1 新しい友人
あの誘拐事件からというものマリアは椿の部屋を訪れるようになった。
「ほら、前言っていた本を持ってきたわ」
「まぁ、こんなに……」
手にはいっぱいの本を持っており、椿は慌てて受け取った。
「全く……ジョルジョ・フィアンマも知らなかったなんて、令嬢たちから笑われるわ」
マリアは呆れて1冊を椿に見せた。
ジョルジョ・フィアンマ――何百年も前に活躍した劇作家であった。今も彼が手掛けたオペラは人気が高い。
「クラウディオ様が教えているはずなのに……」
じろっとマリアはクラウィオを睨んだ。クラウディオは肩を揺らして笑った。
「うーん、まだ椿には早いかなって」
「絵本に編集したものもあるでしょう。内容がわからなくても、オペラへ行かせるのも刺激になるわよ。クラウディオ様もお兄様もここまで気が利かないとは思わなかったわ」
マリアは仕方ないといわんばかりに絵本編集されたジョルジョ・フィアンマの作品を椿に披露した。
絵を通して、椿にいろいろ教えてくれる。
「どういうことだ」
マリアの椿に対する態度の変わりようにヴィルヘルムは驚いた。
「あの誘拐事件で懲りたようで、椿に心を開くようになったということだよ」
クラウディオが言うにはマリアは椿に文学を教え、作法を教えているようである。
「君の妻になるのに君が恥をかかないようにとね」
「教育はクラウディオ、お前に任せているだろう。俺も時間あれば椿に教えている」
そもそもマリアはまだ子供であり学ばなければならない身、人に教えられる立場ではないだろう。
「まぁまぁ、こういうのは教えた方が覚えがよくなるのだよ。それに椿としては同性と会話する機会はあまりない」
二人が仲良くなることは特に悪いことではないであろう。
二人の関係を静観することにした。
「椿と散策するつもりだったが……」
ヴィルヘルムはため息をついた。
だが、まだしばらくは滞在予定なのであわてる必要はないだろう。
今晩、日にちを確認して約束をすればよい。
「ヴィル様。お待たせしました」
マリアの授業が始まり、椿がようやくヴィルの方へ振り向いた。
「今度、馬に乗ってでかけないか?」
ヴィルヘルムの誘いに椿はしばらく考えた。
「馬、ですか。わかりました」
だいぶ乗馬には慣れてきた頃である。
もう遠くに行くことにも抵抗はなかった。
ヴィルヘルムが一緒であれば怖くないだろう。
「最近楽しそうだな」
「はい。マリア様から色んなことを教わっていますので」
クラウディオが言っていたことを思い出す。
女視点では椿が知りたいが、男性には聞きづらいことがあっただろう。
そうなると若い娘の知り合いを作れてよかったのかもしれない。
一応エヴァやフローエ夫人もいるのだが、二人とも椿に会う時間をいつでも作れる訳ではない。
(となるとマリアには感謝した方がいいか)
例の誘拐事件でマリアに思うことはあるが、彼女は反省しており椿が許している。
このまま良好な関係を築くのであれば、それが一番だろう。
◆◆◆
こんこん。
クラウディオが部屋でのんびりしているとノックが響いた。
「どうぞ」
迎え入れると現れたのはマリアであった。
「どうしたの?」
「クラウディオ様、作戦を考えようと思いまして」
突然の言葉にクラウディオは首を傾げた。
なんの作戦であろうか。
「もちろん、お父様に椿のことを認めてもらう作戦よ」
何と彼女はあんなに椿に反抗的であったのに今ではすっかり二人の仲をとりもとうと考えているようだ。
「どうしてそう思ってくれたのかな」
まだ信用しきれないクラウディオは尋ねた。
「椿はヴィルお兄様のことを本当に好きなのよ。お兄様も椿のことが好き……」
あの誘拐事件の時に一緒に馬車で待機している時を思い出した。
椿は震えながらもヴィルヘルムの方へ飛び出そうとした。
彼女に何かあってはならない。
マリアはぎゅっと椿の腕にしがみついて彼女を止めた。
奴隷商人を捕えて、ヴィルヘルムと別々に帰ることになった後も、椿は何度も窓の外を見つめていた。
それを見て椿の想いは本物だとマリアは実感した。
「素敵だと思うの。好きな者どうし結ばれるべきだと思うわ」
「でも、君は椿を東海の人間だと、ふさわしくないと言っていたじゃないか」
そういいマリアは顔を赤くした。
「はい、今ではとても恥ずかしいと感じているわ」
奴隷商人に捕えられた時の光景は今も忘れられない。
痛めつけられ、もはや泣くこともできなくなった奴隷をみて、マリアは恐怖に震えた。
「あんな恐ろしい目に遭っていたかもしれないのに、椿は私を許してくれたの。今では大事なお友達よ。お友達には幸せになって欲しいの」
「実に素晴らしい意見だ。マリア。多くの人々が君のように考えれば、不幸な人は減るだろう」
クラウディオは大仰に絶賛した。マリアはうさんくさげに呟く。
「そんなたいそれた話はわからないわ。ただ、椿が幸せになればそれでいいと思うの」
「そうだとも。目の前にいる隣人の幸せを願う、これが大事なことなのさ」
そういいクラウディオはしばらくマリアの話に耳を傾けた。
マリアの心の変化には喜ばしいことと考える。
同時に思った。
(自分は彼女のように考えることはできないな)
自分は自分の価値観のまま動いている。
優先する存在と後回しにする存在、それにすら組されない者がいる。
優先が高いのは椿、マリアは後回しの存在である。
今もそれは変わらない。
だからこそ彼女には敬意を示していた。
「なかなか良い案が思いつかないわね」
まずはマリアとしては兄の固い頭を柔軟にしていくことが優先だと判断した。
果たしどう行動するのか今後の楽しみとしておこう。
「そうだわ。これを」
マリアは獣肉の干物を取り出した。
「あの猫にあげたいの。お礼に」
「ああ、そうか」
クラウディオはぱちんと指を鳴らした。
にゃー……
彼の足元から白い猫が現れた。
マリアは猫に対して干し肉を渡すと猫は嬉しそうに尻尾をふりむしゃむしゃと食べていた。
「可愛いわ。名前は何というのかしら」
「ビアンカだよ」
真っ白な毛並みだからそのままその名前をつけたのだとクラウディオは笑った。
「猫のビアンカ……聖女ヴィヴィアナの愛猫と同じ名前ね」
「マリアは物知りだね」
「古典を読んでいればそれくらい知っているわよ」
マリアは唇を尖らせた。
まだ幼いながら異国の文学にも触れている。
「クラウディオ様が言ったのよ。ユリアン国の古典読破とユリアン語を獲得したら、ユリアン国へ観光に連れて行ってくださると」
「おや」
先程まで忘れていたが確かにそんなことを言っていたような気がする。
だが、それはマリアがもっと幼い頃、ナイフもフォークも区別付かなかった頃である。
覚えていたとは思いもしなかった。
「もう、忘れているとわかっていましたが」
マリアは呆れてクラウディオを睨んだ。
「レディに守らない約束はするものではありませんよ」
厳しい意見、ごもっともだ。
クラウディオは笑った。
「はは、すまなかった。そうだね……代わりにに好きな戯曲の舞台へ連れて行ってあげよう」
「本当ですか?」
マリアはぱっと明るくなった。




