9 夜中の告白
「っ……いや!」
ベッドから飛び跳ねた椿はあたりを見渡した。
誰もいない静かな寝室であった。
ひどい汗をかいている。
震える手で首筋を触れた。
まだあの時の血を吸われる感触が残っている。
昨日の今日のことである。簡単には忘れられない。
椿はふらふらしながら窓の方へ歩いた。
窓を開けるとひんやりとした空気が入ってきて、少し呼吸が落ち着く。
空をみると美しい月が見えた。
潮の香と音とともにその夜空を眺める。
また満ちる前の月であるが煌々と輝き夜の庭を照らした。
「はぁ」
ようやく落ち着いたが、今度は喉がかわいてきた。
部屋の水さしは空になっているから厨房でもらってこよう。
水さしを持ちこつこつと静かな廊下を歩いた。
誰もいない厨房で飲み水のある場所へと近づいた。
「何をしている」
声をかけられびくりと震えた。後ろをみると銀髪の端正な顔立ちの男が立っていた。
「ヴィル様、お水が欲しくて」
ヴィルヘルムは椿の方へ近づいた。
「そうか」
そういいながら椿に触れるとあまりの冷たさに眉をしかめた。
「冷えている」
「え、と……ちょっと夜風にあたりたくて、窓を開けていたんです」
心配をしてくる男に安心させるように椿は笑った。
「それにしても冷えすぎだ」
「……」
「来い」
そういいヴィルヘルムは椿を自分の部屋へと連れ込んだ。
椿を椅子に座らせ上着を羽織らせた。
ヴィルヘルムは椿の目の前のテーブルにワイングラスを出し、それにワインを注ぎ込んだ。
甘い果実の匂いが心地よい。
ヴィルヘルムはワインを椿に差し出した。
「ありがとうございます」
せっかく差し出されたものであり一口飲むとふわりと甘さが広がっていく。
のどの奥が少し温かくなるのを感じた。
「美味しいです」
そういうとヴィルヘルムはそうかと呟いた。
「……」
ひとくち、ふたくち飲んだ後、椿はワイングラスをテーブルの上に置いた。
頭がぽーとしてくる。
「あの、申し訳ありません」
「何故謝る?」
頭を下げるとヴィルヘルムは尋ねた。
少し不愉快そうな声であった。
「ヴィル様にたくさん迷惑をおかけしてしまいました」
そもそもこの事態になってしまったのは何の疑問も抱かずキリルを招き入れた自分にあるのだ。
彼を懐に入れなければ、カティは死なずにすんだだろう。
「謝る必要はない」
「ですが……」
昨日までふつうに話してくれた使用人のことを思い出した。
明るく素敵な女性であった。
確か故郷に弟がいるという。
弟が彼女の死を知ってどんなに悲しむだろうか。
気づけばとなりに座りこんだヴィルヘルムは椿の肩に触れた。
「あまり自分を責めるな。俺の落ち度でもある」
「いえ、私……」
ヴィルヘルムを責める気など起きない。
「お前との約束を破った。直接会いにいって事情を話すべきだった」
「そんな。ヴィル様はお忙しい方なのです。私に構わずに……」
ぎゅっと包み込まれる感覚に椿は動揺した。
自分の鼓動が早く大きくなるのを感じる。
彼に気づかれていないか不安を覚えた。
「あ、あの」
「屋敷にお前がいなくて心臓が止まる思いがした」
危険なことに巻き込みたくないと思いこの館に押し込めていたが、危険なものが館に入り込んだことに気づきもしないで周辺への捜索に没頭していた。
自分が愚かしい。
動揺し【狩人】に椿の捜索をさせた。
自分自身も思い当たる場所を思い出し町中を走り回った。
彼女が自分から離れたということでどれだけ心が荒れたか。
「よかった……」
ここに戻ってきてくれて。
心からの呟きに椿は胸が締め付けられる思いだった。
「ご心配をおかけしました」
ただの密売品のひとつに過ぎなかった自分をここまで大事に思ってくれている。
椿は素直に嬉しいと感じた。
先ほどの悪い夢も忘れられそうだ。
椿はヴィルヘルムに礼を言い部屋を出ようと思ったが、ヴィルヘルムは解放しようとしなかった。
「好きだ」
その言葉を聞き、思わずヴィルヘルムを見つめた。
今何をいわれたかすぐには理解できなかった。
「お前が好きだ」
聞き違いではない言葉に椿は動揺を隠せずにいた。
「え、と……そのうまく理解ができません」
ようやくそれをいうとヴィルヘルムは頬を赤くし顔を背けた。
「愛している、といった方がわかるか?」
直接の言葉を使用されようやく椿は認識した。
「……私は人とは異なっていますよ」
「構わない」
ヴィルヘルムは言う。
「はじめて会ったときからすでに知っていることだ。それで気持ちを変える気はない」
「私はあなたよりすごく年上です」
「そうだな」
椿は悩みながらも口にする。
「おばあちゃんですよ」
何百年も生きた自分の身を改めて確認した。
ヴィルヘルムは目を細めて笑った。
「危なっかしくて年上ぽくみえないがな」
揶揄するような口調で囁き、彼女の髪をなでる。
「私は……この国の人間じゃありません。それに、貴族のあなたには」
もっと相応しい淑女がいるだろう。
椿も向こうの国では地方の豪族の娘であったため身分については理解できている。
この国の身分を判断しづらいが、それでもヴィルヘルムは大きな家門の御曹司だとわかる。
対して自分は奴隷に身を落とした、身分のない者である。
「お前は俺が嫌いなのか?」
ヴィルヘルムははぁとため息をついた。
明らかな不満の声に椿は慌てた。
「いいえ、お慕いしています。ですが……その、私なんかと添い遂げても苦労するだけでしょう」
「そんなことか」
ヴィルヘルムは呆れたようにため息をついた。
「確かに俺は貴族のはしくれだし、お前と一緒になれば周りは好奇の視線を送るだろう」
「……」
「だが、それでも俺の気持ちは変わらない」
椿がいなくなったというだけで冷静ではいられなくなっていた。失いたくないと思った。
もう一度ヴィルヘルムは椿の髪に触れた。
絹糸のように艶やかで美しい黒い髪だ。
「お前が嫌だというのならそれでよい。これ以上無理は言わない」
「そんな、嫌では……」
椿はようやく口にした。ワインの影響で頬が赤くなっているが、ワインだけのせいではなかった。
「私もヴィル様のことをお慕いしております」
身の程をわきまえない想いに苦しむこともあった。
だが、あの日暗い船の奥に閉じ込められていた自分を見つけ出し助け出してくれたのはヴィルヘルムだ。
はじめは少し怒りっぽいと感じていたが、優しくていつも自分に気を遣ってくれる。
気づけば好きになっていた。
「そうか。それは俺の告白への返事だと捉えてよいのか?」
こくりと椿は頷く。
頬を捕らえられ上の方へ向かされる。ヴィルヘルムの端正な顔立ちがみえた。
はじめて会ったときから思っていたが、綺麗な方だ。
唇と唇が重なり合う。
逃げることはしない。
そのまま受け入れる。
私はヴィル様のことが好き。
軽い接吻でありすぐに放されたがそれでも甘いものであった。
はじめて感じた恋というものに酔っていた。




