Day.9 福音は鳴った2
Hiyuka Side
「そうだな……同じ質問を返すようで悪いが、緋結華には好きな人とかいるのか?」
私を見ながらそう言った真也くんに、思考が一瞬だけ止まった。
どくんと一度、少しだけ苦しい鼓動。
驚きと戸惑いが半分ずつ。
口からは自然と、その心境を表した言葉が零れていた。
「……まさか真也くんからそんな質問が来るとは思いませんでした。」
「悪かったな思いつかなくて。」
「いえ、全然大丈夫ですよ。あはは…えっと、その。」
心臓が変になったみたいに、いつもより細かく鼓動を刻む。
無言ってわけにはいかないよね、何か言わなくちゃ。
段々顔が熱くなってきて、これはきっと太陽のせいだと思いながら、私は次の言葉を口にする。
「……好きかどうかは判りませんが、気になっている人はいますよ。」
「へぇ、俺の知ってる奴なのか?まぁあんま知り合いっていないけどさ。」
「えっと、知らないと変っていうか、何と言いますか…。」
言ってもいいのかな、でも本人に言うのって変だよね。
気になっている、けど…。
そんなこと本人に言うのは告白と変わらない気がする。
う、それは恥ずかしい。
誤解されてもおかしくないし、逆に恋愛として好きなわけじゃないとか言ったら傷つくよね。
でも、傷つかないかもしれない。
あ、それは寂しいな。
それってまったく興味を持たれてないってことだし、真也くんにはできれば好かれたい。
…あれ、まただ。
私、真也くんにどう思われたいんだろう。
でももしここで真也くんのことが気になってるって言ったら、真也くんはどんな反応するのかな。
…うん、言ってみよう。
もしかしたらその反応次第で、私自身の気持ちにも気づけるかもしれないし。
恥ずかしいけど、モヤモヤしたままは嫌だから。
自分の決心を確かめるみたいに頷いて、私は真也くんを見た。
小さく跳ねた鼓動を無視するみたいに、私は口を開く。
「私が気になっている人は……。」
「どーん!」
「のわっ!?」
真也くんですと続けようとした瞬間、真也くんは目の前から姿を消した。
正確には、潜水して近づいてきていて莉乃さんが、とっても楽しそうな笑顔で真也くんが寝ていたエアマットをひっくり返したのだ。
呆気にとられていると、すぐに海から顔を出した真也くんが、張りついた前髪を退かしながら莉乃さんに文句を言った。
「おいコラ莉乃姉、人ののんびりした時間を邪魔するからにはそれなりの理由があんだよな?」
「あたしが真也にじゃれつくのに理由なんてない!」
「上等だ、たまには反省してもらうか。」
「それよりももっとあたしに構って!」
「はぁ、せめて十秒くらいは反省できねぇのかよ。」
「あっはっは!それより向こうで遊ぶぞ、ビーチボールがあるんだ!休んだ後ははしゃがなくちゃな、緋結華も行こう!」
「は、はいっ!」
エアマットを担いで歩いていく莉乃さんを見ながら、真也くんは溜め息を吐いた。
それが親愛からくる呆れなのだと気づくと、何故か少しだけ寂しい。
その理由に頭を悩ませていると、真也くんが苦笑しながら振り返った。
「ったく、悪いな緋結華。」
「大丈夫ですよ、ちょっとタイミング良かったかもなって思ってますから。」
「ん?」
「気にしないでください。それより行きましょうか、莉乃さんが待ってます。」
胸の高鳴りが強くて苦しい。
言ってないのにこれだけドキドキするんだから、莉乃さんが来なかったら今頃心臓がどうにかなってると思う。
マットから降りて海に入ると、冷たい水が強かった鼓動を落ち着かせてくれた。
でもこれで、なんとなく解ってしまった。
言葉にはしないけど、きっとそうだ。
だけど今度はもっと困る。
だって理由がわからない。
いつからなのか、どうしてなのか、どれだけ頭の中を整理しても答えは見つからなくて、鼓動ばかりが強くなる。
でも仮に答えが見つかっても、それに意味なんてないよね。
私は今の皆との関係が好きだから、それを無くしたくない。
なら答えなんて初めから決まってる。
自分に嘘ついて、願いを隠すんだ。
もうあんな思いはしたくない、私は今のままで十分に幸せなんだから。
誰かの一番じゃなくて、誰かの二番目でいいんだ。
「そういえばさっき言いかけてたろ、結局誰だったんだ?」
「えっと……やっぱり秘密です。だって恥ずかしいですよ。」
「俺には似たようなこと答えさせといてそうきたか。」
「ごめんね真也くん、でも…いつか話すから。」
「そうか、なら気長に待たせてもらうよ。これからはいつでも聞けるんだし、緋結華が話したいと思った時まで待つことにする。」
そう言った真也くんに、私は暫く見惚れてしまった。
その笑顔はとても綺麗で、私の不安を拭ってくれる。
この人はきっと、私から離れていったりしない。
私も強く願ってるみたいに、真也くんも皆との関係が続いていけばいいと願っているんだ。
そして、信じているからこそ、いつまででも待てると言ってくれた。
ならもう少しだけ時間を貰おう。
誰かに相談したくなったりするかもしれないけど、きっと大丈夫。
だってこの人は…。
「もし考えがまとまらなかったら、真也くんに相談してもいいですか?」
「俺に?……まぁ、役に立てるか判らないけどな、俺でよければ構わないさ。」
「はいっ、真也くんなら安心ですよ!」
「お、おう。」
大きな声を出した私に驚いて、真也くんが苦笑した。
やっぱり大丈夫だ、私もきっと変わっていける。
昔からの私じゃなくて、皆と一緒の私に。
二人で皆の方へ歩きだす。
安心ついでに、今日は思いっきり楽しまなくちゃ。
白砂の上に立つ六人。
三人ずつに分かれて向かい合う両チームの間には、足で適当に引かれた一本のライン。
前に立つのは莉乃姉、恵恋、峰岸。
俺の後ろに控えているのは、緋結華と逢坂だ。
ビーチボールを脇に挟む莉乃姉は、不敵な笑みを浮かべて俺を指差した。
「真也、約束だからな!」
「あのなぁ、そんな約束に意味はあるのか?」
「あるとも!あたしが勝ったらデートってことにしとかないと、真也は適当な理由で断るに決まってる!」
「そもそも俺が勝ってもメリットがないのがおかしいだろ。」
「あたしとのデートはメリットじゃないのか!?」
「体力がない人はお断りのアトラクションだろ?」
「失礼な!因みに今度こそ18禁デートにしてやるからな!」
「なら俺は17歳だから駄目じゃないか?」
「くぅ、ああ言えばこう言う。峰岸、お前も何か言ってやれ!」
「了解です姉御!コラァ!羨ましいぞ桐生!」
「うっせぇなぁ、なら代わってくれ。」
「全力で任せろ!姉御、オレが代わりにお付き合いしますぜ!」
「あたしは真也じゃないとデートなんてしないぞ?」
「桐生テメェ!今のが一番グサッときたぞ!」
「まぁそうなる気はしてたけどな。」
「確信犯かよ!?」
「さっきから五月蠅いですよ木偶の坊、少しは静寂を貴ぶ気品はないのですか歩く騒音。」
「何か二重に罵倒された!?」
「峰岸先輩って可哀想だよね。」
「あはは、峰岸くんは大変だね。」
「絶対勝つぞ二人とも!」
「個人的には悔しいんで負けたいところだけど、嫌な予感がするんで頑張るッス!あぁ、どっちにしてもオレって負けな気がする!」
「今更ですがわたしも約束をしておくべきでしたね、迂闊でした。」
「真也くん、頑張りましょうね!」
「まぁ負けたら俺が面倒だからな。」
「ボクも真也先輩のために頑張るよ。」
騒々しい牽制はそこで終わり、莉乃姉がボールを構える。
ルールは単純、相手チームのエリアにボールを落とせばポイント、逆なら相手にポイントだ。
十点先取で試合終了、負けると俺だけペナルティ。
ネットがないから自分の身長より高い位置でラインを超えないといけない。
つまり恵恋や逢坂の攻撃は低い位置から飛んでくるし、俺や峰岸のボールは高い位置から飛ぶってことになる。
だから勝つならなるだけ逢坂にディフェンスさせて、緋結華を経由した俺の攻撃ってのがベストだろうな。
でもあいつらはどう攻めてくる?
予想では莉乃姉が無闇に攻めてきそうなんだが。
「行くぞー!」
莉乃姉が高くトスを上げて、抜群のタイミングでジャンプした。
つっても物はビーチボールだ、どうやっても速度は出ない。
なら確実に落ちる位置を予測して、取れそうな奴に指示を出そう。
「とりゃぁ!」
高い位置から打ち出されたボールは、真っ直ぐの俺へ向いている。
よし、これなら確実に。
そう思って腰を落とした瞬間、急激に角度を変えて、ボールは弧を描いた。
「クソッ!」
咄嗟に右手を伸ばすが、ボールを弾いただけで地面に落ちた。
着地した莉乃姉が、高笑いしながら胸を張る。
「あーっはっはっは!どうだ真也、早すぎる反応速度が仇になったな。」
「チッ、こんなとこでも活躍するのかよ。」
「即座に軌道を読めるのは凄いが、今回はそのせいで反応が遅れたな。」
「それでも真也先輩掠らせてたよね。」
「仕方ない、だが次は必ず返してやるからな。」
「うふふ~、真也が悔しそうなのを見るのは久しぶりだな~。」
楽しそうに笑う莉乃姉。
まったく、やってくれるじゃないかよ。
だけどどれくらい曲がるのかはわかった。
緩急をつけられたら厳しいが、対処できない球じゃない。
ただあれを逢坂に取らせるのは酷だ、結局たったこれだけで攻守を封じられたか。
ホント、どんだけ本気で勝ちにくるつもりだ莉乃姉め。
「よっしゃー、流石は姉御ぉ!」
「あーっはっはっは!」
「わたしも負けていられませんね、次はわたしの番です。」
恵恋が無表情にトスを上げて、落ちてきたボールにその小さな手を叩きつけた。
意外に鋭く打ち出されたボールは、真っ直ぐに峰岸の後頭部へと吸い込まれていく。
「痛ぇ!?」
「あら、間違えました。」
「おいコラ冴塚!絶対今のわざとだろ!」
「失敬な、わたしはきちんと前に打ちましたよ。そもそも、貴方がカカシみたいにそこで突っ立ってるのが悪いんです、少しは反省したらどうですか?」
「あ、はい、すみません……っておかしいだろ!」
「何なんですか貴方は、文句ばかりですね。そうやって事を大袈裟にして、協調性を乱すのが仕事なんですか?」
「何で被害者のオレが悪者に!?」
「凄いね、ボクあれほどの理不尽を見たことがないよ。」
「安心しろ、これから嫌というほど見慣れた光景になるだろうからな。」
「いやいや、安心なんてできないから。」
今日の恵恋は随分と辛辣だな、強くなれ峰岸。
「さて、悪いが今ので同点、攻守交代だ。」
「ふふん、あたしの前に真也は膝をつくことになるだろう。」
「言ってろ、そう簡単に負けてやらないぞ。」
俺は転がっていたボールを手にすると、トスを上げるために構えた。
小手先の手段だが、初撃で決める。
高く上げる動きで、素早く打ち出すクイックショット。
咄嗟の動きで莉乃姉は反応したが、これだけタイミングをずらせば追いつけないだろ。
狙うのは意気消沈している峰岸、悪いが速攻で終わらせる。
「甘いぜ桐生!」
「なっ!?」
ほぼ完璧なディフェンスで、峰岸は俺の球を高く上げた。
「勝っても負けても悔しいのは変わらないけどな、負けたら後が怖いんだよ!」
「そんな理由で戦えるお前に敬服するよ。」
「うるせぇ!愛に囲まれたお前にはこの辛さがわからないだろ!」
「よくやった峰岸、お前の思いを無駄にはしないぞ!」
恐ろしく悲しい根性で上がったトスを、莉乃姉が持ち前の運動神経でこちらのコートに叩き込む。
緋結華が懸命に手を伸ばすも、努力空しくボールは砂に跳ねていく。
ハイタッチする二人を見ながら、緋結華が申し訳なさそうに謝ってきた。
「ごめんなさい、下手くそで。」
「いや、気にするな。今のは俺の攻め方もまずかった。」
「真也くん…。」
「コラァ!イチャイチャするなー!」
「桐生、お前って奴は……オレも混ぜろ!」
「まったく、戦いの最中にラブコメとは、見損ないましたよ真也さん。」
「そういうんじゃねぇよ!」
「こうなったら徹底攻撃だ!真也と必ずデートしてやる!」
「納得いかないけど了解ッス姉御!」
「わたしも勝ったら何かしてもらいます。」
身勝手な理由で士気が上がる相手チーム。
それからの奴らは凄かった。
悲しみのディフェンスをする峰岸と、ハイテンションでアタックする莉乃姉。
恵恋は…きっとディフェンスだったのだろう、ボールには触れていなかったが。
結局最終的には最初に恵恋がくれた点だけで、一方的な惨敗だ。
逢坂と緋結華も一生懸命頑張ってくれたが、あいつらの勢いの前に気持ちが負けてしまったんだろう。
勝ち誇った顔の三人に、俺たちは苦笑した。
莉乃姉は腰に手を当てて笑い、峰岸は勝ったのに膝をついて悔しがる。
恵恋はいつもの無表情を崩して、莉乃姉みたいに胸を張って踏ん反り返っている、お前は何もしてないだろうに。
ったく、かったりぃ結果に終わったな。
俺は後ろの二人に振り返り、頭を下げた。
「悪かった、ほとんど役に立てなかった。」
「真也くんは悪くないですよ、寧ろ一番頑張ってましたし。」
「それこそボクたちは何もできなかったし、真也先輩の方が大変じゃない。」
「まったくだ、忙しくなりそうな予感しかしねぇ。」
「あーっはっはっは!あたしの愛の勝利なりー!」
「クソッ、オレは喜ぶべきなのか!?」
「ふふふ、真也さんをどうやって連れ回してあげましょうか。」
他の二人はともかく、峰岸はお疲れ様。
味方がいない中でよく頑張ったな、敵ながら感服だよ。
「じゃあ真也、明日は朝からデートだからな!」
「早速なのかよ!?こんだけはしゃいで明日もなのか!?」
「善は急げ、もういっそ今夜は何処かのホテルに泊まるか!そして既成事実を、ふふふ…。」
怪しげな笑いを浮かべる莉乃姉に、俺の背筋が寒気を発した。
今日は素早く帰ろう、莉乃姉から逃れるために。
すると莉乃姉は素早く荷物に走って行ったかと思うと、携帯を取り出して耳に当てた。
「あ、お母さん。今夜は真也と一緒だから、うん、あたし頑張って女にしてもらうから!」
「行動が早すぎんだよ!その顔は絶対向こうも了承しやがったな!」
「女にしてもらうって……あぅ。」
「おい緋結華、勘違いすんな!あれは莉乃姉が勝手に言ってるだけだ!」
「やっぱ勝つんじゃなかったー!桐生の馬鹿野郎!」
「うるせぇアホ!絶対そんな展開にはしねぇ!」
「真也さん、わたしとの約束も忘れないでくださいね。」
「待てコラ恵恋、約束も何もしてねぇだろうが。」
「わたしだけご褒美がないなんて不条理です、わたしにも勝利の報酬を要求します。」
「ホントに何も得られなかったのは峰岸だからな?」
「くぅ、桐生は敵なのに一番の理解者かよ、あぁ、涙が出てきそうだ。」
「峰岸先輩って不憫すぎるよね。」
「逢坂、言わないでやれ。」
こうして恐ろしく私情にまみれたビーチバレーは終わりを迎えた。
後にも先にも後悔しか残らない酷い戦いだったが。
まぁでも、少しだけ楽しかったかな。
「お昼ご飯だー!」
「そんな元気いっぱいに言わなくてもわかってるから。」
「それよりも……これはどうしましょうか?」
「そうだな、かなり切実にヤバいな。」
シートに丸く座った俺たちは、目の前に広がる光景に頭を悩ませていた。
俺の前には莉乃姉が作った和食づくしの弁当箱。
そしてそれ以外に、もう二つ。
緋結華が作ってきた洋風の弁当と、恵恋が作ってきた中華風の弁当。
それもしっかりそれぞれ人数分、総量推定18人前。
………いやぁ、無理だろこれは。
男なら一人で三人前も食えるだろうが、女性陣はそうもいかないだろうし。
この暑さじゃ残すと確実に傷み捨てることになる、つまりどうにかして食べきらなきゃいけない。
楽しいはずの食事が、胃薬必須の修行に変わった瞬間だ。
俺は隣に座る峰岸と顔を合わせると、互いに溜め息を吐いた。
「俺たちが頑張るしかないか。」
「そうだな、午後の時間は休息に早変わりだけどな。」
「ごめんなさい二人とも、私が作りすぎてしまって。」
「連絡不足だったな、あたしも悪かった。」
「わたしも誤算でした、まさか皆さんが持ってきてるとは。」
「いや、誰が悪いとかじゃないだろ。それよりもせっかく美味そうなんだ、なるだけ色々食べてみよう。」
「そうだな、オレも美味しく食わせてもらうぜ。」
「んじゃ、いただきます。」
『いただきます!』
渡された箸を手にして、それぞれが早速好きな料理へ手を伸ばす。
「おぉ、この唐揚げを作ったのは冴塚か!?」
「そうです、真っ先にわたしのお弁当を選んだことは褒めてあげますよ。」
「美味いな!味付けがお酢でさっぱりしてるのはいい感じだぜ。」
「峰岸さんにしてはきちんとした感想ですね、たまにはまともなことも言うじゃないですか。」
「褒めてんだからたまにはバカにするの止めてくんねぇかな。」
「この小さいグラタン可愛いね、流石は緋結華さんだ。」
「ありがとう、ちょっと頑張ったんだ。」
「……美味しい、ボクもこれくらい料理ができればいいんだけど。」
「あはは、練習すればすぐにできるようになるよ。」
「どれも美味そうだな、俺も食べさせてもらうか。」
俺も紙皿を持って箸を伸ばそうとしたら、既に皿には大量の料理がてんこ盛りだった。
「真也はあたしの料理を最初に食べる義務があるのだ。」
「はぁ、だろうと思ったよ。」
「よく味わって食べてくれ、今日はいつもよりも時間をかけて作ったからな!」
料理に目を移すと、確かにいつもは作らないような料理がいくつかある。
口に入れると、上品で繊細な味わいが舌に広がった。
文句なしに美味いその味に、俺は満足して頷く。
「美味いな、流石は莉乃姉だ。」
「その言葉が聞きたくてあたしは頑張るんだよー!」
「桐生が絶賛するほどの味とは……オレもいただきます!」
「私もいただいていいですか?」
「もちろんだ!遠慮せずにどんどん食べてくれ!」
「真也さん、そちらを食べ終えたら次はわたしのお弁当も食べてくださいね。」
「あぁ、いただくよ。」
恵恋や莉乃姉のもそうだが、緋結華の洋風弁当も相当に美味しそうだ。
昨日の昼に作ってくれたオムライスは絶品だったし、これは期待の持てる昼食だな。
量は確かに恐ろしく多いが、幸いにも互いのコンセプトが全く被らなかった。
これなら途中で飽きたりして辛くなるということはなさそうだ、いやまぁ重ねて言うが量は多いけど。
俺は莉乃姉が取ってくれた料理を食べ終わると、次いで恵恋の弁当に箸を伸ばす。
中華風だけあって中々に豪勢だ、これはかなり気合が籠ってるな。
「わたしもたまには一生懸命に作るんですよ。」
「恵恋は毎日料理してるし、何度か食わせてもらってるからな。おすすめはどれなんだ?」
「シェフが喜ぶ質問をするとは、真也さんにしては上出来です。おすすめはその回鍋肉ですよ。」
「これか、確かにこれは美味そうだな。」
黒いソースで炒められた豚肉と野菜を箸で挟むと口に運ぶ。
魚介っぽい旨味と肉の旨味が上手く調和していて、下手な料理屋よりよほど美味い。
他の料理も食べてみるがどれもいい味付けで、持ち寄った弁当にしては上等すぎるものだ。
「普段はこういうの食べないからたまにはいいな。」
「……良かった。」
「ん?」
「何でもありません。わたしの料理が美味しいのは当然ですが、莉乃さんとの食事で舌が肥えている真也さんがそう言ってくれたなら、わたしも腕を上げたということですね。」
「前から俺は恵恋の飯は美味いと思ってたぞ?」
「ですが実際に美味しいと言ってくれたのは初めてです、貴方はもっと思ったことを言うべきですよ。」
「あ、それは私もそう思います。まだまだ真也くんは私たちに遠慮がちな気がします。」
「む、そんなつもりはないんだがな。」
一応言いたいことは言ってるはずだけど、周りはそう思ってないらしい。
もしかしたら無意識に遠慮してるのかもしれないな、これからは少し気にしてみよう。
さて、ちょっと喉が渇いてきたな。
「はい真也、冷たい緑茶だ。」
「ん、ちょうど喉が渇いてきたところだった、ありがとう。」
「真也のことなら何でもわかるさ、たくさんあるからゆっくり飲め。」
「ここまで運ぶの重かっただろ、言ってくれたら持ったのに。」
「じゃあ帰りはあたしを抱き締めながら歩いてくれ!」
「それは断る!俺が持つと言ったのは荷物の方だ。」
「えぇ~、いつもみたいに優しくあたしを抱き締めてくれよ~。」
「んなこといつもしてねぇだろうが。」
「…本当にお二人は仲良しさんですね。」
俺と莉乃姉のやり取りを見ながら、緋結華はそう言った。
その意見は皆も同じらしく、微笑ましいものを見るような視線が集まって、少し恥ずかしくなる。
逆に莉乃姉はそんな視線が嬉しかったのか、俺の手を握って笑う。
「あたしたち付き合って長いからな、そろそろ結婚も考えているんだ。」
「勝手に話を捏造すんな!」
「桐生め、見せつけやがって!」
「まったくです、ただでさえ暑いのに気温を上げないでください。」
「莉乃姉が一人でやってるだけだ、俺のせいにすんな。」
「もういいだろう真也、付き合ってるってことで。」
「話の流れでそうなると思ってんなら大間違いだ。」
「学校の部活連中が聞いたら妬まれるぞ桐生。」
「知るかよ、そいつらこそ莉乃姉にアタックすりゃいいだろ。」
「あのなぁ桐生、小湊先輩が桐生大好きってのは既に周知の事実なんだ。そんな中で先輩にアタックするなんて、涙で枕を濡らしたいとしか思えないぞ。」
「嫌な事実だな、莉乃姉もどんだけ周りに言い触らしてんだよ。」
「だって告白ばっかりだったから、あたしはもう真也のものだって言っとかないと引かないだろ?」
「そこからして嘘なんだから止めてやれよ可哀想に。」
「どちらにしてもあたしは真也にしか興味ないんだから、もう真也が貰ってくれないと困るんだ。」
「そういうこと言って困らせんなよな。」
「でもよ桐生、そろそろ身を固めないと大変だぞ?」
「は?何で大変なんだ?」
「桐生は知らないだろうけどな、お前ってかなり女子から人気があるんだぜ?」
「は!?」
「そうですね、こうして雰囲気の変わった真也くんなら、きっとこれから話しかけられたりするかもしれません。」
「あたしの真也に声をかけるなんて許さん!」
「でも小湊さん、実際真也さんは大人気なんですよ。話しかけづらい雰囲気のお蔭で今までは何もありませんでしたが、丸くなった真也さんなら勇気を出す人が現れても不思議はありません。」
「くそぅ、真也が素敵すぎるのも問題だな。」
「もしかしたら、もう二人だけの問題ではなくなってくるのかもしれませんね。」
「うぅ、どうしよう、真也が取られちゃう。」
緋結華の言葉に本気で悩み始めた莉乃姉。
しかしあまり話しかけられても困るな。
ただでさえ不慣れな相手とは戸惑って会話なんてできないのに、こいつらの言う通りのことが起こり始めるとなるとかなり辛い。
「告白されてもちゃんと断るんだぞ真也!」
「あぁ、そうなるだろうな。」
「あぁでも心配だ……そうか!あたしが常に真也の隣にいれば誰も近寄れないな!」
「なんて鬱陶しい提案だ、脚下に決まってんだろ。」
「なら教室では私が、他の場所では莉乃さんと恵恋さんが交代で。」
「ちょっと待て、何で緋結華まで乗り気なんだよ。」
「そして桐生に近づけず落ち込んでいる女子にオレが優しく声をかけるんだな、任せろ!」
「いやいや、だから何でそこまでするんだ?俺がきちんと断ればいいだけの話だろ。」
俺がそう言うと、女性三人は顔を見合わせて言う。
「だって真也はそういう場面になったら相手の勢いに押されて頷きそうだ。」
「女の子が泣こうものなら優しく抱きしめて、気がつけば付き合う流れになってるでしょうね。」
「上手く断れても、優しく断ってくれたって噂が広まって、なら私もって感じで続々と告白者が現れそうです。」
それを聞いた残りの二人も、納得したように頷く。
ったく、信用ないな俺も。
「そもそも告白されることが前提で会話を進めんな、そうはならねぇかもしれないだろ。大体告白なんてそんな軽々しくするものじゃないだろう。」
「誰も軽々しくするわけじゃありませんけど、勢いが必要なのも確かですよ。」
「あたしだっていつも全力で告白してるんだぞ!」
「それは絶対違うな。」
「なにぃ!?」
「つか俺と関わってもろくなことにはならねぇよ、相変わらず駅前とかの連中には睨まれてるし、俺の強さじゃ何かあった時に守れる人数なんてたかが知れてる。」
俺はそこで一旦言葉を区切ると、俺に集中する視線から目を逸らしながら言った。
「だから…俺にはこの六人で十分だよ。」
恥ずかしさに顔が赤くなるのがわかる。
嘘は言ってないが、もう少し言い方を考えるべきだった。
実際これほどの思いを告げられたら、断るのは簡単じゃないだろう。
この程度の告白でこれだ、確かにそれなら助けてもらった方が得策かもしれない。
だがそれよりも今は…。
「あたしは一生真也と一緒にいるからな!」
「真也さん…わたしにこれ以上友人を作る気を失わせましたね、そしてわたしを独占とは、策士です。」
「私でよければずっとお友達ですよ!」
「ボクも真也先輩がいればとっても安心だよ。」
「おぉー桐生!今から仲間とは何なのか熱く語り合えそうだぜー!」
「よしっ、早速式場を予約だ!」
「待て!それは明らかにおかしい!」
「真也は背が高いからタキシードが似合うな!あたしもウェディングドレスが着てみたい!誓いのキスは何回もしよう!天に誓ってあたしは真也が大好きだ、あはははは!」
「あ、あはは…。」
「真也さん、どうするんですか?小湊さんが夢の世界に突入しましたよ?」
「はぁ…もう放っておく。それよりも飯だ、この調子じゃいつまでもなくならない。」
そう言いつつも、俺は俯いて笑っていた。
自分の真剣な思いが受け入れてもらえて、単純に嬉しかったんだ。
でも素直に喜びを表すのは恥ずかしくて、それを皆に気づかせたくなくて。
大きな喜びを小さな笑みに込めて、俺は顔を赤らめながら食事を再開したのだった。
シートに横になるのも本日二度目。
初めは疲れによるものだったが、今回はエネルギー過多だ。
今にも張り裂けそうな腹部は、暫くは動くなと訴えかけてくる。
まったく、よくあれだけの食べ物が胃袋に収まったものだと感心するくらいだ。
三人の料理が美味かったからどうにか食えた。
種類も豊富だったし、飽きてキツくもならない。
隣に横たわる功労者は、俺以上に動けなくなっているが。
「おい峰岸、大丈夫か?」
「あぁ、なんとかな。だけどこれじゃ動けねぇよ、胃袋が重すぎる。」
「そうだな、もう暫くは休まないと身体に悪い。」
「にしても逢坂め、一人だけ少なく終わってんじゃねぇよ。」
「ごめんね、ボク少食だから。」
「そんなんだから身長伸びないんだぞ、たくさん食べろよ。」
「逢坂、気にするな。無理して食べるようなことはないさ。」
「うん、ありがとう真也先輩。」
「あぁそれにしても、素晴らしい眺めだな。」
峰岸は身体を起こすと、海を眺める。
少し離れた波打ち際には、食後の休憩を終えて遊び始めた三人が、バシャバシャと水を掛け合っていた。
辺りの男の視線を集める彼女らは絵になっていて、確かに綺麗だ。
「なぁ桐生、実際誰が好みなんだよ。」
「はぁ?…そんなの訊いてどうすんだよ?」
「どうするって、単純に興味があるんだよ。桐生ほどのやつなら大抵の女子は興味を持つだろうし、なら逆に桐生はどんな人に興味を持つのか気になるわけよ。」
「んなどうでもいいことより、お前は緋結華を振り向かせることを考えたらどうだ?」
「う……。」
峰岸は悔しそうに苦笑いすると、視線を緋結華に向けた。
莉乃姉を綺麗とするなら、緋結華は可愛いタイプの容姿をしている。
無邪気で天然っぽいところがあり、人当たりも良好だ。
誰にでも分け隔てなく気を遣い、人懐っこい性格は、なるほど人気も出るだろう。
莉乃姉も人気は高いみたいだが、どちらかというと高嶺の花というイメージが強い。
莉乃姉には憧れで終わっても、緋結華になら告白してみようと思う連中も多そうだ。
緋結華は取っ付きやすい雰囲気だし、誰にでも好かれるだろうな。
峰岸もそんな例に漏れず、緋結華に想いを寄せているわけだし。
「峰岸は何で緋結華が好きなんだ?」
「何でって………御奈坂ってなんでも一生懸命に頑張るじゃん。人のために苦労を背負ったり、他の女子とは違って見えるんだ。そりゃきっかけは可愛いなって思ったからだけどさ。」
「緋結華さんってまさに女の子って感じだもんね、お嬢様みたいな可愛さだし。」
「確かにお嬢様っぽいな、別に高いものを身に着けてるってわけでもないのに。」
「そうだよな!やっぱ御奈坂は素敵だぜ!」
そう強く言う峰岸は本当に嬉しそうだ。
自分が好きな人を褒められて、まるで自分が褒められている気分なのかもしれない。
だが喜びは束の間、すぐに峰岸は目を伏せた。
「どうした?」
「…御奈坂ってさ、これだけ周りの人間に好かれてて、いつも誰かが傍にいるようなやつなのに、何処か寂しそうに見えるんだ。」
「寂しそう?」
「オレさ、よく教室で御奈坂のこと見てるんだ。友達と仲良さそうに話してたり、別のクラスのやつに話しかけられてたりするんだよ御奈坂は。でもさ、たまにふと感じるんだ、何か寂しそうだなって。」
「そうなの真也先輩?」
「いや、俺はあまり教室での緋結華を見てないから。確かによく周りのやつと話してるってイメージはあるけど。」
「あぁ、パッと見ると楽しそうなんだ。だけどそう見えるのに、何か一歩距離を置いて話してるような、そんな気がする。」
「でももしそれが確かなら、あいつの行動と矛盾してるだろ。」
緋結華は割と何でも積極的だし、話すときも比較的あいつの方から話しかけてくる。
もし距離を置きたいと考えているなら、それはむしろ真逆の行動だ。
それは峰岸も感じていたのか、俺の言葉に小さく頷いた。
「オレもそれは考えてた。寂しいから話しかけるのは解る、だけどそこで一歩距離を置くのは変だろ。まぁ相手に嫌われるのを恐れてってこともあるのかもしれないけど、周りからも積極的に話しかけられてる人間がそんなことを気にしたりしないだろ。」
「そうだね、もし嫌われるのを恐れてるなら、そもそも積極的に話しかけたりしないもん。」
「緋結華がいる環境とそれに対する反応の間に違和感がある、お前はそう言いたいんだな?」
「あぁ、オレの勘違いなら何の問題もないけど、本当ならできれば理由が知りたい。そんでできるならオレが力になりたい。だってよ、そんなの辛いじゃんか。」
悲しそうな目で、遊んでいる緋結華を眺める峰岸。
その想いは真摯で真剣だ。
いつもの元気さは身を潜めて、緋結華のことを案じている。
本当に緋結華のことが好きなんだろうな。
「何か峰岸先輩のこと見直したよ、真剣に緋結華さんが好きなんだね。」
「あぁ、オレは御奈坂を守りたいって思ってるんだ。だから御奈坂を泣かせる奴は許さないし、泣きそうな時は傍にいられたらいいなって思う。まぁ、御奈坂がオレを選んでくれるかはわからないけどさ。」
「でもその気持ちは素敵だと思う、ボクも応援してるよ。」
「ありがとな逢坂………よっしゃ、オレも桐生と姉御みたいに御奈坂と仲良くなるぞー!」
元気を取り戻した峰岸は、立ち上がると海に走り出した。
その背中は期待に満ちているみたいに、少し輝いて見える。
恋をした強さか、何かちょっと羨ましいかもな。
俺もいつかまた誰かを、あんな風に想えるようになるのかね。
あれだけ本気の想いなら、俺も応援してやろうって思える。
「恋って素敵だね、女の子がそういう話が好きなのも解る気がするなぁ。話を聞いているだけなのに、まるで自分も恋愛してるような気分になってくるよ。」
「お前も誰かに恋をしたらいいじゃないか、逢坂なら引く手数多だろ?」
「あはは、ボクは今のままじゃ恋愛なんてできないんだよ。」
「何でだ?」
「…ボクもまた、自分のことで精一杯だから。」
そう言って笑う逢坂の顔は、少しだけ悲しそうに見えた。
こいつも何か思い悩むことがあるんだろう。
それが何なのか解らないけど、俺で力になることはできるだろうか。
「もし逢坂が何か悩んでるなら言えよ、俺でよければ力になるぞ。」
「え……何でボクが悩んでると思うの?」
「はぁ……お前さ、そんなに悲しそうに笑っといてそれはないだろ。」
「悲しそう?」
俺に言われて逢坂は自分の顔をぺたぺたと触る。
そうやって確かめた時点で自覚があるってことじゃないか。
「一人で悩むより、仲間に助けてもらう。その大切さを俺に教えてくれたのは逢坂、他でもないお前たちだろ?なら、そんな逢坂が一人で悩んでどうするんだよ。」
「そう……だね。」
「俺じゃ力になれないこともあるだろうけどさ、多少は役に立てるかもしれないだろ?」
「…うん。」
「それにさ……その。」
俺はこれから口にする言葉に恥ずかしくなって、一旦言葉を切る。
期待と少しの不安。
そんな色を瞳に宿した逢坂は、静かに俺の言葉を待っている。
俺らしくないけど、こいつには言っておかなきゃな。
深呼吸して気を落ち着けると、なるだけ気持ちが伝わるように言葉を選んだ。
「逢坂は大切な仲間だ。俺はあの孤独からお前たちに救ってもらった。だから今度は、俺がお前を助けたい。……迷惑だろうか?」
真剣な目で紡いだ言葉に、逢坂は何も言わずに俯いてしまった。
やっぱ迷惑だったかな。
悩みなんて軽々しく話せるものじゃないのに、余計なお世話だったかもしれない。
そんな不安を抱えながら黙って返事を待っていると、漸く逢坂は顔を上げてくれた。
何故か真っ赤になったその顔はもうホントに男には見えなくて、不安とかよりも別のことに意識を持って行かれそうになるのを必死に耐える。
逢坂が男だとか、実は冗談なんじゃないだろうか。
実は男に変装した女なんだと言われても全く驚かない、寧ろ自然なことのように思える。
そんな馬鹿みたいな想像をしてしまうような顔で、逢坂は照れながら首を振った。
「迷惑なんかじゃないよ、ボクのためにそんな嬉しいことを言ってくれて本当にありがとう。」
「お礼なんて、俺の方こそ今更だけどありがとな。」
「ううん、ボクたちは確かに手を伸ばしたけど、真也先輩が掴んでくれたから今がある。だからボクにもお礼は必要ないよ。」
「そうか……ならお礼じゃなくて単に友人として、俺は逢坂のためにできることをするよ、だから何でも言ってくれ。」
最近自然にできるようになった笑顔を浮かべて、俺はそう言った。
少しでもそれが逢坂のためになればいい。
「……その笑顔は卑怯だよ。」
「ん?」
「何でもないよ、いつか話すから。」
「あぁ、話せるようになったらでいいさ。」
「………ほんと、何でボクは男なんだろうね。」
小さな声で何か言った逢坂は、俺を見て笑う。
「ボクのことはいいから皆のところに行ってきなよ、もう十分に休んだでしょ?」
「そうだな、そうするか。それじゃちょっと行ってくるわ、荷物とかよろしくな。」
「うん、任せといて。」
満足そうな笑みを浮かべる逢坂を一人残し、俺は楽しそうに遊ぶ四人の方へと歩きだした。
Minegisi Side
オレは今、かつてない楽園にいる。
熱い夏の陽射し、潮の香りを含んだ海風。
冷たい水はオレの火照った身体を冷ますが、そんなことお構いなしにオレはヒートアップしていく。
何しろオレの前には、素敵すぎる光景が広がっているのだから!
「きゃっ、冷たいですよ莉乃さん!」
「うふふ~、可愛い声だなぁ。それ~、もっと聞かせてもらうぞ~。」
「流石は元生徒会長、いい性格してますね。」
最高に可愛い女の子三人が、最高に可愛い水着姿でキャッキャウフフなお戯れ中なのだ。
ふっ、興奮するなという方が無茶というものだぜ。
いつもなら野郎ばかりで海に来て、周りで暇そうな女性に玉砕覚悟で突っ込むが、今日はその必要もない。
並木高校三大美少女に指定してもいいくらいの彼女たちに囲まれている今、そんな必要がどこにあろう!
楽しそうに水をかけているのは、一つ年上の小湊莉乃先輩。
すらっと高い背と、日本人とは思えないほど長い手足。
艶やかな黒髪に、若干グレーな大きい瞳。
肌は白すぎず健康的で、シミや黒子はどこにも見えない。
そして最高品質のお胸様、噂ではEを超えそうらしい。
芸能人だと言われても納得してしまいそうなほどの美貌は、可愛いというより綺麗って感じだ。
でも一見クールそうに見えて、意外なほどよく笑う。
特に桐生と一緒にいるときの先輩は、無邪気に笑うのだ。
綺麗でいて可愛い、しかもお姉さんキャラ。
チクショー、何で桐生はあの美女にあれやこれやと尽くされ告白されボディタッチまでされてるのに正気を保てるんだ、羨ましいにもほどがあるぞ!
オレなら告白のこの字が出た時点でオッケーするのに。
………いや、告白するのに告白って言葉から話し始めないか。
そもそもオレには心に決めた想い人がいるんだ。
暫く小湊先輩の胸の揺れを目に焼き付けてから、視線を御奈坂に移す。
仕方ないんだ、男は例え好きな人がいようとも大きい胸に惹かれてしまう生き物だから。
まぁもちろん逆も然りだが、オレは断然大きい方が…。
落ち着けオレ、御奈坂だって負けてないじゃないか!
花柄のビキニに収まった胸は決して小さくない、寧ろ割と大きい方だ。
普段の服装からはわかりづらいけど、あれはとても素敵な美乳に違いない!
オレンジ色のパレオは御奈坂らしさが出ていて、もう最高に可愛い!
小湊先輩ほど身長は高くないが、あの身長は男にとって理想の高さと言える、抱き締めやすそう。
手足も白いし細いし、腰も綺麗にくびれている。
可愛い顔と、くりっとした大きめの瞳は透明感のある茶色。
髪の毛は瞳と同じ色で、緩めのウェーブがかかっていて可愛い。
声は女の子らしい高い声だけど、ギャルみたいに耳障りってこともなくて、丁寧な言葉遣いがまた可愛い。
笑顔なんて満開の桜…いや、満開の向日葵みたいだ可愛い!
………ふふ、オレとしたことが脳内でつい熱くなってしまったぜ。
でも、時折見せるあの悲しげな表情は何故だろうな。
しかもオレたちには悟らせないようにしているような、小さいけど壁を作ってる気がする。
…オレじゃ力になれないのか、まだ名前も呼べないくらいだしな。
桐生はいつの間にか名前で呼ぶようになってるし、オレには興味がないってことなのかねぇ。
はぁ、ちょっと憂鬱かも。
「峰岸くん、そんなところにいないでこっちに来ましょうよー!」
…憂鬱、吹き飛ぶなぁ!
可愛らしく微笑みながら大きく手を振る御奈坂は、母なる海に降臨した女神みたいだ。
ちょっと背伸びしてちゃんと見えるようにしてれてるのとか、御奈坂の優しさが伝わってくるな。
いやしかし、呼ばれたということは、あの花園に突入してもいいってことだろ。
溢れる興奮を抑えようとゆっくり歩きながら、ふと視線を逸らす。
そこには相変わらずの無愛想無表情の冴塚が、無言でオレのことを見ている。
ふむ、冴塚の肌は誰よりも白いよな。
いつも和服だから肌の露出が少ないってのもあるんだろうけど、あの白さはなかなか維持できるのもじゃないだろ。
小ぢんまりとした身体と、人形みたいに整った小顔。
あれは小さすぎて両手で覆えそうだもんな、見た目は抜群に可愛い方だし。
肌の白さに合わせた白いフリルのビキニも似合ってるし、特に文句はないんだが。
…発育が……ちょっとな。
「グハァ!」
さっきまで離れていたはずの冴塚が一瞬で接近したかと思うと、容赦のない蹴りがオレの腹部を打ち抜いた。
半端ない威圧感を立ち上らせながら、倒れたオレを見下ろす冴塚。
「貴様、今考えてはならないことを……。」
「待て冴塚、話を聞いてくれ!」
「病院の予約は済んでますね?腕の良い外科医を用意することをお勧めしますよ、無事に社会復帰を果たしたいのでしたらね。」
「誤解だ冴塚!安心しろ、需要は最近増えている。」
「だからどうしたと?何故わたしが需要と供給のバランスを整えなければならないのですか、そんなことまるで関係がありませんね。女性はすべからく胸を大きくしたいと願うものなのですよ、言葉を慎みなさいこの愚か者!」
「クソッ、大抵の物語じゃ今の台詞を言えばどうにかなるものなのに!」
「甘いですね、そういう台詞を言って切り抜けられるのは主人公と相場が決まっているのですよ。貴方如きが主人公を気取るなど、随分と驕りが過ぎるようですね。」
「卑屈になるな冴塚!オレはお前みたいなタイプだって好きだぞ!」
「何を言ってももう遅いのですよ、大人しくすれば苦しまずに済みますから。」
「嫌だぁー!」
脱兎の如く逃げ出そうと立ち上がり振り返ると、そこにはちょうどいいタイミングで歩いてきた桐生の姿。
よしっ、桐生になら冴塚だってきっと甘いはずだ。
桐生に仲介してもらえば万事解決ってもんよ!
「頼む桐生!このままじゃ冴塚がオレを海の藻屑に変えちまう!」
「は?……お前、今度は何したんだ?」
「しいて言うなら何もしていない、オレは無実の罪で罰を受けようとしているんだ。」
「本当か恵恋?」
「彼はわたしに言ってはならないことを言いました、よって懲罰という名の拷問にかけようと思います。」
「何かああ言ってるけど?」
「オレを信じてくれ!オレは何も言ってない、ちょっと考えただけで冴塚がオレの思考を読みやがったんだ!」
「……お前が悪いな、諦めろ。」
「何ですと!?」
「裁判官の判決も下りましたし、では早速ですが始めましょうか。」
「クソッ、こうなったら逃げるしかねぇ、さらばだ冴塚!」
「簡単に逃がしはしませんよ。」
冴塚がこちらに向かってきた途端、オレは素早く桐生の後ろに回り込んだ。
しっかりと桐生の肩を掴むと、何すんだよと振り解こうとする桐生を思いっきり前へ押した。
突然のことにバランスを崩した桐生は、向ってくる冴塚の方へとよろめく。
よし、これで逃げるだけの時間は稼げるはずだ。
案の定桐生は冴塚の前に立ち塞がるような格好になった。
でもオレの予想と違ったのは、そのまま冴塚が桐生に衝突したことだ。
「ちょっ!?」
「おっ…と、大丈夫か恵恋?」
先に体勢を立て直していた桐生が、走ってきた冴塚をしっかりと抱きとめる。
一番小さい少女と一番大きい男子の組み合わせは、驚くほどの身長差だ。
桐生の背中で見えなくなった冴塚は、何故か何の反応も示さない。
……あれ、これってなんかフラグ立っちまったか?
向こうで事の次第を見ていた二人も、どうしたのかと歩いてくる。
オレも逃げるのを止め、恐る恐る桐生の胸…というより腹の辺りに収まった冴塚を覗き込む。
…あぁ、やっぱりか。
冴塚は面白いくらい真っ赤に身体を染めていた。
色白なぶん余計に判りやすい。
ふむふむ、冴塚も何だかんだ言って女の子じゃないか。
まぁオレは確実にあとで酷い目に遭うだろうけど。
のんびりとそんなことを考えていると、姉御が拳を握って桐生に抗議した。
「真也、あたしにもそれくらい強い抱擁を要求する!」
「は?いや、これはそういうんじゃないぞ?」
「理由なんてどうでもいい、とにかくあたしを抱きしめて!」
「意味が解らん、断る。」
「何故だ!」
「何故も何も、理由がない。」
桐生貴様、あれほどの美人が抱き締めてと言ってくれてるんだ、間髪入れずに抱きしめろよ!
オレなら間違いなく抱きしめて、余計なところにまで触ってしまいそうだ!
「じゃああたしの好きなところに触っていいから!」
何ぃ!?
姉御、それはいくらなんでも大盤振る舞いすぎますよ!?
「触っていいも何も、抱きしめるだけなら背中くらいしか触らないだろ。」
桐生の馬鹿野郎!
どんだけ真面目だよ、相手は極上の美人で水着だぞ!
そんな女性がどこでもお触りオッケーって言ってるのに、お前はどんだけ女性の恥ずかしさを無碍にしやがる!
よく見ろ桐生、姉御だって顔が真っ赤だぞ。
相変わらず冴塚は桐生に抱きしめられたまま動かないし、つかいつまで抱きしめてんだよ桐生!
ふと視線を逸らすと、一人ぽつんと蚊帳の外にいる御奈坂が、そんないつものやり取りに笑っている。
あ、まただ。
楽しそうに笑っているのに何か違和感がある。
何か言いたげな、一歩引いたような。
……よし、訊いてみるか。
もしかしたら余計なお世話かもしれない、そもそもオレの勘違いの可能性もある。
でも本当に何かあるなら、オレが解決したい。
嫌われたとしても仕方ねぇよ、踏み込んじゃいけないことかもしれないし。
だとしても、いつも笑顔でいてほしい人があんな風に笑うのは、やっぱり嫌だ。
オレはとにかく抱きしめてくれと凄まじいことを叫ぶ姉御の隣を大回りで抜けると、小さく笑う御奈坂の方へと歩いていく。
今更だけど一対一で話すのって初めてかも。
桐生のことで集まりだした頃からだけど、常に周りには他のメンバーがいた。
この前の喫茶店だって逢坂や冴塚がいたし、二人きりの状況はなかった。
う、気づいたら緊張してきたぞ。
大丈夫かオレ、ちゃんと話せるか?
変な顔をしていたのか、オレに気づいた御奈坂がびっくりした表情をした。
でもすぐに微笑んで、何だろうって感じで首を傾げている。
あぁ可愛い、やっぱり御奈坂が一番だ。
…お、何だか少しだけ緊張が和らいだな。
あの笑顔には救われる、見てるだけで幸せな気持ちになれる。
あれを皆にじゃなくて、オレに向けてくれるようになったらどれだけ嬉しいんだろう。
うん、それよりも今はあの寂しげな笑顔の理由を訊いて、オレが力になれるかの確認だ。
オレはできるだけ自然になるように、右手を挙げて声をかけた。
「よっ、楽しいか御奈坂!」
「うん、楽しいよ峰岸くん。」
「それは良かった、隣に行っても構わないか?」
「うん、もちろんだよ。」
柔らかな笑みを浮かべた御奈坂は、オレが隣に立ちやすいように少しだけ位置を変えた。
そういう気遣いは、意識していても中々できないよな。
空けてくれた隣に立つと、二人で賑やかな桐生たちを眺める。
心臓は緊張と嬉しさで、音が聞こえてしまうんじゃないかってくらいにビートを刻む。
すぐ隣に御奈坂がいて、ギャラリーは多いが実質二人きりだ。
だけどここで満足しちゃダメだ、オレは何のために御奈坂の隣に立った?
ただ同じ場所にいるだけじゃない、本当の意味で隣に並びたいからだ。
「なぁ御奈坂。」
「ん?どうしたの峰岸くん。」
「あのさ……訊きたいことがあるんだけどいいかな?」
「どうしたの改まって、何でも訊いてくれていいよ?」
「あ…あぁ。」
向けられた笑顔が今度は少しだけ胸に痛い。
いいじゃないか、今の笑顔でも十分に魅力的だ。
この関係を壊すかもしれないのに、そこまでする意味があるのか?
余計なお世話なら酷い話だぞ?
頭の中で駆け巡る言い訳を、オレは足に力を入れて振り払う。
どんな理由があったとしても、オレは御奈坂に嘘を演じてほしくない。
「……オレの勘違いかもしれないけど、気になるんだ。」
「えっと、私のことなの?」
「あぁそうだ。御奈坂………どうしてそんなに寂しそうに笑うんだ?」
「………え?」
一瞬の戸惑い。
でもすぐに笑顔を見せて、首を傾げた。
「そんなことないと思うよ?」
「でも、いつも御奈坂は笑顔なのに、オレにはそれが本当の笑顔じゃないように見える。」
「…気のせいだよ、私はいっつも皆に楽しませてもらってるよ?」
「なぁ御奈坂、オレのこと、信用できないのか?」
オレが真っ直ぐに御奈坂の目を見ると、今までで初めて、御奈坂の方から目を逸らした。
「………ごめん、違うよ。私は信用できないんじゃない、そうじゃないよ。でもダメなんだ、だから言えないよ。」
「それは誰だろうと言えないことか?それとも、オレだから話せないことか?」
「…まだ誰にも言えないことだよ、峰岸くんだからとかじゃない。私自身もまだ心の整理ができてなくて、上手く言葉にして伝えられないんだ。」
「…そうか、なんかいきなりで悪かった、ごめん。」
「ううん、大丈夫。だけどもう少し待ってほしいな、そうしたら話せると思うから。」
頭を下げながらそう言った御奈坂。
性急すぎた、まだ踏み込むタイミングじゃなかった。
最低だなオレ、これじゃ嫌われても仕方ない。
「オレの方こそごめん御奈坂、オレなんかが訊いていいことじゃなかったよな。」
「違うよ!悪いのは私で、峰岸くんは悪くない。寧ろ訊いてくれたことに感謝してるくらいだもん、だからお願い、私を嫌わないで。」
それは心の叫びのようで、酷く胸を打った。
悲しみに満ちた声は、本気の思いが込められている。
だけど御奈坂、安心しろ。
「大丈夫だよ御奈坂、オレは絶対にお前を嫌いになんてならない。」
「…ありがとう峰岸くん。」
「せっかく仲良くなれたんだ、嫌いになんてなりたくないさ。だから待つよ、御奈坂がオレに話してもいいって思えるようになるまで、いつまでも待つよ。」
「…ごめんね、ありがとう。」
凄く嬉しそうに、御奈坂は笑った。
それは今まで見たことがないくらい綺麗な笑顔で、思わず抱きしめたくなるくらい可愛かった。
これからも御奈坂のこんな笑顔が見れるように、オレも協力していこう。
いやでも、この笑顔を見れたのは今のところオレだけってことになるのか?
………よっしゃー、俄然やる気が出てきた!
「あはは、峰岸くんも真也くんも優しすぎるよ。二人とも私のこと気にしてくれるんだもん。」
「…桐生も?」
「うん、ついさっきだけど、別のことでちょっと考え事してたら答えられなくて、でも待っててくれるって。」
「そう…か、桐生が。」
あいつはどんだけ女性に優しいんだよ、見てくれもいいのに反則だろそれは。
……モテるってのもわかる気がするな、しかも多分無意識にそういうことしてるんだろうし。
オレもそうならないとな、御奈坂の隣に立つために。
桐生と一緒にいるってことは、それだけ頑張らないといけないってことだ。
ふと桐生に視線を向けると、ちょうど姉御と冴塚で桐生を奪い合うように両腕を引っ張られているところだった。
その顔は物凄く面倒そうで、心底離してほしいと訴えているようだ。
くそぉ、あんなに美人二人が取り合ってるのに面倒そうな顔しやがって。
あれじゃ男連中に敵を作っちまうぞ。
…まぁ、オレは嫌いになれないけどさ。
やっぱり凄くいい奴だってのはこの短い間でも感じたし、何か惹かれる雰囲気もあるからな。
単純に人付き合いが苦手なだけだろうし、思いを言葉にするのが下手なだけなんだ。
いつかあいつからも信頼されたいと思うし、せっかくだから仲良くなりたい。
うっし、頑張って色々努力してみるか。
「じゃあそろそろ桐生を助けに行こうか!」
「そうだね、あれじゃ真也くんが二人に増えちゃうよ。」
笑いながら御奈坂が歩きだす。
あ、そういえば大事なことを忘れてた。
「なぁ御奈坂。」
「はい、どうしました?」
「その…オレも名前で呼んでいいか?」
「名前?」
「だからさ…桐生みたいに、緋結華って。」
「あ………はい!もちろんですよ、私も真幸くんって呼ばせてください!」
「マジか!?是非そうしてくれ!」
「はい!私のことも緋結華って呼んでくださいね。」
「あぁ、もちろんだ!」
「あはは、何だか嬉しいですねこういうの。」
「そうだな、仲が深くなった気がする。」
お互いに笑い合って、桐生たちの方へと歩きだす。
少しだけさっきより縮まった距離感が、幸せな気持ちを胸に満たした。
視界に映る小さな手のひら。
いつの日かその手を握れるように、オレも前に進んでいこう。
水平線に浮かぶオレンジ色の光。
少しずつ海へと沈んでいくそれは、人々を帰路へと誘う道標のようだ。
優しい光に目を細めながら、俺は広げたパラソルを畳み、ビニール袋にしまっていた。
隣では同じように帰り支度をする峰岸が、若干眠たそうな目で夕日を眺めている。
思いっきりはしゃいだ一日だった。
楽しかった時間はもう終わりだが、まだ夏休みは長い。
きっとまたこのメンバーで集まって、今日みたいにはしゃぐのだろう。
今の俺は、それも悪くないと思える。
今日の時間を惜しむように逢坂や峰岸の動きが緩慢なのも、なんとなく理解できる。
ほんの少し見方を変えるだけで、世界はとても素敵に見える…か。
姉さんはずっとこの世界にいたんだな。
そりゃ憧れるはずだ。
この気持ちを知らなかった俺からしたら、決して辿り着けない世界だからな。
大変なことも辛いことも糧にして、新しい楽しみや喜びに変える。
大切な友達って、きっとそのためにいるんだろう。
一人じゃない安心が、この気持ちに気づかせる。
姉さんが教えてくれたこの気持ち。
本当に、どうしてもう会えないのだろう。
まだ話したいこともある、お礼を言いたいことだってたくさんあるんだ。
我が儘だって解ってるけど、また会いたい。
例え触れることができなくても、その顔が見たい、声が聞きたい。
それだけで俺は、幸せな気持ちに包まれるから。
「まだ…足りないのか?」
「え?」
不意にかけられた声に振り返ると、そこには寂しそうな顔をした莉乃姉が立っていた。
緋結華や恵恋がいないってことは、一人で先に帰ってきたんだろう。
今日一日、莉乃姉は俺のことをよく見ていた。
それが何故なのか解っていたけど、俺はわざと気づかないフリをした。
俺もなるだけ隠したつもりだが、きっと無駄だったんだろうな。
「何が足りないって?」
「真也の心の隙間を埋めるには、まだあたしたちじゃ不足なんだろう?」
「……そんなことないさ、俺は凄く楽しませてもらったよ。」
バレるとわかっている小さな誤魔化し。
それが何を意味しているのか、莉乃姉が解らないはずがない。
莉乃姉の優しく問いかけるような瞳は、申し訳なさそうな色に変わって、寂しそうに海へと視線を移す。
「まったく、真耶は凄いな。あたしたちが五人がかりで埋めようとしている隙間を、たった一人で満たしていたんだから。」
「莉乃姉…悪いけどな、この隙間は埋まらないと思う。」
「…やっぱりそうなのか。」
「あぁ。俺は真耶姉さんを忘れない、そして今でも大切に想っている。だからこの先俺が誰かを好きになることがあっても、この隙間は残るんだ。」
「…うん、そうだよな。」
最悪の現実を突き付けられたみたいに、莉乃姉が顔を伏せる。
莉乃姉も予想はしていたんだろう。
でもきっと自分たちなら埋められると願ってくれていた。
それなのに俺は、この胸の隙間を埋めたいと思っていない。
埋まってしまったら、真耶姉さんが薄れてしまいそうだから。
だけど、答えがないわけじゃない。
「莉乃姉、俺はそれでも幸せにならなきゃいけないんだ。」
「え?」
俺が発した言葉に、意外そうな顔をする莉乃姉。
俺はできるだけ安心させるような笑顔を浮かべて、沈んでいく夕日に目を向けた。
「あの日、姉さんに再会できたあの夕暮れから、俺の心には余裕が生まれた。真耶姉さんを失った隙間以外に、今まで後悔や自己嫌悪で埋まっていた部分が、すっと軽くなった。」
「あ、なら。」
「そうだ。俺の中でできていた壁、他人を受け入れることを阻害していたものがなくなった。だからまだ十分に俺には余裕がある、気持ちの整理ができればもっとそれは広がる。解りやすく言うならそういうことだ。」
俺が自分の中に見つけた、希望の光。
一変して期待に満ちた莉乃姉が、嬉しそうな笑顔で続ける。
「あたしたちが一緒にいて、たくさん思い出を作って、真也が誰かを好きになっても…。」
「俺は受け入れられる、幸せになれるよう努力する。確かに寂しさは消えないけど、それは悲しみからの寂しさじゃない。」
「そうか、ならあたしの心配は杞憂だったな。」
「でもありがとう。いつも莉乃姉がいてくれるから、俺はこうして潰れずにいられるんだ。これからも迷惑かけるかもだけど、そん時はよろしく頼むな。」
「もちろんだ、真也に頼られて迷惑だなんて思うはずがない。」
満面の笑みで俺を見上げた莉乃姉に、俺は同じくらいの笑顔で応えた。
そしてそっと繋がれた右手。
温かく柔らかい、だけど決して離れないその手は、俺の存在を認めてくれている証だ。
ここから始めよう、新しい自分を。
この手を離さなければきっと、俺はどんな努力でもできる気がするから。
穏やかな安心が胸を満たして、俺は沈みゆく夕日の眩しさに目を細めた。
「桐生よぉ、オレたちが一生懸命帰り支度をしてるってのに、姉御とイチャイチャすんなよなー。」
「なっ!?」
「まったくです。小湊さんも一人で先に戻ったと思えばこういうことですか。」
「えっと、邪魔するつもりじゃなかったんですよ?」
「真也先輩、せめて見えないところでしてほしいなそういうことは。」
逢坂に言われ、慌てて莉乃姉の手を放す。
弄ってやろうって含み笑いをした四人は、呆れたみたいに俺たちを見ている。
やっちまった、話が真剣すぎて場所を忘れてた。
「なんかさ、付き合ってなくても結果は変わらないよな二人は。オレも姉御みたいな彼女欲しいぞ!」
「彼女じゃねぇ、幼馴染の姉だ。」
「真也、愛しいって単語が抜けてるぞ?」
「必要ないだろ。」
「酷い!真也はあたしを愛してないのか!」
「そりゃ長年一緒にいるし愛情はあるが、愛しいってなると何か違うだろ。」
「もういいじゃないか、どうせ帰りは泊まるんだしここで認めちゃおう!」
「行かねぇっつうの!」
「お二人の仲が良いのは十分に解りましたから、そろそろ片付けを手伝ってください。真也さん、貴方は力があるんですからたくさん荷物を持ちなさい。」
「はいはい、わかったよ。」
「よーっし、なら帰るぞ皆!」
『おー!』
恵恋に示された大量の荷物を肩に担ぐと、それぞれが荷物を持つ。
何かが変わったような、そんな一日。
そんな騒がしく賑やかな時間は、残すところあと少し。
できれば帰りの電車の中では大人しくしてくれることを祈りつつ、俺たちは夕日の綺麗な砂浜を後にしたのだった。




