のままであるかのような、そんな寂しさ。
どうしてそんなイメージが浮かんできたのかわからなかった。
そんな寂しさとは無縁そうな緋結華が、何故か酷く孤独に見えたんだ。
「当たり前じゃないか、緋結華を嫌いになんてならないよ。どうしたんだ急に?」
「えへへ、何でもないですよ~。」
そう言って笑った緋結華は確かにいつもの緋結華で、そこにはさっき見せた寂しさのようなものは一切なかった。
俺の見間違いだったのかな。
と、話している内に、気がつけばお化け屋敷の目の前に来ていた。
間近に来ると余計に不気味さが増して見えて、もしかするとお化け屋敷としてはかなり優秀なのかもしれない。
入り口の横に出された看板には、血を模したペンキでお化け屋敷と書いてあり、傍で客を捌いているスタッフも簡単ではあるがモンスターの出で立ちをしていた………フランケンシュタインだっけ?
そんな頭にボルトを生やしたスタッフの後ろには『椿ビル』なんて金属製の文字盤が貼ってあったり、入っているテナント一覧は何か大きな刃物で斬ったみたいに読めなくなっていたり、中々手の込んだ演出だ。
隣に並んだ緋結華を見ると、繋いでいた手を離して祈りを捧げるように手を合わせ、キラキラした瞳でこの廃墟ビルを見上げていた。
「いいですね、凄くいい雰囲気出てますね。」
「そ、そっか。良かったな。」
「はいっ、もう楽しみでわくわくします!」
おぉ、笑顔が眩しい。
普通の女の子と遊園地に来たことなんてないが、きっとお化け屋敷にここまで興奮できる女の子は珍しいんだろうな。
もしも緋結華が犬だったら尻尾をぶるんぶるんと振り回しているに違いない。
…ダメだ、想像したら結構可愛いな。
俺がそんな下らない想像をしていると、後続の四人も追いついてきた。
早速莉乃姉は俺の腕を取って抗議してくる。
「真也!あたしを置いて御奈坂と逃避行とは何事だ!」
「あぁいや、俺もどちらかといえば拐われたような感覚だったんだけど。」
「その割には楽しそうにしてたじゃないか。あたしは深く傷ついたぞ、ケアを要求する!」
「………どんなケアなのか一応聞いておく。」
「ふっふっふ…今夜は熱い夜になりそうだな、しっかり身体は綺麗にしておくから真也は安心して…。」
「断る。」
「任せてって、えぇ!?何故だ!寧ろご褒美と受けとるところだろう!」
「ケアを必要としている人間のテンションじゃないし大丈夫だな。」
俺がそう言うと、莉乃姉はべそを掻きながら隣にいた恵恋に泣きついた。
「冴塚ぁ、真也が冷たいよぉ~。」
「まったく情けないですね、観覧車での色気は何処にいきましたか。大体真也さんがそういうことに食いつくわけないでしょう。」
「あたしは真也とイチャイチャしたいんだ!」
「そんな欲望丸出しでよく恥ずかしくないですね…。まったく、わたしがお手本を見せてあげます、そこで指を咥えて見ていてください。」
恵恋、そんな宣誓を相手の目の前でするってのも相当ハードル上げてるぞ。
莉乃姉を引き剥がした恵恋はそっと俺の前に歩み出ると、指先で俺の服を摘まみながら、上目遣いで俺を見上げた。
「真也さん、わたしも置いていかれて傷つきましたよ。」
「あぁその、悪かったよ、ごめんな。」
「いえ、いいんです。でももし良かったら、少しだけでいいので、抱き締めてくれてもいいんですよ?」
「えっと、俺もそれなりに汗を掻いちまったし、臭いかもしれないぞ?」
「真也さんの匂いならいいんですよ、汚いとも思いませんし。」
「まぁ、それなら少しくらいは。」
俺は緋結華に目配せして手を離すと、俺の腹の辺りにある恵恋の頭を包むように腕を回した。
恵恋の柔らかい髪が腕に触れて、少しだけこそばゆい。
恵恋は自分も腕を俺の後ろに回すと、顔を押し付けるように密着してくる。
う、これはなんというか、ドキドキするな。
恵恋の体温が優しく俺に伝わってきて、鼓動が早まっていくのがわかる。
何より、恵恋の幸せそうな表情が少しだけど見えて、なんだか俺まで顔が熱くなってしまう。
一分ほどそうした頃、恵恋は静かに俺から離れて、照れ笑いを浮かべながら俺を見た。
「うふふ、凄く嬉しいです真也さん。とても癒されました。」
「あ、あぁ。俺もその…温かかった。」
「真也さんさえ望んでくれれば、わたしはいつでも待ってますよ。」
「いや、えっと…。」
「うふふ。わたしのこと、真也さんにはたくさん考えてほしいですけど、今は止めておきましょう。真也さんを困らせるのは嫌ですから。」
「助かるよ恵恋、ありがとう。」
「いえ、わたしこそありがとうございます。」
微笑みと共に小さく首を傾げた恵恋は、正直また抱き締めたくなるほど可愛かった。
元々莉乃姉に比肩するほど綺麗な顔をしているから、恵恋がこうして笑うようになってからはドキドキさせられっぱなしだ。
恵恋はくるりと回れ右すると、莉乃姉のところに戻って胸を張る。
「ふふん、どうですか小湊さん、わたしの実力は。」
「くそっ、確かにあれは上手い戦法だった。真也の許してくれそうなギリギリのラインを巧みに攻めていた。しかも自分から困らせる台詞で惑わせておいて自ら身を引き、冴塚が真也の気持ちにまで意識を向けている大人な人間だと錯覚させる話術………やるな冴塚。」
「ふふふ、恐れ入りましたか?貴女は決して最強ではないと、わたしは別の角度から攻めることで示してみせます。」
二人は笑みを浮かべてお互いの実力を認めあった。
………俺のドキドキを返してほしい。
ここまで計画的なものだったと暴露されると、さっきまでの自分が酷く滑稽に思えてくる。
俺が一人うなだれていると、緋結華が俺の前に来て微笑んだ。
「二人とも真也くんが本当に大好きなんですよ、だから真也くんを騙そうとか思ってやったことじゃないですよ。だってさっきの恵恋ちゃん、本当に幸せそうな笑顔でしたもん。」
「緋結華…。」
「だから落ち込まないで下さい、ね?」
緋結華は笑って俺を手を握り、柔和な笑顔で俺を慰めてくれた。
その笑顔には純粋な優しさが溢れていて、自然と人まで笑顔にさせる。
本気で落ち込んでいたわけではなかったにしろ、この笑顔が見れただけでも儲けものだ。
穏やかな気持ちが広がっていって、俺も笑顔で頷く。
「あぁ大丈夫だよ緋結華、そこまで気にしてるわけじゃないから。」
「うふふ、それなら良かったです。でもね真也くん。」
「ん?」
「女の子は、やっぱりちょっとは気にしてくれないと嫌なんですよ。」
そう言って悪戯っぽくペロッと舌を出してみせる緋結華。
俺は女心の複雑さに、思わず苦笑した。
「さぁ真也くん、もう私は我慢できません。」
「え?………あぁ、手ぇ離した方がいいか?」
「いえいえ、手はこのままでいいのです。寧ろそのままの方が自然です。」
「ん、何が自然なんだ?」
「お化け屋敷に男女で入るときは手を繋ぐものですよね。」
にっこりと微笑んだ緋結華に、俺は首を傾げた。
「いや、それって単にカップルだからそうするってだけじゃないか?男女だからって繋ぐものなのか?」
「………あぁ!」
「今気づいたのか?」
「あはは、確かにそうですね、カップルだからそういうことしてたんですね!」
「えっと、じゃあとりあえず離すぞ。じゃないと向こうで睨んでる莉乃姉に噛みつかれそうだ。」
俺の言葉に振り返った緋結華は、縄張りを荒らす敵を威嚇するかのように睨む莉乃姉を見て、慌てて俺の手を離した。
「まったく、油断するとすぐこれだ。真也をフリーにしておくのは危険だな。」
「同感です、これは新学期が不安ですよ。」
「いや、別にただ手を繋いでたわけじゃなくてだな。」
そもそも原因は二人にあるのだが、二人はジト目で俺を見ながら俺の話を聞いていない。
「新学期が始まったら、入場口にいた娘みたいなのが現れないとも限らない、やはりあたしが真也のクラスで授業を受けるしか…。」
「真面目な顔して何を言ってるんだ受験生。」
「ふふん、あたしはもう毎日学校に行く必要がないくらいに単位は取得しているのだ。今までは生徒会や風紀委員があったから登校していただけだ。だがこれからは常にぴったり傍にいるぞ真也。」
「いや、だからといって同じクラスに居座っていいことにはならねぇから。」
「大丈夫だよ、あたしに任せておけば万事解決だ!」
「…恵恋頼む、莉乃姉を止めてくれ。」
「小湊さん、ついでにわたしも真也さんのクラスに転属手続きをしておいてください。」
「………。」
ダメだこれは、俺じゃ収拾がつかないぞ。
俺が悪巧みする二人に頭を抱えていると、姫百合が俺の手を取った。
「ねぇ真也先輩、とりあえず中に入りませんか?」
「ん?あぁ、良いアイデアだな姫百合、そうするか。」
もう手に終えないから放置しよう、気づけばすぐに追い付くだろうし。
俺たち四人は莉乃姉と恵恋を置いて、早速お化け屋敷の入り口へと向かう。
「ボクは峰岸先輩とペアになるから、真也先輩は緋結華さんと一緒に入ってね。」
「ん、わかった。」
「ちゃんと御奈坂をエスコートしろよ桐生。」
「お前も姫百合をエスコートだな。」
「任せとけって!な、姫百合ちゃん。」
「うん、頼りにしてるね峰岸先輩。」
胸を叩いた峰岸に姫百合が笑いかける。
なんだかこの二人は仲がいいよな、峰岸が女の子になった姫百合にも気さくだからってのもあるかもしれないけど。
俺は楽しそうな二人から視線を逸らし、俺の隣でウズウズしてる緋結華に目を向ける。
…なんつーか、俺がエスコートされそうな気がするんだよな。
こうぐいぐいと引っ張られて、はしゃぐ緋結華に辟易する俺が目に浮かぶ。
まさか二週目とか言い出さないだろうか。
「それじゃあ緋結華、そろそろ行くか?」
「はいっ!行きましょう!」
相変わらずテンションは尻尾を振りまくる犬のそれだ。
ここまでお化け屋敷にテンション上げられるって、男女問わず珍しいよな。
莉乃姉や恵恋なら怖がらなくても不思議じゃないが、別にテンションが上がるわけじゃないだろうし。
緋結華は俺の手を握ると素早く列に並び、お化け屋敷の外観を見ながらにやけ顔で見上げてくる。
「わくわくしますね、どんなお化けが出てくるんでしょう。」
「のっぺらぼうとか口裂け女とか?」
「いいですね!ぬりかべとかもいたら楽しいですね!」
「もう十分楽しそうじゃないか。」
「はいっ、すっごく楽しみです!」
キラキラした瞳で説明書きを読む緋結華を見ていると、これからお化け屋敷に入ろうとしているようには見えない。
峰岸、やっぱりエスコートは必要なさそうだ。
「…真也があたしを放置した。」
「っ!?」
突然聞こえたその声に肩が震える。
振り返ると莉乃姉が恵恋と二人で後ろに並んでいて、恨めしそうな視線が二つ、緋結華と繋いだ手を見ていた。
…こっちの方がお化け屋敷より心臓に悪いんだが。
二人の向こうには峰岸と姫百合が苦笑しながら並んでいて、頑張れと励ますような視線を送ってくる。
宥めるくらいしかできないが、頑張ろう。
ちょっと反則っぽいけど、こういうときは飴を与えるのが莉乃姉には効果的だ。
「莉乃姉、今日は莉乃姉特製シチューが食べたいんだが、いきなりじゃ難しいかな?」
「え?あたしのシチューが食べたいのか?」
不意を突かれた莉乃姉が、恨めしそうな表情から一変してキョトンと首を傾げる。
「あぁ、久し振りにふと食べたくなったんだ。最後に食べたのは確か梅雨の頃だったろ?」
「そうだな、それくらいに作って持っていった。」
「最近も俺を気遣って和食にしてくれてたからさ、たまには莉乃姉の洋食も食べたくて。」
「………うんっ、任せろ真也!腕によりをかけて美味しいのを作るぞ!うへへ、真也がリクエスト出してくれるのって初めてだ、嬉しいな!」
「あれ、初めてだったか?」
「あぁ初めてだぞ。こういうかたちで初リクエストというのも変な感じだが、でも嬉しいからいいか!」
本当に嬉しそうに笑顔になった莉乃姉は、喜びが溢れるようにとろけた笑みを浮かべている。
ちょっと卑怯な気がするけど、喜んでるならいいのかな。
喜び余って抱きついてくる莉乃姉を宥めながら、今度は恵恋に顔を向ける。
「恵恋もごめんな、嫌だから放置したわけじゃないんだ。」
「ふんっ、いいですよ別に。真也さんに乙女心を理解できる察しの良さがあるだなんて思ってませんから。」
そう言ってそっぽを向いてしまう恵恋。
さてどうしよう、恵恋は莉乃姉のようにはいかない。
何かお詫びになるようなことってあるだろうか、恵恋が喜びそうなことで。
俺が恵恋を見ながらそんなことを考えていると、恵恋は俺を見て溜め息を吐いた。
「はぁ、何を一生懸命考えているのかなんとなくわかりますけど、必要ありませんよ。」
「え、どういうことだ?」
「さっきのことでわたしが怒っていて、そのお詫びでも考えているのでしょう?だったらそれは不要です。わたしは別に怒ってませんし、さっきのことはわたしが大袈裟だったと思います。」
「いや、そんな風には思ってないぞ?」
「知ってます、だから変なこと考えなくていいんです。大体、この程度のことで毎回お詫びに何かされても、わたしの方が罪悪感を感じてしまいます。」
「そうか。」
「乙女心を理解できてない真也さんのことですから、その内何も思いつかなくて、何でも一つ言うことを聞くって言い始めるに決まってます。そんなこと言われても、わたしの方が困ってしまいます。」
「う、すまん。」
「まったくです、反省してください。」
恵恋に呆れたと言うように目を細めて見られて、無意識に頬を掻く。
再び溜め息を吐いた恵恋は、少し頬を赤らめて言う。
「それにわたしも浮かれているんです、こうして皆で遊びに来れていることに。」
「…そうだな、楽しいよなこういうのも。」
浮かれている、そう言うことができた恵恋が嬉しくて、俺は恵恋の頭を撫でる。
心地良さそうに目を細めた恵恋は、更に頬を赤らめて続けた。
「それに…やっと真也さんに想いを伝えられて、キスも…して、今日はわたしの中で忘れられない日になったといいますか…。」
「う…うん。」
「だから…ホントに怒ってないんですよバカ!」
「何で最後に怒鳴るんだよ!?」
「知りません!ふんっ!」
顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった恵恋に苦笑する。
ったく、恥ずかしがるくらいなら言わなきゃいいのに。
でもまぁ、怒ってるわけじゃないなら良かった、俺が原因で空気が重くなるのは嫌だからな。
そんなやり取りをしている内に俺たちの順番が回ってきたらしく、係の人が笑顔で俺を見る。
「それではお待たせしました、お次の方は中へお入り下さい。えっと、何名様でいらっしゃいますか?」
「あぁ、二人ずつ入ります。」
「わかりました、では最初のお二人からどうぞ。」
係の人が道を空けると、緋結華が興奮ぎみに俺の手を引く。
「真也くん、いよいよですよ。」
「そうだな。悪いんだが莉乃姉、これが終わるまでは離れてくれるか?」
「むぅ、帰ったらいっぱいイチャイチャするからな?」
「あぁその、程々にしてくれな。」
ここで断ってしまうと莉乃姉が駄々を捏ねそうだ、素直に頷きつつ抵抗の余地を残す相槌を打つ。
「うん、あたしのシチューも楽しみにしておくんだぞ。今日は隠し味もしっかり隠すからな。」
「………あぁ。」
嫌な記憶が甦ってきて、俺は今日こそ口に入れる前によく確認しようと心に刻む。
流石にまた莉乃姉を変態にするわけにはいかない、料理中も見張っておこう。
俺から莉乃姉が離れると、俺は振り返って皆に言う。
「それじゃあ先に行ってるぞ。」
「うん、頑張って真也に追いつくからな。」
「いや、追いかけるようなアトラクションじゃないから。」
「い、行ってらっしゃい真也さん、どうか…ご無事で。」
「…顔が真っ青だぞ恵恋。」
まさか一番大丈夫そうな恵恋がダメとは予想外だ、こんなの作り物でしょうとか言って鼻で笑いそうなのに。
「先輩、ボクも頑張るから、勝ってね!」
「は?………峰岸、中の人たちが怪我をしないようにちゃんと説明しといてくれ。」
「あ、あぁ。よく解らないけどわかった。」
大丈夫だろうか、峰岸の説明にお化け役の人たちの安否が関わってくる。
姫百合、ここはゴーストバスターズの修行の場じゃないからな、頼むぞ?
「じゃあ行きましょう真也くん、レッツゴーです!」
「そうだな、行こうか。」
しっかりと緋結華の手を握って、俺たちは暗闇に満ちた建物の中へと足を踏み入れていった。
Hiyuka Side
避難口を示す誘導灯の光で、コンクリート剥き出しの廊下は暗い緑色に染まっています。
ボロボロになった何かのポスターや、錆び付いて色の変わった事務机。
空調が効いているのか、ほんの少しだけ肌寒いくらいの気温も雰囲気が出ていますね。
素敵です、こんな穴場が近くにあったなんて、演出した人は相当のホラー好きに違いありません。
二人分の靴音が響く。
静かすぎるここは、遊園地に来ていたことさえ忘れてしまいそうなほど別世界です。
わくわくします、寧ろ怖くなってくるくらいに。
隣を歩く真也くんの手のひらからは、ほんの少しだけ緊張しているのが伝わってきます。
どうしたのかな真也くん、実は怖いのとか苦手だった?
何となく真也くんなら平気かもって思ってたけど、さっき恵恋ちゃんも怖がってたし、意外にダメなのかも。
私は握っていた手を少しだけ引いて、振り返った真也くんを見上げる。
「ん、どうした緋結華?」
「真也くん、なんだか緊張しているみたいなので、もしかするとお化け屋敷なんか入りたくなかったかもって思って。」
私がそう言うと、真也くんは驚いた表情をしてみせて、それからすぐに苦笑した。
「いや、怖がってるとかじゃないんだ、お化け屋敷も久し振りだし楽しんでるよ。」
「あはは、それなら良かったです。私の我が儘で真也くんを困らせてるなら今すぐ出ようと思って。」
「大丈夫、そんなに気にしなくていいぞ。」
そう微笑んで言った真也くんは、なんだかそれだけで絵になっていた。
柔らかく、優しさが心まで染み渡るような笑顔。
ここまでの美人さんには、この先も会えない気がします。
今朝も髪を下ろしていただけなのに勘違いしてしまったし、この前の女装は正直言って完全敗北でしたし。
思えば本当に、こうして隣を歩いていることが不思議です。
並木高校に入学して、多くの女の子たちがそうだったように、私も真也くんの姿を目で追っていた。
すらりと伸びた背丈に、性別を間違えるほどの美貌。
銀色に染めた髪は似合っているし、浮世離れしたその姿はどこか幻想的ですらありました。
入学式から一週間もすれば、校内で真也くんを知らない人はいなくなっていて、女の子はほとんど例外なく真也くんに憧れの視線を向ける。
積極的な子は果敢にも話しかけようと話題を探していて、男の子たちもそんな中に入ろうとして声をかけに行く。
授業が始まれば、その頭の良さと運動神経の凄さに誰もが驚き、尊敬や嫉妬の視線はより強くなっていきました。
でも周りがそうやって騒ぎ立てていても、真也くんは決して相手にしていなかった、寧ろ拒絶の意思を見せていました。
その瞳は暗い色を宿したままで、誰とも一緒にいることなく、ただ学校にだけは出てきている、そんな雰囲気で。
そんな態度に気分を害した人たちは、手のひらを返すように軽蔑の視線を向けて、悪意に満ちた噂まで流すようになりました。
実際相当な嫌がらせを受けていた時期もあったみたいでしたね。
派手めな女の子たちは相手にされないことにプライドを傷つけられ、勉強に力を入れていた生徒からは逆恨みされ、スポーツでも圧倒的な実力差で部活の生徒を負かしてしまう。
高すぎる能力。
それは真剣に打ち込んできた人たちの努力やプライドを、いとも簡単にうち壊してしまった。
入学式から一月経った頃には、真也くんは完全に孤立状態になっていました。
莉乃さんの存在も、きっとその状況に拍車をかけてしまっていた。
他校にも憧れる人がいるくらいに有名な莉乃さんが、唯一真也くんと普通に話していたから。
嫌な噂。
今でこそそれは一切の真実を含んでいないと皆が気づきましたけど、人の好奇心や悪意が容易く他人のプライバシーさえも犯していくのを、二人は嫌というほど感じていたと思います。
「絶対子供いるよねあの二人。」
「毎日二人で運動してるんだろ。」
「桐生がヤクザっぽいのと歩いてるの見たって奴がいるぞ。」
「カッコつけやがって、どうせアイツ、俺らのこと見下してんだろ。」
耳を塞ぎたくなるような、人はそこまで嫌な言葉を口にできるんだってことを思い知らされる、そんな会話。
笑い声と一緒に聞こえてくるその音が、影で囁かれる嘲笑が、ヘドロのようにこびりつく。
でも私も共犯者で、自分の安全のために見てみぬフリをしていた卑怯者だ。
周りに意見を合わせて、巻き込まれないように頷いていた。
真也くんに話しかけたのも、悪い噂や誤解が沈静化した今年に入ってから。
ガラの悪い先輩たちに絡まれて殴り合いの喧嘩をした時だって、遠巻きに見ていただけ。
私なんかよりよっぽど真也くんの方が辛い思いをしてきているはずなのに、弱い私は自分を守ることばかり考えて、周りに意見を合わせて、自分の気持ちを誤魔化し続けている。
私も真也くんの強さを見習いたい、もう過去に縛られていたくない。
迷惑かもしれない、私なんかが真也くんに頼っちゃいけないとも思う。
だけど、やっぱり私は…。
「真也くん。」
「ん?どうかしたか?」
「私の話を、少しだけ聞いてもらえませんか?」
「………あぁ、俺で良ければ。」
「あの、もし良ければ、今晩家まで送ってもらってもいいですか?」
「わかった。」
真也くんは頷いてくれた、とても真剣な表情で。
多分私が大事な話をしようとしているのを解ってるんだ。
ズル賢くお化け屋敷を選んで、真也くんと二人きりになれる状況まで作った私。
本当はお化け屋敷が苦手なのに嘘の演技までして、本当に私は卑怯者だ。
でも、安心が胸に広がる。
真也くんに話を聞いてもらえる、それだけで変われるような気がしてくる。
真也くんの優しさに甘えて、私なんかがもっと一緒にいたいだなんて思ってしまう。
逃げてばかりの卑怯者でも、真也くんなら受け入れてくれるだなんて、身勝手に願ってしまう。
でも私は、真也くんと一緒にいたい。
だからもう逃げないで、怖がらないで、打ち明けてみようと思えた。
本当の私を、真也くんにもっと知ってもらいたいから。
嘘を吐き続けるままじゃ、本当の友達になれないから。
ごめんなさい、そして、ありがとう。
ちょっとだけ、甘えさせてください。
心の中でそう呟いて、私は真也くんの手を強く握る。
そっと握り返してくれた真也くんの手は、優しくて、温かかった。
Hiyuka side End
太陽が徐々に傾いて、少しずつその色をオレンジに変え始めた頃。
俺たちは遊園地を出て、揺れる車内で少し早めの帰路についていた。
ほんのりと赤く染まった各々の頬が、明日の朝には薄らと黒く焼けてしまっているだろうことを示している。
吊革に掴まっていた峰岸が、車窓に流れていく観覧車を眺めながら笑う。
「いやぁ、久し振りに遊んだなぁ。」
「でも峰岸先輩、あんなに怖がりだったんだね。」
「あぁ、あの悲鳴は峰岸だったのか、スゲー響いてたぞ。」
「寧ろ峰岸くんの悲鳴に驚いて途中退場した人を見ましたよ。」
「うぐ、しょうがないだろ、突然出てくるから思わずさ。」
「宣言してから出てきたんじゃ誰も怖がらねぇだろ。」
「わかってるよ!はぁ、恥ずかしい。」
峰岸が顔を押さえてクネクネ動いているのを見て、莉乃姉も悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「あたしの方も大変だったぞ、冴塚があそこまでダメだとは予想外だった。」
「うるさいですね、余計なこと言わなくていいですよ。」
「話しかけても返事がないから振り返ったら、床に座り込んで気絶してたんだ。非常口まで背負うのは大変だった。」
「だから最後に入ったはずの二人が既に外で待ってたのか。」
「ふふふ、そうですよ、笑えばいいじゃないですか。どうせわたしは作り物に踊らされた道化ですよ。」
「いや、誰もそこまでは言ってないだろう。」
自虐的な笑みを浮かべた恵恋に苦笑していると、アナウンスが次の駅名を告げた。
「お、俺たちは次で降りるわ。」
「あぁ、峰岸と恵恋は同じ駅か。」
「えぇ、誠に不本意ながら残念なことに同じ駅なんです。」
「冴塚、俺だって傷つく心を持ってるんだぞ?」
「あら、脳みそ空っぽの峰岸さんにもそんなナイーブさがあるなんて意外ですね。」
「酷すぎる、俺が何をしたんだよ…。」
「はぁ、喧嘩しないで帰れよお前ら。」
「そうだぜ冴塚、もう少し俺に優しくしてくれって。」
「何故そんな面白くもないことをしなければならないんですか、貴方は貶されて虐げられて初めて価値が生まれるんですよ?」
「俺って何なの!?」
さっきまで楽しかったと喜んでいたはずなのに、姫百合と恵恋の波状攻撃によって撃沈した峰岸は、もはや顔を上げる気力もないらしい。
哀れだな峰岸、強く生きろよ。
すると恵恋が座席から立ち上がって、俺に微笑んできた。
「では真也さん、また新学期に。」
「あぁ、そうだな。気をつけて帰れよ?」
「はい、頭文字がMの人には特に注意して帰ります。」
「それ俺だよね!?俺、なにもしないぜ!?」
「どうだか。どちらにせよあまり近寄らないで下さい、二学期から成績が落ちたら困ります。」
「俺のバカは感染するみたいに言うなよ…。」
「…まぁ、仲良くな。」
「遠慮しておきます。皆さんも、また新学期に。今日は楽しかったです。」
柔らかな笑顔でそう言った恵恋に、皆も嬉しそうに返した。
「あぁ冴塚、学校でも負けないからな。」
「ふふふ、望むところです。」
「バイバイ恵恋ちゃん、また明日ね。」
「えぇ御奈坂さん、また明日。」
「また一緒に遊びましょうね冴塚先輩、学校でもよろしくお願いします。」
「そうですね、また機会があれば。さぁ降りますよバカ、いつまでそうしてるんですか?」
「マジで泣きそうだぜ。じゃあな皆、明日学校で会おうぜ!」
元気よく手を挙げた峰岸にそれぞれが手を振ると、合図となったように電車のドアが音を立てて閉じた。
緩やかに走り出した景色を眺めながら、俺は小さく笑う。
恵恋も楽しそうで良かった、それにまた一緒に遊ぶことも願っている。
本当に、皆が変わっていく、それもよい方向へ。
出会ったのがほんの数ヵ月前だとは思えないほど、俺たちの仲は深く繋がったように感じる。
姉さん、俺さ、楽しいって思えてるよ。
終業式の一件より前までの日常からは考えもできなかった気持ちが、今は俺の中に芽生えている。
誰かと共に歩いていく未来さえ、今は考えることができてるんだ。
少しずつ前へと進んでいく。
俺の身体も、随分と軽くなった気がする。
姉さんのお陰で、引きずってきた意識が無くなったからだと思う。
だからさ、余計なお世話かもしれないけど、皆の抱えてるもの、悩んでいること、困っていること、俺が力になりたい。
それが今、俺の中に新たに宿っている気持ちだ。
俺はそっと、莉乃姉や姫百合と笑い合う緋結華を見た。
家までの道すがら、緋結華は何を話そうとしてるんだろう。
今のところは想像もつかない、判断材料も見当たらない。
でもきっと、緋結華は何かに苦しんでる。
それも仲のいい姫百合ではなく、俺を選ぶような何かが。
役に立てればいいと思う、そして願わくばその苦しみが解決されることも。
この柔らかな笑顔の向こうで、一体緋結華は何を隠しているんだろう。
誰にも見つからない心の奥底に苦しみを隠して、笑顔で蓋をして。
並木駅が少しずつ近づいてくる。
夏休み最後の一日は、もう少しだけ長くなりそうだった。




