3 郷愁
「彼女をどこで購入したのです」
その言葉にヴィルヘルムは嫌悪した。
「東金では西海の者の人さらい、奴隷転売の行動に警戒して一部の国以外の国交は断絶しています。その一部の交易国はこのベルラントではありません。あの国が適齢期の淑女をこの国へ留学に出すでしょうか。彼女は人さらいに遭い奴隷転売された女性ですね」
東海の情勢には疎かったが、そうした内情があるのか。
「……ああ。彼女は違法船に捕らえられていた。俺はそれを取り締まり、彼女を保護したんだ」
「そうでしたか」
シェートンはあっさりとヴィルヘルムを信じ、彼に向けてた冷たい視線を消し去った。
「失礼しました。西海の諸国には東海人を家畜のように売買している者がおり、警戒していました」
「あっさり信じるんだな。俺が嘘言っているかもしれないのに」
先ほどの冷たい視線が嘘のようである。
「ええ、あなたがフローエ夫人の甥でなければ信じていませんよ」
「叔母上を知っているのか」
「知っているも何も上客ですよ。たいへん勉強熱心で、交流して数年で私の母国の言葉を覚えてしまいました。今では古典にまで手を出す始末……頭が上がりません」
大学の講師の夫に持ち彼女自身も家庭教師をしていた経緯もあり勤勉な方であった。
ヴィルヘルムの勉学をみている片手間で自分も新しいことを勉強している人で、部屋にはずらりといろんな書物が並んでいた。
石板やら木の札なんかもあったような気がする。
「彼女からあなたの話はよく聞いています。仕事優先に動いてなかなか身を固めようとしてくれなくて悩んでいると」
「ほう」
(異国商人に何を言っているんだ、あの叔母は)
内心ひとりごちるが表情を出さない。
「あとはそうですね。私の支援者であるバルス卿からもあなたのことは伺っています」
久しく聞いていない名前を聞きヴィルヘルムは顔をしかめた。
「あいつは今どこで何をいているのだか」
「この前までは天楽にいたそうでうが、最近はマジェンタ国に戻られたといいます」
バルス卿というのは貿易商も営んでいる貴族アーロン・バルスのことである。
父親はマジェンタ国の貴族で母親はベルラント帝国の貴族というハーフであり、父親が婿養子になるという形で婚姻を結んだという。
ベルラント帝国とマジェンタ国の橋渡し的な役割を持つ貴族であるが、放浪趣味があり貿易船に乗り込んではあちこちの海を渡り歩いているという。
そのため代わりを果たしているのは彼の姉であり1年前会ったときは弟への愚痴を少し聞いてしまった。
「それよりも彼女……いずれどうするのですか?」
ちらりとシェートンは椿を見つめて質問した。
「ああ、上司の命令でしばらく俺の家で保護している」
「国に返してあげないのですか」
「それは……この国では難しいことだ」
椿もはじめはそれを望んでいたが、ベルラント帝国から東金へ届けるのはかなり至難の業であった。
「私ならできますよ」
シェートンはにやりと笑い方法を述べる。
「私の国――大眞国は、東金と交流があります。まず大眞国に入ってもらい、彼女を国へ送り届けます」
口では簡単に言うが、そのためにはいくつもの準備が必要になる。
「それか私の国で過ごすのもよいですね。ここで周囲から珍しい目で見られて過ごすよりは似た外見の人が多い国の方がまだ気が楽でしょう」
「それは……」
シェートンの言い分にヴィルヘルムは応ともいえない。
確かに今よりは気が楽になるだろう。
珍しい肌珍しい黒髪と黒い瞳は何か人目を惹いてしまう。
そして一部の者は差別的な認識をもっているのも事実であった。
社交界でもそれで彼女が嫌な目にあっている。
「ま、気が向いたらいつでも私に話をください。ただし、お代は旦那さま持ちですよ」
シェートンはただでは動く気はないと言った。
店のものを眺めるだけでも時間が過ぎてしまい、気づけば夕暮れになっていた。
帰りはヴィルヘルムが椿の手を握り町の中を歩いていた。
少しだけ椿の足が鈍くなるのを感じヴィルヘルムはどうしたと声をかけた。
「いえ、綺麗だなと……」
そういい海の方を眺めた。
夕日が沈む前の赤く染まる海の面は美しく輝いていた。
波の音に耳を傾け椿はほうっとその海を懐かし気に見つめていた。
そういえば以前、彼女の過ごしていた場所は海に面していたと言っていたな。
「母国が恋しいか?」
「え、……」
突然の質問に椿はきょとんとした。
しばらく考えるようなそぶりをして椿はこくりと頷いた。
「ええ、恋しくないといえばウソになります」
(やはり帰りたいという気持ちはあるのか)
それを感じ取りヴィルヘルムは心の中で考え込んだ。
多少の代金くらいは自分は出せないことはない。
ここで見知らぬ国で過ごすよりは母国に帰る方がずっといいはずだろう。
「もし帰れる方法があるとすれば、すぐにそれに乗るか?」
「いいえ」
予想しない返答にヴィルヘルムは首を傾げた。
帰りたくないのかと問うと彼女は帰りたいですと答えた。
では何故……
「ヴィル様に御恩があります。それをお返しするまでは帰りません」
はっきりという言葉にヴィルヘルムはどこか安堵を覚えた。
彼女は自分の傍にいてくれるのだ。
「そうか。不便はないのか? 心細さは」
「いいえ。こうしてヴィル様が手を握ってくださるだけで安心します」
「そうか」
表情を崩すまいとヴィルヘルムはそれだけいうと椿の手を引き館の方へと歩を進めた。
「ああ、そこはハグでしょ」
後ろからみていたクラウディオはぼそっとそれを呟いた。
相変わらず二人の関係をみてはやきもきした気分になる。
にゃー……
猫の声が聞こえクラウディオはくるりと振り返る。
白い猫がクラウディオの方へ近づいてきた。
「おかえり。うん、情報は手に入れたんだね。良い子」
そういいクラウディオは白い猫を抱き寄せ頭を撫でた。
「あとでミルクと魚をごちそうしてあげよう」
白い猫は上機嫌にごろごろと鳴いた。




