10 手を繋ぐ
椿がヴィルヘルムの隔離部屋から出て行ったと丁度同時期にマリアは目を開けた。
どうにも心が落ち着かなくて、ベッドから起き上がった。
おもむろに窓をみる。
「……」
窓の外に、走る椿の姿を見つけた。
いつの間に外に出たのだろうか。
マリアは上着を取り出して、部屋を飛び出した。
椿が部屋へ戻ってきた後に、マリアは扉を開けた。
床に直座りして涙を流している椿を見て心がざわついた。
ナイトドレスが崩れていて、首筋と襟元が真っ赤であった。
「あなた、どこへいっていたの? その血……医者を呼ぶから待っていて」
「待ってください。怪我はありません。大丈夫です!」
椿は青ざめてマリアを止めた。
必死に叫ぶ椿にマリアは困りながらも、椿の元へと近づき彼女の手に触れた。
「すごく冷たいじゃない」
マリアはとにかく椿をベッドへ移動させる。
ベッドに置かれていた毛布を彼女にかけてやった。
「ありがとうございます」
椿はぐしゃぐしゃの顔で泣いていた。
「ちょっとどうしたのよ」
マリアはしばらく考えた。
彼女がこんなに崩れる理由は、ヴィルヘルムしか思い至らない。
「まさかお兄様に会いに行ったの? 面会謝絶だったのに」
「うぅ……」
「大丈夫よ。お兄様ならすぐに良くなって戻ってくるわ」
マリアはそういい椿を抱きしめた。
「ふふ、あの時のお返しね」
震える彼女を落ち着かせ、マリアは椿の手を握り直した。
「手を繋ぎましょう。こういう時は手を繋ぐのがいいのよ」
マリアは椿の冷たい手にはぁっと息をふきかけた。冷えていた手にあたたかい空気が触れていく。
「さぁ、悲しいものは夢に置いていきましょう。ゆっくりとおやすみ」
まるで子供に言い聞かせるような声でとんとんと椿の肩を叩いた。
これは、マリアの乳母がよく言っていた言葉である。
椿はうつらうつらと目を閉ざしていった。
マリアも同時に目を閉ざした。
音が響くことなく扉が開かれる。
クラウディオであった。
ベッドの方へ近づくとすでに眠りについた二人をみた。
椿のことが心配であったが、マリアが先に動いてくれたようだ。
クラウディオは何も言わず退場した。
◆◆◆
ヴィルヘルムが療養してからどのくらい経っただろうか。
3週間は経過していた。
少し前までは自分が隔離されていたが、今はヴィルヘルムが隔離されてしまった。
椿は朝の身支度の為に鏡の前に座っていた。
櫛をことんと台に置き、自分の首筋をみつめた。
難病とはどういうものだろうか。
ふと首筋に手をあてる。
彼に食い破られた痕はもうないのだが、感触は覚えていた。
「椿、いるかい?」
クラウディオが部屋を訪れてきて、椿は慌てて応じる。
「ヴィル様は?」
目の下にくまができているクラウディオにおそるおそる尋ねた。
「だいぶ安定してきたよ」
「そうですか」
椿はほっと胸を撫で下ろした。
「そう。あと、もう少し念を押そうかなと思って……」
しばらくしてクラウディオは首を横に振った。
今、誤魔化しても仕方ないと自身に言い聞かせるように。
「ヴィルのことで話をしよう。すごく長くなる」
クラウディオは椿をソファに座らせて、自身も隣に座った。
彼が話したのは、ヴィルヘルムの出生について。母のこと。【人狼】のこと。
椿はじっとその話を聞き入っていた。
「私全然知りませんでした。ヴィル様がそのようにたいへんな生い立ちだったなんて」
一通り聞き終えた椿は悲し気に俯く。クラウディオは椿の頬に落ちた髪をゆっくりと払った。
「そりゃそうさ。ヴィル自身忘れていたんだもの。僕が忘れさせたのだけどね」
ヴィルヘルムはエーデルシュタイン伯爵の弟ではなく、姉令嬢の子であった。
【人狼】の子として、殺される運命であったのを令嬢とアルフレートの嘆願で生き永らえた。
先代当主はヴィルヘルムを汚点とみなしていたが、クラウディオの封印と教育の成果を認めてヴィルヘルムを自身の子として迎えた。
実際は孫であるが、その方が体裁がよかった。
アルベルトも了承済みだ。
その後は家督をアルベルトに継がせ、面倒はアルベルトとアルフレートに任せたまま他界してしまった。
人付き合いには難点あるがヴィルヘルムはエーデルシュタイン本家と都市部の貴族・王族を繋ぐ橋渡しとして立ち回っていた。クラウディオのフォローもあったのだが。
同時にクラウディオは椿に【銀十字】の検査結果を伝えた。ヴィルヘルムがこうなった経緯についても。
いつまでも隠しても仕方ないことだ。
「私があの時、血を飲ませてしまったから……」
「椿のせいではないよ」
やはり自分を責めるかとクラウディオは苦笑いした。
「ですが、私の血が……異端者の血を強くしたのでしょう。私のせいで……私がいなければヴィル様は今も人として生活できたのに」
「そんなことを言わないで。君に傍にいてほしいと望んだのはヴィル自身なんだから」
こうなってしまったことは誤算であった。
椿の血がそこまで特殊だったとは思いもしなかった。
だから、誰かが悪いなどこの場では言えない。
「私は彼の傍にいてはいけない」
そう呟く彼女にクラウディオは目を閉ざした。
ヴィルヘルムも決意したことだ。
2人が一緒にいても、悲劇に見舞われるリスクの方が高い。
お互い隔離させるべきだ。
クラウディオが今すべきは、椿の決意を誘導させることだ。
「ですが……私は、ヴィル様に会いたい」
椿は涙を溢した。
彼女の涙は美しく儚くて、クラウディオは苦笑いしながら彼女の涙を拭った。
そして頭の中で考えていることとは別のことを口にしてしまった。
ここで諦めさせるのが一番いいとわかっていたのに。
「じゃあ、待ってあげよう。彼が戻ってくるのを」
自分のずるい部分にクラウディオは困り果てた。
でも、椿が泣くのは見たくないと思った。




