7 狼の子
それは何年も昔、ロートバッハで起きた事件である。
エーデルシュタイン家の令嬢が森の中で行方不明になった。
彼女は菜園が趣味で、森の奥にもこっそりと小さな菜園を作っていた。
乗馬が得意の活発な令嬢で、家の中で閉じこもる性格ではない。
「いいのですか? 折角、公爵家の御曹司と縁談が決まったのでしょう?」
領民も温かい目で彼女を見守っていた。
「あら、この程度で相手が嫌がるなら私の婿になんてなれないわよ」
令嬢は勝気に笑った。それに領民は目を細めた。
「そんなことを言って……伯爵様が倒れちゃいますよ」
いつもの軽い調子のたわいない会話をして彼女は森へと入った。
彼女の趣味は菜園で、家族の目の届かない森の奥にこっそりと菜園を作っていた。
森の奥まで行っていたことがばれればエーデルシュタイン伯爵は彼女を閉じ込めてでも止めていただろう。
だから、彼女は隠していた。
そんなある日、彼女は行方不明になってしまった。
同時に、領民の変死体が見つかることが増えた。特に猟師の被害が甚大だった。
変死体を調べて、人々は恐怖を覚えた。
死体に残された噛み跡は、明らかに通常の獣のものではなかった。
【人狼】が現れた。
すぐにエーデルシュタイン家は【銀十字】に正式に依頼した。
【銀十字】地方部署に勤めていた若きアルフレート・ベルンハルト――令嬢の婚約者でもある彼は、既に寝る間も惜しんで森の探索をし続けていた。
【人狼】と判明して、本部から協力者を招聘依頼した。
丁度外国から訪問していたクラウディオ・ベルモンドである。彼は国内外の異端者の知識に詳しい。
森の奥は【人狼】の縄張りとなり、簡単には人は入れない。
入れるのは異形退治に特化した団体【銀十字】くらいだ。
人狼は警戒深くなかなか姿を現してくれない。
奥へ辿り着くのに、10か月も要してしまった。
【銀十字】は、ようやく人狼の巣にたどり着けた。
襲いかかってくる巨大な【人狼】――アルフレートとクラウディオは苦戦しながらも、退治することができた。
巣の中へ入り、中の様子をみてアルフレートは声を失った。
そこに、探していた令嬢の姿があった。
令嬢は眠る赤ん坊の姿を抱きしめて訪れた【銀十字】に警戒した。
救出してくれる【銀十字】に恐怖の表情を浮かべていた。
長らく【人狼】の番として、洞窟の中で過ごしていた令嬢はアルフレートを認識できなくなっていた。
ただ生まれたばかりの乳飲子を必死に守る姿勢をみせる。
アルフレートは変わり果てた彼女を見て何も言えずにた。
この事実を受け入れづらかった。
銀色の髪を持つその赤ん坊は令嬢と【人狼】の子供だった。
保護した後、どうしたものだとエーデルシュタイン家と話し合いを設けた。
当主の長子であったアルベルト――令嬢の弟もそこにいた。
「こんな子は表に出してはいけない!」
当主は一族から異形を生んだ娘を隠蔽しようとした。
はじめから存在しなかったかのように。
「娘も、赤ん坊も、処分してくれ」
当主から出される冷たい要望にアルフレートは拒絶した。
「そのような非人道なことは許されない」
アルフレートはしばらくエーデルシュタイン家と口論になった。
長く良好の関係を築いていたが壊れる寸前までそれが続いた。
「このままでは埒が開かない」
そこを止めたのがクラウディオであった。
「この子を人間の子として養育しよう」
それこそ夢物語である。
当主は鼻で笑った。
「狼の本能を持った子供をどうできるのだ」
「僕はあらゆる魔法、知識を持っている。聖女ヴィヴィアナが残された秘術も……それをうまく使えば、子供の【人狼】としての本能を封じ込められる」
信じられない話である。
だが、クラウディオの出自を聞いて当主は黙った。
クラウディオは聖女ヴィヴィアナの系譜――聖女の弟子の、さらなる弟子の流れを汲むユリアンの魔法使いだった。
聖女の名を出されて、無意識に当主はすがった。
娘の変わり果てた姿に狼狽したが、内心でも娘と赤ん坊の命を失うことは恐怖であった。
実際、ベッドで寝息をたてる赤ん坊は可愛らしくて仕方ない。憎い【人狼】の子であるが、可愛い娘の子でもあった。
「時間が欲しい……短くても5年。それでもうまくいかなければ、子供は【銀十字】の隔離施設に入れよう」
クラウディオの提案に当主も、アルフレートも異議を唱えなかった。
「わかった。もし、成功すれば……赤ん坊は私の子として正式に迎え入れよう」
当主はクラウディオに秘術の場を設けた。
長く使われていなかった離れを急ぎ改装して、令嬢と赤ん坊をそこへ入れた。
それがこの離れの、鉄格子に囲われた部屋であった。
クラウディオは赤ん坊に術式を施し、薬湯を飲ませ続けた。
「坊や、落ち着いて……大丈夫だから」
時には暴れることがあったが、それは母親である令嬢が抑えつけてくれた。
令嬢は必死であった。
恐ろしい【人狼】に孕まされたとはいえ、生まれた我が子は人の形をしている。
狼との生活の中で彼女の拠り所は赤ん坊であった。
赤ん坊を失っては令嬢は生きていけない。
赤ん坊を生かす為に、令嬢は必死に協力をした。
かつての婚約者――アルフレートのことを思い出すこともなく。
アルフレートは毎日、母子の元へ訪れて複雑な表情で様子を伺った。
日に日に弱っていく令嬢、同時に人間らしくなっていく赤ん坊をみて誰もが複雑であった。
そして約束の時、子供は人として迎えられエーデルシュタイン家の子ヴィルヘルムという名を与えられた。
【人狼】の子とばれないように出生年を誤魔化して――




