3 危うさ
午後――エヴァの宣言通り、ブティックが来て今は椿の着せ替え状態だった。
クラウディオは参加せず、書庫で本を読んでいた。
「おや、椿のドレスを一緒にみないの?」
そこへ訪れるのはフローエ夫人であった。
手には氷嚢を持っている。
「酷い頬ね」
フローエ夫人は右頬を指差し、クラウディオに氷嚢を手渡した。
「昔に比べたらましだよ。昔のヴィルはよく齧り付いていたから、化膿止めがいつも必要だったな」
クラウディオは昔を懐かしみながら、氷嚢を右頬にあてた。
「三発くらいは覚悟していたんだけどね」
「ごめんなさい。私とエヴァの代わりに殴られたようなものよね」
ヴィルヘルムに殴られた理由は、クラウディオも椿が囮になると知っていて黙っていたことだ。
「麗しの夫人と令嬢の代わりに殴られたのだから名誉なことさ」
「相変わらずね」
フローエ夫人は苦笑いした。
「ねぇ、クラウディオ。椿さんをどう見ている?」
一番聞きたい問いを尋ねる。
「どう、て」
「あの子の精神状態よ。神経症の専門家さん」
クラウディオは困ったように微笑んだ。
「名前はないけど、あの子は自分を大事にできない子だ」
それを聞いてフローエ夫人はため息をついた。
「やっぱりね」
「椿は、長い時間を1人過ごした。社会から孤立していた。自分の居場所などない、迷惑がかからないようにひっそりと……」
クラウディオは表情を落とした。
「そして、ここ数年、奴隷商人に捕まり全ての尊厳を剥奪された。ますます自分に対する感情は希薄になってしまった」
厄介なことだとクラウディオは頭を抱えた。
「しかも、とんでもなく、相手の痛みや苦痛に共鳴しやすい」
先程のハンスを捕縛した時のことを思い出す。
ヴィルヘルムが椿を馬車へと担ぎ込み、【銀十字】が来るまではハンスを見張っていた。
ハンスは退屈しのぎで語っていた。
「椿ね。僕が、同じ化け物で、父と死に別れしてひとりぼっちと言ったら警戒を解いたよ。すぐ怖がらせちゃったけど……」
それを聞いて確信した。
自分を大事にしないばかりか、他人を優先してしまう。
自分に危害を加えた相手にも、悲しみや苦痛に過敏に反応してしまう。
先程の謝罪の場でもそうだ。
ハンス・フランケンシュタインの被害は増えることがないことを一番よしとした。
勿論、痛いのは嫌だと泣き叫ぶことはできる。
ただ終わればあっさりとエヴァとフローエ夫人の謝罪を受け取ってしまった。
許さないと言っても許されたのに。
「なんだか人魚姫みたい……」
フローエ夫人は呟いた。
人魚姫は、最近流行した物語だ。
人魚姫は、溺れる王子を助けて、恋をして全てを捨てて人間になったのに恋は叶わず。王子を殺せば元の人魚姫に戻れるが、人魚姫はそれを選ばず泡になり消えた。
「いつか擦り切れて、泡になって消えてしまうのじゃないかしら……」
勿論、不老不死の椿は死ぬことはない。
ただ、今のままだといつかどこかで心を失うだろう。それなれば、彼女の体を自由にし放題だ。
「一番は、あの子が自覚することだ。自分も大事な存在だって……」
でも、それは難しい。
800年以上の時間は緩やかに彼女の心を蝕んだ。
「だから、荒療治が必要だね」
「荒療治? どんな」
クラウディオは笑った。
「自分を大事にしてくれる存在に出会うこと」
もう既にそれが叶えられている。
そう思いたい。
「ヴィルは、うまくできると思う?」
フローエ夫人は少しばかり疑問に思った。
クラウディオの返答は曖昧なものだ。だが、希望は見られる。
「今のところうまくできていると思うよ」
先程の光景を思い出した。
椿よりも怒っていた。
公爵に抗議するとまで言って。
「アルフレートはびっくりするね。あの、公爵に忠実なヴィルがね……」
クラウディオは右頬を撫でながら言った。
フローエ夫人は笑った。
「むしろ喜ぶかもしれないわ。ようやく大事な女性に出会えたことに」
それが【不老不死の魔女】という異端者であっても。
◆◆◆
椿は、恐る恐るヴィルヘルムの書斎を訪れた。
「失礼します」
部屋の中ではヴィルヘルムが書類整理していた。
彼は軽く頷いた。
椿は、両手にお茶のセットを載せたお盆を持っていた。
書斎にあるローテーブルにてお茶の準備をする。
かちゃ
と磁器の音が響き、お茶の香りが鼻をつく。
ヴィルヘルムは筆を置いて、おもむろに立ち上がった。椿が作業している前のソファに腰をかけた。
椿がお茶を淹れ終えたらヴィルヘルムはそれを手にした。
ゆっくりと紅茶は飲まれていく。
「あの……ヴィル様」
椿はうつむきながらもヴィルヘルムに声をかけた。
「ありがとうございます」
その言葉にヴィルヘルムは首を傾げた。
「私は、ヴィル様にいつも助けていただき、……お礼をしたくても何も持ってません」
椿は相変わらず目を伏せたままだ。
「だから、私が役立ちそうなことがあれば何なりと言ってください。囮でも何でもしま」
ガチャン
ヴィルヘルムはカップをソーサーに置いた。
音に椿は驚き、肩を震わす。
怒られると思うなら何故言うのか。
ヴィルヘルムは椿の様子を眺めて、ため息をついた。
「そうか、そんなに俺の役に立ちたいか?」
「! ……はいっ」
椿は間髪入れず頷いた。顔をあげて目を輝かす。
「週末、俺の手伝いをしてくれ」
ヴィルヘルムの言葉に椿は強く頷いた。
嬉しそうにしていて、ヴィルヘルムは目を細めた。




