1 赤い川の領地
国の西南部に位置するロートバッハは谷に囲まれた盆地であった。
そこでは葡萄の栽培が盛んで、ワインの産地としての名を持っていた。
そしてここの領主がエーデルシュタイン家の当主が務めていた。
国内上位のワインを産出してきた家であり、貿易商との交流が盛んであった。海に面していない領地であったが、それだけここのワインは魅力であった。
「まぁ、僕はワインはユリアンのものが好きかな」
馬車の中でクラウディオは椿にこの土地のことを説明した。
椿は興味深くそれを聞きながら、ちらりと向かいの席の馬車の主の姿を見つめた。
ヴィルヘルムは疲れたように窓際に寄りかかった体勢で眠っていた。
ここ数日あまり眠っていないと聞いていたため二人はあえて起こそうとしない。
忙しかった原因は休暇をとるために前倒しに仕事をこなしていたからだ。
【銀十字】の仕事以外にもすることはたくさんあり、帰ってくるのは夜遅くになり朝になれば早めに出立する。
おかげで出発まで、椿が彼の姿を見ることはほとんどなかった。
以前の【吸血鬼】事件で観察入院したときは毎日来てくれたが、それは仕事場のすぐ傍であったから可能だったのだろう。
慣れない場所で椿に不安を与えないように無理やり時間を作っていたのかもしれない。
彼の眼の下をみると隈が少しできている。
彼の疲労を思いやってやれず椿は申し訳なく感じた。
「全く君を前に眠るなんて失礼な奴だ」
クラウディオはぷんぷんと怒っていった。
「いいえ、ヴィル様はここ最近多忙だったので仕方ありません」
大事な実家への同席を許してくれて、そのための衣装も準備してもらった。
それだけでも申し訳ないことである。今着ている衣装も真新しい。たいそうなお金がかかっただろう。
「んー、椿が傍にいてくれるだけで十分だと思うよ」
「私には自分の傷を癒すことしかできず、他者のことは」
その口ぶりにクラウディオはぷすっと笑った。
「いや、誰も癒せてないことはないね」
自分は何か変なことを言ったのだろうか。
椿は首を傾げた。
そんな彼女にクラウディオは優しく微笑んだ。
◆◆◆
ヴィルヘルムの実家は大きかった。
庭の中に森があり、薔薇園があり多くの建物が建てられていた。
その中でも最も大きい屋敷が本邸である。
庭のあまりの広さに椿は思わず口を開いてしまった。
王都にある館も大きく広いものであったが、その比ではない。
「まぁ、しょうがないね。ヴィルの実家は国内でも10本指に入る名家で、引退した彼の祖父はまだ国の中枢への発言権が強いといわれているからね」
「……そんなにたいそれた家なのですね」
椿は恐縮してしまった。
改めて聞くとヴィルヘルムの家のすごさに圧倒される。
起き上がったヴィルヘルムは椿の手を握りしめた。
「本家を継ぐのは兄上であり、俺はいずれ家を出る。気にしなくていい」
馬車を降りると多くの使用人たちが綺麗に整列し椿たちを迎えた。
正確には主人の弟であるヴィルヘルムにであるが。
「椿は俺の側についてくればいい」
ヴィルヘルムに言われて、椿は彼の後ろを離れず歩いた。
ちらりとみる使用人たちは微動だにせず主人に何も言われなければそこから動かずといった姿勢であった。
まるで訓練された兵隊のようだ。
奥の部屋へ案内される。
屋敷の主人がいる応接間だった。
「ヴィル、おかえり」
綺麗に結われた金髪の髪に青い瞳の青年が出迎えた。
親し気にヴィルヘルムへと近づきほほ笑む。
「アルベルト兄上、お元気そうで何よりです」
兄と言われ椿は思わずぴんと背筋を伸ばした。
(この方がヴィル様の兄上)
実のところもう少し厳しそうな方だと思っていた。
物腰柔らかでのんびりした口調で、故国の貴族と同じ雰囲気であった。
「おや、愛らしい娘だね」
「はい。椿」
ヴィルヘルムに促されて、椿は姿勢をただして礼をした。
教えられた淑女の礼儀作法を、きちんとできているか自信がない。
「椿と申します。この度、伯爵閣下に見えて光栄です」
だが、ヴィルヘルムの面目を潰したくない。
背筋を伸ばして堂々とした。
「彼女が君の言っていた紹介したい子かい」
アルベルトは穏やかに椿を見つめた。
椿は視界の端のクラウディオの反応をみると、自分の振る舞いは悪くないようだ。
ヴィルヘルムはぐいっと椿を腕に抱きしめ引き寄せる。
「そうです。この娘が俺が言っていた椿です。そして今回彼女との婚約を認めてもらいたく来ました」
しばらく沈黙が続いた。
椿は自分がここにいていいのかおおいに悩んだが、ヴィルヘルムの腕の力が緩むことはなくここから離れることができなかった。




