12 さようなら
クラウディオ経由で、ヴィルヘルムの決断を知った椿はその場に崩れ落ちた。
それをクラウディオが支える。
椿の顔色が悪く、ソファへと腰かけさせた。
隣に座っていたマリアが椿に水を飲むように促した。
ひとくち水を飲んで、呼吸を整えた後に椿はようやく顔をあげた。
「ヴィル様がそう決めたのであれば……そのように」
表情は曇っていた。
元から自分はヴィルヘルムには相応しい相手ではなかった。
彼が椿の為に一族から抜けるのは心苦しかった。
彼が選んだことであれば引き下がるつもりである。
「本当にそれでいいの?」
マリアが質問する。それに椿は微笑んだ。
あまりに悲しい姿にマリアは眉をひそめた。
「あなたはヴィルお兄様のことが好きでしょう」
それに椿はもちろんと頷いた。
「好きです。ですが、ヴィル様がそう望まれるのであれば……」
「だめよ。あれはお兄様の本当の気持ちじゃないわ。突然すぎだもの……わかるでしょう!」
マリアの叫びが突き刺さる。
このまっすぐな感情が羨ましくもある。
椿が全く動く気配がなく、マリアはクラウディオの方へ声をかけた。
「ところでヴィルお兄様は?」
「【銀十字】のロートバッハ支部へでかけたよ。療養中に何か変わりがないか確認をしに……明日あたりに都市へ戻るんだって」
「まぁ、突然すぎ……どうせお兄様のことだからまともに休めていないんだからもう1カ月休んでも罰はあたらないでしょう!」
マリアはぶつぶつと呟きながら、椿の手に触れた。
先程の話題でショックを受けたように椿の手は冷たい。
少しでも自分の温度をわけてやるようにマリアは彼女の手を握りしめた。
「椿、もう一度ヴィルお兄様と話すべきよ。諦めてはだめよ」
マリアは強く言った。
「話すべきと言われましても……どう話せば」
「何でもいいと思うけど。お世話になったことについてお礼くらい言ってもばちはあたらないと思うよ」
「そう、ですね……」
ヴィルヘルムが戻ってきたら部屋を訪ねてみよう。
「大丈夫よ! 私も一緒にいてあげるわ。クラウディオ様も一緒よ、ね?」
クラウディオとマリアが一緒であれば、ヴィルヘルムも安心して椿に会ってくれるかもしれない。
椿は窓の外を覗いた。
少し曇りがかかっている。
雨が降らなければいいのだが。
色んなことがぐるぐると頭の中で回ってくる。
うまくまとまらない。
いつの間にか、マリアとクラウディオがいなくなって椿は部屋の中をぐるぐると動き回った。
「……」
思い出したように荷物から箱を取り出した。
それは小さな箱、蓋をあけると赤い椿の髪飾りがあった。
ヴィルヘルムからいただいた大事なものだ。
思えば自分は人と話すのは苦手であった。
山の奥の庵でいつも過ごしていて、時々来る人にも怖くて姿をみせれなかった。
怖いのは自分を化け物とみているとわかっていたから。
「……」
あの時、ヴィルヘルムに血を吸われた時、自分はどういう表情を浮かべただろうか。
怖かったと思う。
足が震えていた。
でも、ヴィルヘルムはもっと怯えていた。
あれはきっと私が怖がっているのに気づいていたから。
「っ……」
椿は部屋を出て、厩で馬を一頭借りた。
「椿様、どちらへ?」
馬丁が椿を呼び止める。
もうすぐ日が沈み、あたりは暗くなっていく。
遅くに外へ出ては危険だというが、椿は頑なに戻ろうとしなかった。
どうして走らせているのかわからない。
ただ今すぐヴィルヘルムに会いたかった。
今すぐに。
「あなた……」
途中で、エーデルシュタイン家の馬車が見えた。
ヴィルヘルムが乗っていた馬車と椿は御者に声をかけた。
「ヴィルヘルム様は、別行動で帰るとのことです」
御者はおろそろとしながら、椿に説明していた。
椿はあたりを見渡して質問を重ねていく。
「どこへ行かれましたか?」
「も、森の方へ」
椿はすぐにヴィルヘルムがどこにいるか気づいた。
記憶を頼りにあの場所へと向かう。
ヴィルヘルムが森の中でひそかに作っていた菜園だ。
「ヴィル様」
確かに、そこに彼がいた。
彼はひどく痩せていて疲れている印象であった。
「来るな」
椿が近づこうとすると、ヴィルヘルムは拒絶した。
「俺はお前にひどいことをした」
「いいえ…あの時はたいへんだったから」
「お前をまた傷つけるかもしれない」
今は、薬と魔術で狼としての本質は抑え込められている。
だが、いつ椿の血を求めてしまうかわからない。
「私はヴィル様に謝りたくて……私のせいであなたが傷ついてしまった」
「何を、言っている。俺がお前を傷つけて」
「私があなたを怖がったから……」
椿の言葉にヴィルヘルムは笑った。
実際怖がることをしたのはヴィルヘルムだというのに、どこまでお人よしなのだ。
「私は、ヴィル様のことが好きです」
「俺は、違う」
ヴィルヘルムは震える声で言った。
何を違うと言ったのか。
「俺が、お前を好きだと言ったこと……あれは違っていた」
こちらに振り向かないヴィルヘルムはさらに続けた。
「前に、お前に惹かれていたと言っていたが、それはお前の血だったんだ。お前の血は異形にとって魅力的なもので、俺は知らずにそれに惹かれてしまった」
「……」
「今してみれば、俺は狂っていたのかもしれない。お前にはじめて出会ったあの時から」
苦し気に笑うヴィルヘルムに椿は首を横に振った。
「それでも私の為に、私を守ろうとしてくださりました。誰よりも私の身を案じてくれて……私はヴィル様のことが好きです」
椿は自分の声が上擦っているのを感じた。
震えているかもしれない。
だが、これだけは伝えたい。
「また、お前を襲うかもしれないぞ」
「かまいません。ヴィル様がそうお望みであれば私はいくらでも捧げます」
ヴィルヘルムはようやく振り返った。
じっと椿を見つめた。
悲し気な表情である。
椿もそれにこたえるように彼をみつめた。
今視線を背けてはいけないと思った。
「俺は……だが……」
「私の血があなたを狂わせるのですね」
「……」
ヴィルヘルムは何も言わなかった。
悲しく椿を見つめ続けている。
まるで子供のような表情である。
椿は彼をみて切なくなった。
抱きしめたくてたまらないが、堪えなければならない。
今必要なのはお互い考える時間なのだ。
自分が近づくことでヴィルヘルムが苦しむのであれば、しばらくは距離を置くしかない。
でも、せめて自分の言葉を伝えたかった。
「私はヴィル様が好き……あなたが、他の誰かを好きになってもお慕いしています。あなたの幸せを願って……」
離れている間に、ヴィルヘルムの心はどこかへ行くかもしれない。
でも、それで彼の傷が癒えるのならそれ以上の喜びはない。
ぽたぽたっと目から熱いものがこぼれ落ちた。
ヴィルヘルムは椿の涙を見つめる。
拭いたいのを押さえつけているのがわかる。
「あなたが望む通りにします……あなたの側を離れます」
これ以上、彼を困らせてはいけない。
「さようなら」
椿は馬を繋いでいた場所へと戻る。
ヴィルヘルムを置いて。




