8 お迎え
真っ暗闇の中、逃亡をはかったキリルは道を歩いていた。
「うー、寒いよー」
特に寒がる素振りを見せない。
ただ、人間がそうしていたことを思い出して真似しているだけである。
ひゅー……ひゅー
風の音がささやいて、キリルは歩をとめた。
頬を撫で、髪を揺らす風を感じて瞼を閉ざす。
がたがた……。
車輪の転がる音がして、目の前に簡易な馬車が現れた。
馬車には灯りは灯されていない。
それなのに、馬は不安がらずに少年の元へと近づいてきた。
「お迎えにあがりました」
御者が馬車から降り、膝をつき頭を垂れていた。
男の装いをしているが、声の質で女性とわかる。
黒いフードつきの外套を身に着けており、顔はよくみえない。
「ああ、メイリー。迎えにきてくれたのだね」
少年は笑い、馬車の方を眺めた。
「でも、もう少し良い馬車がよかったな」
馬車には天井はなく、野晒しの状態だ。
呟かれる不満に女性はさらに頭を下げる。
「申し訳ありません。ここ周辺の村で手に入れられたのがこれでしたので」
それでもないよりはましだろう。
少年は女性の手を取り、馬車の中へと入った。
年季の入った古い椅子に腰をかける。
それを確認した女性は御者の席へ戻った。
御者は
「お戯れはこのくらいにしてください。攫われたあなたを探すのに苦労しましたよ」
御者の苦言に少年はくすくすと笑った。
「でも、これでわかったよ。密売人がいかにしてものを運ぶかを」
逃げようと思えばいつでも逃げれた。
密売人を殺してしまうのもたやすかった。
だが、密売されものとして扱うのがどれほどのものか知るためにあえて付き合っていた。
だいたい飽きてきたため目を盗んで逃亡したが、思ったより傷がひどくふらふらと徘徊していた。
すると風と共に良い匂いを感じ取り、無意識に椿のいる屋敷へと辿り着いた。
「密売のことなどあまり知っても良いものではないかと」
「そうそう、メイリー。ジギス城へ行ってくれ」
自分の故郷――アルブシルヴィウス山脈への途中にある盆地の城だ。
山と森に囲まれた僻地にあり、一族が購入した別荘だった。
「しばらくこの国に滞在する。面白いものを見つけた。あれが手に入るまでは僕は帰らないよ」
「それは私が困ります。ご本家の方になんていわれるか。お望みであれば後で届けましょう」
メイリーはそういうがキリルは頑なに譲らなかった。
「それはダメだよ。僕が自ら迎えにいく必要がある」
「それは随分なお気に入りなのですね」
「ああ、あれは実によいもの。少し血をのんだだけで、僕の傷をあっさりと癒してしまった」
密売者から受けた傷は常人であれば致死に至るものであった。
キリルにとっては死に至らないものであるが、それでも回復には時間がかかった。
椿の血を少し飲んだだけで一瞬で治癒してしまった。
しかも今まで飲んだどの血よりも美味で甘美なものだった。
是非もう一度啜りたい。
そして何日もかけてじっくりと楽しみたい。
「可愛い、【不老不死の魔女】……本当にいたんだ」
親族が購入予定だと、自慢していたのを思い出した。
それが手違いで、【銀十字】に押収されて悔しげにしていたのを思い出した。
「【人魚】というのはあんなに美味しいものなのか。それとも【人魚】を食べ変性した彼女の体が美味しいのか」
気に入ったのは血の味だけではなかった。
彼女の恐怖に歪んだ表情はキリルの嗜虐心を煽った。
今まで多くの恐怖に歪められた顔の人々をみてきたが、あそこまで心が高ぶったのははじめてだ。
キリルは先ほどまで自分が歩いていた方角を見つめた。
そのずっと先には港町ヨハヒムがあり、そこに先ほどの少女がいる。
今までみた誰よりも美味な血を持ち、嗜虐をそそる顔で興味を引き立てた。
あれほどの存在はこの先そうそう現れるものではない。
簡単に諦められない。
「また会いにいくよ」
少年は静かに笑った。
暗闇の中、金の瞳は怪しく光る。




