6 記憶
真夜中、椿は眠れずにベランダへと出た。
肌寒い風の中、薄着で出るなとヴィルヘルムに叱られた時を思い出す。いつも上着を羽織らせてくれてあたたかった。
そのぬくもりが今はないのが何と心細いか。
きっと彼は元気になってくれる。
昼寝の後、マリアはそう元気づけてくれた。
はじめて会った時は厳しい令嬢であったが、根はとても優しい少女だ。
無知故に暴走することはあったが、今は反省して態度を改めた。
ヴィルヘルムの姪で、優しさは彼に通じるものがあり椿を落ち着かせてくれた。
だが、夜は1人になる。不安は押し寄せる。
「ヴィル様」
彼に会わなくなって5日がたとうとしている。
彼の体は順調に回復しているだろうか。
ただ自分は祈るだけしかできない。
眠れない夜は彼を想いながら過ごすことになった。
こんこんと扉をたたく音がした。
飛び跳ねた椿は扉を見つめた。
「はい、どなた?」
椿はショールを羽織って扉へと近づいた。
扉の前には使用人が真剣なまなざしでこちらをみつめてくる。
「夜分申し訳ありません」
使用人は頭を下げて言った。
「ヴィルヘルム様が椿様に会いたがっています」
それを聞き、椿は使用人に詰め寄った。
「ヴィル様の元へ連れて行ってください」
必死の懇願に答えるように使用人は彼女を部屋へと案内した。
屋敷を出て、離れの建物へと入る。
「これは……」
彼がいるという部屋をみて椿は絶句した。
部屋の中に格子が張り巡らされている。
「牢屋じゃない」
部屋を後から改装した座敷牢に思えた。
格子の向こうから声が聞こえた。
「ああ、椿か」
椿の姿を認めてヴィルヘルムが笑っていた。
「近くにきてくれ」
ヴィルヘルムが格子に近づき、椿も寄り添った。
「ヴィル様、どうしてこんな……」
「母と同じ病に罹ってしまったようだ」
「お母さまと同じ病? ですが、これではあまりにも……」
とても治療するような部屋ではない。
椿はその先をいうのを躊躇った。
「一体どんな病が」
マリアが言っていたことを思い出した。
誘拐犯から逃げる時に、マリアは話してくれた。
ヴィルヘルムは悪い魔女に呪いをかけられて隔離されていた。
「少しだけ中に入ってくれないか。もっと近くで話がしたい」
「それはできません!」
ヴィルヘルムの要望に使用人は首を横に振った。
彼ができるのはここまでだ。
「私からもお願いします。中へいれてください」
椿は使用人に必死に頼み込んだ。
「いけません」
使用人はひたすら首を横に振り続ける。
「ほんの少しの時間だけでいいのです。中で二人で話をさせてください」
使用人はヴィルヘルムの様子を伺った。
格子の向こうのヴィルヘルムは、穏やかな声だった。今は、正気に見えた。
椿の切ない声で頼み込まれて、使用人はついに折れた。
「20分になったら外にでてください」
その条件で椿を中にいれた。
椿は中に入りヴィルヘルムの元へと近づいた。
大きな手が椿の腕を掴みとった。
ヴィルヘルムは椿を引き寄せて、強く抱きしめた。
久々の抱擁、久々のぬくもりに椿はようやく安心を覚えた。
「ヴィル様……どうしてこのような」
「しばらくの辛抱さ。でもその前に」
ヴィルヘルムは椿の襟元に触れた。
留め具を外し、彼女の首筋を露わにさせる。
「ヴィル様っ! 何を……」
椿は顔を赤くした。
まさかこんなところで自分の衣を脱がせるなど思わなかった。
格子の向こうには使用人が待機しているというのに。
「待っ……っ」
白い首筋にヴィルヘルムの唇が吸い付いてきた。舌でちろりと舐められる。
「いけませんっ……」
椿は離れようとしたが、ヴィルヘルムが腕に力をいれて離れることができない。
「……っ!」
彼は椿の首筋にかぶりついた。
その歯の鋭さに椿はぞくりと震えた。
以前みたものとは異なる。
ヴィルヘルムにこのような鋭い犬の牙のような歯はなかったはずだ。
歯は鋭く椿の肌に食い込みそこからじわりと血がしみでてきた。
それにヴィルヘルムはぺろりと舐める。
「ヴィル様、おやめください……やめて」
椿は首を横にふりヴィルヘルムの行為をやめさせようとした。
これはあまりに人らしくない行為である。
まるで【吸血鬼】のような……。
あの時、椿の血を求めた少年を思い出して恐怖した。
「いや。いやです……」
ヴィルヘルムは今までどのような場面であっても椿を傷つけることはなかった。
恐怖と暴力から守ろうとしてくれた。
そんな彼がこのような行為に及ぶなど信じられなかった。
椿の瞳から大粒の涙がこぼれる。
「っひぐ……ふっ……」
「………ぅ」
女の泣き声を聞きヴィルヘルムは我に戻った。
ヴィルヘルムは椿を放り出した。
椿は床へと転がされる。
「あぅ」
乱暴にされた椿を見て、ヴィルヘルムは手をさしだそうとした。
しかし、起き上がる椿の首筋が血で汚れているのをみてヴィルヘルムは青ざめた。
さしだすはずの手は、自身の髪を掻きむしる。
彼はずるずるとうずくまった。
「ヴィル様……」
「来るな!」
近づこうとする椿にヴィルヘルムが牽制した。
「早く外へ出ろ!」
椿はそこから動かなかった。
目の前で苦しむ彼を置いて外に出るなどできない。
先程、椿を傷つけたというのに。
◆◆◆
「しょうがないなぁ」
軽い調子の声とともに椿の腕をひっぱるものがいた。
「クラウディオ様」
「さぁ、椿。外へ出て」
子供を嗜めるように言われ椿は首を横に振った。この状態のヴィルヘルムを何とかできないかと願う。
「僕に任せて君は自分の部屋へ戻って」
クラウディオは外に控える家人に椿を預けて彼女を部屋へと案内させた。
椿が出たあとクラウディオはヴィルヘルムの方へ近づいた。
先程の優しい笑顔は消えて、冷たい表情となっていた。
迂闊だった。
薬の材料を採りに出かける間に見張りを誘導するなど。
子供の時とは違い、知恵がついて厄介だな。
「まさか、君が椿を傷つけるなんてね」
「いうな……」
苦し気にヴィルヘルムは呻いた。
彼自身、許しがたい行為で苦しんでいる。
「ああ、だいぶ理性が戻ったね。どのくらいのことを思い出したかな」
「……」
ヴィルヘルムは黙っていた。
「俺は幼少時この部屋にいた。母と共に」
「どうして?」
「母は病に罹っていて、俺も同じ病で……隔離されなければならなかった」
かすれた声で思い出したことを呟き続けた。
「君の母親は病じゃなかった。君の本能を抑える為のあやし係をしていただけだよ」
「俺は……」
「覚えているでしょう。自分が何者か」
クラウディオの冷たい声が響いた。
目を背けることなど許されない。
そう言っているようだった。
ヴィルヘルムら震える唇で単語を出す。
出してしまいたくないが、今は逃げれない。
とぼけることなどできない。
現に今椿を傷つけたのだ。
格子越しの窓から、白い月の光が入ってくる。
静かにヴィルヘルムの姿を、暗闇から照らし出す。
銀色の髪は輝き、灰色の瞳も静かな森の空気を感じさせる。
「俺は【人狼】……」
ヴィルヘルムから出た言葉にクラウディオは頷いた。
「そうだよ。正確には【人狼】の子供」
長いこと封じていた記憶は残酷に引き出されていった。
愛しい少女の甘い血の匂いと共に。




