Day.18 太陽の黒点
大混雑のレストランは、そろそろ昼時を過ぎようというのに未だその勢いが衰える気配がなかった。
入り口では順番待ちの人達が空腹を訴えかけるように店内を見渡しているし、名前を書く用紙など既に数十枚に達しているだろう。
夏休み最終日とはこうも混雑するものなのかと驚きながら、こうして席に座って食事ができていることが物凄く幸運なことのように思えてくる。
俺は目の前で湯気を立ち上らせるトマトクリームパスタをフォークに巻き付けながら、些か賑やかすぎる周りの喧騒に少しずつ馴染んできているのを感じていた。
「真也、何を頼んだんだ?」
ふと声を掛けられて振り返ると、隣に座っている莉乃姉がパスタの皿を指差しながら目をきらきらさせていた。
「トマトクリームだけど、食いたいのか?」
「うんっ、食べてみたいぞ!真也のかこれか随分悩んだんだ。」
そういう莉乃姉はボンゴレビアンコを注文している、アサリが麺の間から覗いていてそちらも美味しそうだ。
「構わないぞ、はい。」
俺は頷いて自分の皿を莉乃姉の方へと押しやった。
でも莉乃姉は皿を一瞥しただけで、まだきらきらした瞳で俺を 見つめてくる。
…まさか。
「真也、あーんってしてくれ。」
「………。」
はぁ、言うと思ったんだ。
莉乃姉なら例えこれだけ周りに人がいようが、目の前で僅かに反応を見せる友達がいようがお構いなしにそういうことを要求してくるって。
俺が呆れて断ろうと口を開きかけたところで、莉乃姉の向こうに座っていた恵恋が半目で俺を睨んできた。
「真也さん。」
「いやな恵恋、俺も流石に。」
「すればいいじゃないですか、あーんって。」
「………は?」
言われた言葉の意味が解らず、俺は間抜けた声を上げた。
そんな俺を見る恵恋は澄まし顔で、再度同じことを言ってくる。
「ですから、してあげたらいいじゃないですか、あーんって。」
「いやいや、何で恵恋までそういうことを。」
「別に今更気にしませんし、小湊さんはあまり周りなど気にかけないでしょう、真也さん絡みなら特に。」
確かに恵恋の言うことは尤もだが、止められると思っていただけに思考が追いつかない。
それは他のメンバーも同じなようで、どう相槌を打つべきか悩んでいるようだ。
ただ一人莉乃姉だけが、うんうんと頷いている。
「だそうだぞ真也、さぁ早速!」
「くっ、仕方ねぇな。」
渋々皿からフォークを手に取ると、食べやすいようにちゃんと巻き付けてから莉乃姉の口へと運ぶ。
「ほら。」
「………。」
何故か無言で首を横に振った莉乃姉は、まったく口を開こうとしない。
「何してんだよ、早く食べてくれ。」
「台詞を忘れてるぞ真也。」
「は?」
「あーんっていうのはな、ただ食べさせてもらうのとは違うんだ。その台詞によってこうドキドキ感とかイチャイチャ感をだな…。」
「あぁもうわかったよ、言えばいいんだろ?」
はぁ、何で俺がこんな恥ずかしい思いをしなけりゃいけないんだ。
ニコニコと嬉しそうな莉乃姉と、周りでニヤニヤと楽しんでやがる皆の前で、俺は喉の奥でつっかかっている言葉をどうにか絞り出した。
「…あ、あーん。」
「ふへへ、真也があーんってしてくれてる!うへへ~。」
「おい莉乃姉、早く食えって。」
「夢にまで見た理想が現実に!うふふふふ、嬉しすぎておかしくなりそうだ。」
「もうおかしくなってんだろうが!いいから早く!」
くねくねと身をくねらす莉乃姉のせいで、俺が恥ずかしさをかなぐり捨てて言った台詞も何処かへ消えてしまった。
それどころか莉乃姉の奇行と俺の叫び声によって、必要以上に目立ってしまったらしい。
気がつけば周りの席からは、嫉妬や軽蔑、果ては囃し立てるような声まで聞こえる始末だ。
クソッ、無駄に恥をかいただけじゃねぇか。
恵恋は呆れたように首を振っているし、緋結華と姫百合は苦笑している。
峰岸は…おいコラ峰岸、何だその羨ましいとでも言いたげな視線は。
俺は溜め息を吐いて、差し出していたパスタを自分の口へと運んだ。
するとくねくねしていた莉乃姉が途端に反応する。
「あぁ!何で真也が食べちゃうんだ!」
「うるせえ、いつまでも食わない莉乃姉が悪い。」
「…お?ははぁ、流石は真也、さては口移しで…。」
「んなわけあるか!」
「ぶぅ、あたしはそれでもいいんだけどな。」
「ありえねぇから。」
「まぁ口移しは諦めるとして、テイク・ツー!」
「やらねぇよ、一回だけだ。」
「ヤダ!」
「子供か!」
「ふふん、あたしは真也との幸せのためならどんなことでもするのさ。冴塚からのお墨付きだぞ、あーっはっはっは!」
「俺との幸せじゃなくて自分の欲望だろうが。」
「いいからいいから、もう一回だけやってよ~。」
「………はぁ。」
結局莉乃姉の駄々に付き合ってもう一度やらされた。
幸せそうに美味しいと手で頬を包む莉乃姉を横目に、俺は非難の眼差しを恵恋に向けた。
「何ですか真也さん、その視線は。」
「お前の発言でとんでもない目に遭ったぞ。」
「あら、わたしのせいだなんて心外です。わたしが許可するもしないも、別に大した意味なんてないでしょう?どうせ結末は同じです。」
「く…。」
言い返せない、正論すぎて。
俺が諦めたのを悟ったのか、恵恋は不敵に笑ってみせた。
「では真也さん、次はわたしの番ですね。」
「………はぁ!?」
「だって小湊さんだけにするのは不公平でしょう、当然わたしにもしてくれますよね?」
恵恋はそっと立ち上がると、口に笑みを浮かべたままこちらへとやってくる。
「………まさか、このために莉乃姉に賛同したな?」
「ふふふ、誰も不幸にならないのですからいいじゃありませんか。」
「く、まぁそうかもしれないが。」
「慰めにはならないでしょうけど、小湊さんにあんなことができるのは、地球広しと言えど真也さんくらいのものでしょう。」
「そうだぞ真也、あたしは真也以外にあんなこと頼まない!」
「さぁ真也さん、わたしにもお願いしますね?」
「はぁ、わかったよ。」
クソッ、今朝はいがみ合ってたくせに、今は互いに手を取り合って攻めてきやがって。
女って怖いわ、敵に回したくない。
俺は莉乃姉の時と同じようにパスタをフォークに巻き付けて、控えめに開いた恵恋の口へと運んでいく。
「ほら恵恋、その…あーん。」
「あ、あーん。」
さっきまでの勢いはどこへやら、顔を真っ赤に染めた恵恋がパスタを食べる。
もぐもぐと咀嚼して飲み込むと、そのまま俯いてしまった。
「恵恋、一応訊くけど美味かったか?」
「はい…とても。」
「…そうか。」
「あの、真也さん?」
「ん?」
「これ…ヤバイですね。わたしとしたことが、ちょっと飛び上がりたくなりました。」
「あぁ、なんとなくだが解るよ。恵恋の口からヤバイなんて言葉を聞くことになるとは思わなかった。」
普段は絶対にそういう言葉を使わない恵恋がヤバイって、何か凄い違和感だ。
っていうか、これってそんなに良いものなのか?
小さくお礼を言った恵恋がふらふらと席に戻ると、今度は莉乃姉が不敵に笑っている。
「どうだ冴塚、真也からのあーんは。」
「貴女の言う通りでした。ドキドキと幸福感が一度に押し寄せてきて、心臓が破裂するかと思いました。慣れないわたしの許容量では受け止めきれません………けど。」
「けど?」
「これは…癖になりそうな予感が。」
「おぉ冴塚、お前にも解るか!」
「えぇ、不本意ですがこれに関しては貴女と同意見です小湊さん。真也さんの力をまた一つ思い知らされました。」
「そうだろう!真也の力はまだまだこんなものじゃないぞ!」
何故か俺のことで談笑を始めた二人を見て、恵恋の隣でやや距離を取り始めた峰岸が俺を見て楽しそうに笑った。
「なんか話だけ聞いてると、桐生って漫画とかの特殊能力者みたいに聞こえてくるな。」
「うるさい、もう放っておいてくれ。」
俺が呆れと恥ずかしさから頭を抱えていると、隣に座っていた緋結華がそっと背中を撫でてくれた。
「負けないで真也くん、二人とも悪いこと言ってるわけじゃないんだから。」
「いやまぁ、そりゃそうかもしれないけどよ。」
「ところで真也くん。」
「ん?」
「私にも、その…あーんって。」
「緋結華もかよ!?」
まさかの刺客が現れた、予想してなかったぞ。
緋結華は頬を赤らめながら、拳を握って力説してくる。
「だって、女の子の憧れなんですよ!」
「それはまぁ、何となく理解できるが。……まだ食い足りないのか?」
「え?」
俺と緋結華は、緋結華の目の前に展開されている食器の並びに目を向けた。
パスタ、ハンバーグとメインが二つ、男の俺でさえ胸焼けを起こしそうな組み合わせだ。
その隣にはサラダとスープ、しっかりと二人分。
緋結華はそれを見て頬を膨らませると、俺の肩を揺らしながら弁明する。
「真也くんは酷いです、私が気にしていることを!」
「え、気にしてたのか?」
「むぅ、酷いですよ。私は成長期だから大丈夫です!」
「いや、高校二年生にもなって成長期って。」
「私は運動もしてますし、これくらい食べても大丈夫なんです!」
そのやり取りを見ていた峰岸が、感心したように頷く。
「でも御奈坂って全然太ってないよな、それだけ食べてりゃ結構カロリー凄そうだけど。」
「私、昔から太りづらいんです。だから気にせず食べるようになっちゃって、うぅ。」
珍しく凹みだした緋結華を見て、峰岸が慌ててフォローする。
「いやいや、御奈坂の食べっぷりは見てて気持ちいいよ、しかも太らないなら大丈夫だろ。」
「うぅ、ありがとう峰岸くん。」
「悪かったよ緋結華。あーんってするから、それでチャラにしてくれ。」
「…本当ですか?」
「あぁ、詫びとしてってのも変な話だが、それで良ければ。」
「はいっ、ありがとうございます!」
一転して笑顔になった緋結華は、俺の方へと顔を近づけてくる。
「はい真也くん、お願いします。」
「あ、あぁ。」
顔が近い、恥ずかしいなこれは。
緋結華の整った可愛らしい顔が、すぐ目の前にある。
長い睫毛や薄桃色の唇、仄かに香る甘い匂い。
今更だけど、緋結華って凄い美人だよな。
莉乃姉とは違った意味での綺麗さというか、女の子らしい可愛らしさ。
峰岸が好きになるのも仕方ないというか、実はかなり人気あるんじゃなかろうか。
「じぃー。」
「………何だ莉乃姉その視線は。」
「別に、随分顔が近いのに見つめ合ってるなぁって。ふんっ。」
「あたしの時はすぐに終わらせるくせに…。」
マズイ、莉乃姉の機嫌が下降気味だ。
つか確かに早くしないとそう見えるよな、気を付けよう。
俺はもう三度目になるその動作を素早く済ませると、ゆっくりと緋結華の口へと運ぶ。
「緋結華、あーん。」
「あ、あーん。」
緋結華の大きな瞳が一瞬俺を見つめて、おずおずと口を開いた。
うっすら頬を赤らめた緋結華が、フォークに絡めたパスタを頬張る。
やっぱり何度目だろうと恥ずかしいな、毎回違う相手だから仕方ないけどさ。
俯き気味に口を動かす緋結華は、飲み込んだ途端に莉乃姉と恵恋を見て言った。
「これは…ヤバイですね。」
「だろう!やっぱり真也は素敵だな、大好きだぞ真也!」
「どさくさ紛れになに告白してるんですか貴女は。まぁ、意見は同じですけど。」
「ありがとう真也くん、憧れが一つ叶ったよ!」
俺の手を取って微笑んだ緋結華に俺も笑みを返す。
「まぁこれくらいで役に立ったなら良かったけどよ。」
「はいっ、凄くドキドキしました!」
嬉しそうに笑う緋結華に苦笑していると、俺の服の裾を引っ張られた。
視線を向けると、不機嫌そうな姫百合が俺の横に来ていた。
「どうした姫百合?」
「ボクだけあーんってしてもらってないから、ボクにもやってくれないとズルいよ。」
「う…マジか?」
「ボクだって皆が真也先輩としてるの見てたらしてほしくなっちゃうよ。」
瞬間、尋常じゃない悪意の視線が俺に集中した。
背筋が寒くなって後ろを振り返ると、店内にいた殆どの男たちが物凄い形相で俺を睨んでいる。
え、何でこんなに睨まれてんの?
すると莉乃姉が突然恍惚の表情を浮かべ始めた。
「真也としてる…うへへ、やっぱり最初は真也の部屋で、うへへ。」
「くっ、やりますね逢坂さん、天然でも今の台詞を言えるとは。」
「姫百合ちゃん、私は別に真也くんとそんな…。」
「え!?何でそんな風に言われてるのボク。」
俺と姫百合は互いに首を傾げてきょとんとしている。
すると峰岸が苦笑しながら傍にやって来て、俺と姫百合の肩に腕を回した。
「桐生、今は羨ましいとかそういうこと言わないでおくからさ、早く姫百合ちゃんにあーんってしてやれ。」
「は?何だよお前まで。」
「これは友としての忠告だ、早めに食べ終えて店を出た方がいいぞ。じゃなきゃ楽しくないことが起こるかもしれん。」
「どういうことなの峰岸先輩?」
峰岸のそんな言葉に、姫百合が不思議そうな視線を向ける。
「理由は後で教えてあげるね姫百合ちゃん。とにかく今は桐生にあーんってしてもらいたいだろ?」
「う、うん、それはそうなんだけど。」
「なら早速やっちゃおう、ほら桐生も。」
何故か俺たちを置いて話を進める峰岸に首を傾げながら、俺は姫百合にパスタを近づけていく。
「ほら姫百合、あーん。」
「あ、あーん。」
「……美味いか?」
「うん、美味しいねこのパスタ。」
「そっか、それなら良かったけどよ。」
ぽんぽんと頭を撫でてやりながら笑うと、姫百合もはにかんだ笑みを浮かべた。
俺は食べられて空になった皿にフォークを置きながら、そっと横目で周りを見回す。
………なるほど。
原因は解らないが、確かに出た方が良さそうだ。
俺は恍惚としている莉乃姉を揺らして正気に戻しながら、そっと恵恋に耳打ちした。
「恵恋も早く食べちまえ、ここを出るぞ。」
「真也さんも気づきましたか。そうですね、今のわたしたちの騒ぎ方が彼らにはお気に召さなかったようです。まぁあのメンバーでこんな場所に遊びに来ているくらいですし、理由は解らなくはないですが。」
「そうなのか、まぁそれはいいや。とにかくあの雰囲気は楽しそうじゃないしな、絡まれる前に出よう。アイツらも腹が減っててここに来たんだし、外に出ちまえば追ってこないだろ。」
「同感ですね。では真也さん、小湊さんの方は任せましたよ。」
恵恋は静かに立ち上がると緋結華の方に近づいて、きょとんとしている緋結華にかなり強引な方法で残っている飯を食わせ始めた。
まぁいいか、厄介事になるよりいいだろ。
俺はまだ遠い彼らを気にしながら、悦に入った莉乃姉をぐらぐらと揺らす力を強めた。
レストランを出た俺たちは、冷房という文明の利器の偉大さを改めて痛感させられる暑さに項垂れながら、次のアトラクションに向かって人で溢れるメインストリートを歩いていた。
少し前の方では、暑いからって恵恋に冷たい視線を要求した峰岸が本気で凹み、莉乃姉と姫百合がそれを見て笑っている。
元気だよなぁ、よくこの暑さの中で騒げるよ。
「うぅ、何だかお腹が重たいです…。」
緋結華がお腹を擦りながら、俺の隣でそんなことを呟いた。
俺は峰岸から借りた団扇で暑そうな緋結華を扇いでやりながら苦笑する。
「そりゃまぁあれだけ食べれば重いだろうな、緋結華の何処にあれだけの量が入るのか不思議なくらいだぞ。」
「うぅ、言わないで下さいよ真也くん。外でも気にせず食べちゃうの止めようかな。」
「いいんじゃないか別に、見ていて気持ちがいい食べっぷりだしな。」
「そうだとしてもですよ、女の子があんなにパクパク食べてるとみっともないかなぁって。」
お腹が重いせいだろうか、珍しく弱音を吐いている緋結華の頭に俺は手を置いた。
「まぁ多少周囲の目ってのは気にしなきゃいけないものなんだろうけどさ、それで自分を騙さなくたっていいと思うぞ。緋結華がやってることは別に誰かに迷惑をかけることでもないんだしな。」
元気づけるための言葉だった。
でも緋結華は俺の目をいつものように真っ直ぐと見つめ返してくる。
「………じゃあもしも結果的に誰かが悲しい思いをしたり、誰かが苦しくなってしまうことを私がしたらどう思いますか?」
そう呟いた緋結華からは、さっきまでの弱さは感じられない。
どこか遠くを見ているようなその茶色い瞳は、少し、悲しさを湛えているように見える。
だがそんな雰囲気は、俺が答えに迷っていると不意になくなった。
「なーんて、冗談ですよ真也くん。私は誰かが悲しかったり苦しかったりするのは嫌です、だからそんなことしませんよ。」
優しく微笑んだ緋結華は、そう言ってまたお腹を擦り始める。
まるでスイッチが切り替わったみたいに、違和感なくもとの緋結華に戻った。
だけどそれが俺には酷く違和感で、どうしようもない綻びを見つけた気がした。
さっきの言葉、あれは心の叫びのようなものだったんじゃないか?
いつもニコニコと笑っていて、誰にでも気さくで優しい。
そんな風に見える緋結華の、あれは綻びだったんじゃないか?
………助けてもらったんだ、俺は。
だから、俺がするべきことは決まってる。
それが余計なお世話だとしても、踏み込んでいこう。
小さな悲鳴を、聞き逃さないように。
溢れる涙をなかったことにしないために。
「緋結華。」
「はい?…ん。」
俺はそっと緋結華の頭に手を乗せて、真剣な表情で言った。
「後で、話を聞かせてくれよ?」
「あ………はい。」
俯いた緋結華は頷いて、少しだけ震える手を俺の手に重ねた。
この小さな手を、俺は離さない。
だって俺たちは、大切な友達なんだから。




