5 相応しくない場所
椿は突然横からの衝撃に体制を崩した。
「きゃっ」
別でダンスをしていた令嬢と衝突してしまった。
とっさに引っ張られて、椿はヴィルヘルムの腕を擦り抜けて倒れてしまった。
音楽が流れる中、止まってしまった2組に周囲はざわっと囁き注目した。
「椿、大丈夫か」
内心反省をしながら椿に手を差し伸べた。
「すまない。俺がちゃんと支えていなかったから」
「いえ、私……」
椿は微妙な表情を浮かべた。
まずはこの状況を整理する必要がある。
ヴィルヘルムが差し出した手を掴もうとした椿に、上から高い怒りの声が降りかかった。
「ちょっとあなた!」
甲高い怒りの声に椿はびくっと震えた。
先程椿と衝突した令嬢であった。
彼女は顔を真っ赤にして椿を睨みつけて、肩を乱暴につかんだ。
「なんてことしてくれるのっ! 私のドレスを踏んでくれて!」
椿はおそるおそる下を見る。
床についた膝の下に令嬢の青のドレスの裾が挟まっていた。椿のヒールが令嬢の裾の中へ食い込んでいた。
椿は慌てて、膝を直して頭を下げた。
「申し訳ありませんっ」
「謝ればすむと思っているの? すっごく気に入っていたのにっ。台無しだわ」
娘の金きり声にヴィルヘルムは苛立ちを覚えた。
そちらから衝突してきたというのに何という態度だ。
ここでヴィルヘルムが怒っても椿が恐縮する一方だ。
深呼吸をして、極めて冷静な声で令嬢に言った。
「大丈夫ですか。ドレスの弁償は私が出しましょう」
令嬢はヴィルヘルムの方へ振り向き、上品に笑った。
「これはヴィルヘルム様。お気遣いいただきありがとうございます」
先程の金切声が嘘のようだ。
この変わりようにヴィルヘルムは心底嫌いであった。
「でも、私はこの子に言っているのです」
娘はきっと椿に振り返り、もう一度甲高い声をあげた。
その声の大きさに椿はびくりと震えた。
「もう、あなたに踏まれてこのドレス着れないわ」
「すみません。弁償します……」
椿はその場で小さくなり、そう言うしかなかった。
「弁償? ……っは!」
椿の謝罪に令嬢は鼻で笑った。
明らかに見下して、小馬鹿にしている。
「あなたが弁償? できるの? これがいくらしたかもわからない東海娘のくせに」
「……」
「出てってくださる。あなたはこの場に相応しくないわ」
さらに畳み掛けるように令嬢は言う。
「その肌の色、黒い髪に黒い瞳……東海の珍獣が迷い込んだかと思いましたわ。それとも主催者の趣味かしら、随分と自由な会ですこと!」
「今、ここで彼女の容姿は関係ないだろう」
ヴィルヘルムは椿と令嬢との間に割り込み言った。
思わず声が厳しくなっていた。
「あなたはドレスを台無しにされて怒っていたのでしょう。私がそれ相応の弁償をさせていただきま
す」
つらつらと今の問題点を述べる。
今の衝突はどちらが悪かったを今揉めてもパーティーで悪目立ちするだけである。
だが、最後の一言については引き下がれなかった。
「……ですが、今の非礼は謝罪してください。彼女に」
はっきりとヴィルヘルムは言い放った。
あまりの厳しい口調に令嬢は少しだけひるんだ。
だが、すぐに笑顔で嫌味を言う。
「ヴィルヘルム様も大変ですわねぇ。こんな娘の面倒を任されて、恥をかかれるなんて」
「……っ!」
椿の胸にぐさりと鋭いものが突き刺さる感覚を覚えた。
(私のせいでヴィルヘルムに迷惑がかかってしまった)
彼女は痛感し、青ざめた。
「っ、いい加減に……」
ヴィルヘルムの怒りは我慢できず、令嬢に詰め寄った。
「この件は後日あなたの家門に、正式に抗議します」
「やめてください」
怒るヴィルヘルムに、椿は止めに入った。
声が震えている。あまりの弱々しさにヴィルヘルムは椿の方を凝視した。
「申し訳ありません。確かに私には分不相応な場所でした」
椿は立ち上がり、改めて令嬢に頭を下げた。
そして、ゆっくり顔をあげ言った。
「出て行きます。ですから、怒りを収めてくださいっ……ヴィル、ヘルム様に迷惑がかからないようにしてください」
必死の願い。
「椿、そんなことをする必要はない」
椿はじっと悲しげにヴィルヘルムを見詰め、申し訳なさそうに呟いた。
「すみません……っ」
椿はドレスの裾をつかんで、走り出した。
「椿!!」
ヴィルヘルムが椿の手を掴もうとしたが遅かった。
するりと彼女の腕はすり抜けて行き、彼女を捕らえることができなかった。
人の多い場所を選んで、その中へ消えていく。
彼女は真っ直ぐにホールの出口へ向かっていた。
「くそっ」
彼女の後を追うが、人が邪魔でうまく前に進めなかった。
次から次へと人にぶつかりながらヴィルヘルムは椿の後姿を目で追った。
「椿! 待て!!」
しかし、椿は振り向くこともなく人の間をうまく避けきり出口に到着し、外へ消えてしまった。
気づけばダンスの音楽は中断して、人のざわめきでホールは満たされていた。




