⑫ 怪しい動き
翌日、担任の池内は、取り敢えず一安心していた。
どうやら見た感じ、真田には、昨日の事件の精神的ダメージは無さそうだった。
それに、隣の席の清水が、教科書を見せたり、移動教室へ案内したりと、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれている。このまま、何事も問題無く、卒業式まで行ってくれ。池内は本当に、心の底から、そう祈ったのである。
しかし、その祈りは直ぐに、虚しいモノになった。
クラスの男子委員長は、順当に清水健次郎になったのだが、女子の委員長に、何と真田ジャンヌが立候補したのである。
池内の腹積もりとしては、三田寛子と言う生徒に、一任する筈だった。彼女は、事務的な仕事をこなすのが上手いし、密かに清水に対して、思いを寄せている事を知っていたからだ。
だから彼女に根回しまでして、本人もその気になっていた。ソレが覆されてしまったのだ。先ずこれで、学級経営の不安要素が出来た。
次に真田は、剣道部に入りたいと、申し入れて来た。清水に聞けば、彼女は有段者相当の腕前なんだそうな。卒業まで残り僅かな活動より、学業に専念したらどうかと、勧めてみたものの、彼女の意思は固かった。
真田ジャンヌは、見るからに品行方正な、優良な生徒だ。ソレは池内にも、良く解っている。
だが何故だろう?彼女が近くに居ると、意味不明な不安に襲われるのだ。あの天使のような笑顔の下に隠した、よく斬れる刃のような心を感じるのだ。
「……どうされました?先生」
今も目の前に、真田が来ている。
先程クラスで集めた、進路希望のプリントを、出席番号順にキレイに揃えて、職員室に届けに来たのだ。このように、仕事ぶりは申し分無い。
「あ、ああ、ありがとう」
池内は、慌てて返事をした。
コチラをじっと見つめるその碧い瞳に、魂の底まで見透かされそうだ。
「大丈夫ですよ、先生。貴方の事は理解して居ます。だから安心して下さい。何も、取って食ったりしませんよ」
彼女は、池内の左の耳元に、その血のように赤い唇を近づけると、他の教師に聞こえないように、そっと囁いたのだ。
池内は、ますますビクビクしてしまった。
「今後の事は、私に任せておいて下さい。万事上手くやりますから」
彼女はそう言うと、ニッコリ笑って、職員室から去って行った。池内は、ホッと溜息をついた。
と同時に、(あの娘は、一体、何をどこまで理解しているのだろう?)と、更に不安な気持ちになったのである。




