8 練習
「……っ」
目を覚ました椿は自分の寝室であることを確認した。
おもむろにベッドから起き上がり、時計を見つめてぎょっとした。
時間が予想以上に進んでいた。
もうヨーゼフが朝の支度をすませてしまっている頃であった。
「いけないっ」
椿は急いで洋服に着替え、身を整えた。
そして急いでダイニングへと駆け込む。
「おはようございます」
ダイニングにてヨーゼフが微笑みかけてきた。
「あ……おはようございます」
すでにテーブルには朝の支度がすまされている。
それを見て椿はしゅんとした。
「すみません。寝坊をしてしまって」
「いいえ、丁度朝食の時間です。呼びに行かずにすんで助かりました」
椿としては彼の朝の手伝いをしたかったのだが、と落ち込んでしまう。
「おはようございます。旦那様」
ヨーゼフは館の主人に挨拶をした。
椿の後ろにヴィルヘルムが立っていて椿は端に控えて頭を下げた。
ヴィルヘルムは自身の席についた。
「どうした。早く座れ」
なかなか座ろうとしない椿にヴィルヘルムが声をかけた。
「ええと、……」
せめて他の手伝いを椿は探そうとした。
「テーブルマナーのチェックがしたい。座って食事を取れ」
ヴィルヘルムはそう言い、ヨーゼフに目配せをした。
ヨーゼフはすぐに応じ、椿を席に座らせた。
パーティでは当然食べ物も出てくるだろう。
その際の食べ方もマナーというものがある。
ヨーゼフにだいぶ教えられたとはいえ、果たして外に出ても良いレベルだろうか椿にはわからなかった。
ヴィルヘルムはそれを自分で確認したいというのだ。
椿は緊張しながら朝の食事をとる。
固い表情であるが、ある程度所作は身についているようであった。
「まぁ、これくらいなら大丈夫だろう」
ヴィルヘルムは及第点を出し、次の話をした。
「食事が済んだらダンスの練習もするからな」
「え?」
「叔母上に言われたんだ。椿にダンスを教えろと」
本当はクラウディオに任せようと思ったが、昨日立ち去る間際にフローエ夫人から釘を刺された。
一応自分の客人として連れまわすのだから自分も面倒をみるようにと。
ヴィルヘルムからの申し出は思ってもいないことで椿は少し動揺した。
「俺が教えるのは不安か?」
「いえ、嬉しいです」
椿は首を横に振り、しばらくして笑った。
嬉しそうにしていて、ヴィルヘルムの眉間がわずかに緩んだ。
◆◆◆
ダンスの練習の為に玄関の広場を利用した。
練習を始めて三日程経過した。
だいぶ基本的なステップを椿は覚え込んだ。
あとはリズムに合わせて一緒に踊る実践なのだがなかなか進まなかった。
覚えたての慣れない足の動きに椿はついていけずヴィルヘルムの足を踏んでしまった。
「も、申し訳ありませんっ」
「いや、大丈夫だ。気にせず続けろ」
ヒールがついた靴で踏まれて痛くないはずないのにヴィルヘルムは顔色を変えずにそういった。
「今のはヴィルが悪いな」
二人の様子を眺めていたクラウディオが口を挟んだ。
その言葉にヴィルヘルムはじろっとクラウディオを睨みつけた。
「お前は今ごろ起床か」
居候でありながら良い身分だなとヴィルヘルムは皮肉った。
それにてへへとクラウディオは悪びれもしないで先ほどのコメントの続きを言った。
「ヴィルのテンポが少し早かった。それで椿が慌てて……て具合だよ」
確かに椿の足取りが少し自分に比べて遅いなとは感じていたが、ヴィルヘルムとしては早くしたつもりはなかった。
「今のは標準的な早さだったと思うが……」
ヴィルヘルムの言葉に、クラウディオが呆れ果てた。
「女性をリードするのが紳士の勤めだよ。椿がついていけないのならそれに合わせて、少しずつ誘導してあげるんだよ」
わかっていないなぁとクラウディオは呟いた。
それにヴィルヘルムは苛立った。
「そんなことありません。私がとろいから……」
申し訳なさそうにする椿にクラウディオが近づいて行った。
「ヴィル、俺と代わって」
ヴィルヘルムは無言のまま椿の手を放した。
クラウディオが代わりにその手をとりほほ笑んだ。
「じゃぁ、はじめからやってみようか」
「はい、よろしくお願いします」
クラウディオは椿の背中に手を回し、椿はそれに応じるように彼の肩に手を添えた。
そして、ステップを踏む。
「……」
ヴィルヘルムは二人の様子をじっと眺め、複雑な表情を浮かべた。
確かに二人の足並みはそろっていた。
ヴィルヘルムが早かったのだと言わんばかりにクラウディオは言った。
「ほらね? 俺と踊っていると椿はちゃんとついて来れている」
ステップを踏みながらクラウディオは意地悪くヴィルヘルムに笑いかけた。
「レディーを無視して自分のテンポだけで踊るのは紳士失格だよ」
「……」
びしっと指さしてくるクラウディオにヴィルヘルムは何も答えられない。
クラウディオは椿に振り向いた。
「椿、パーティーにはずっと俺についていなよ。ちゃんとエスコートしてあげるし、ダンスも俺と一緒に踊ればいい」
「え……あの……私は」
椿はどうしていいかとおろおろした。
「そうだな………クラウディオがついていればツバキも安心だろう」
ヴィルヘルムは皮肉げに笑った。
「少し用事を思い出した」
そう言いヴィルヘルムは館を出て行った。
「あの、……」
「いいよ。ヴィルもまだお子様なんだ」
放っておきなよと言うクラウディオに椿は困ったように俯いた。
しばらくして顔をあげて言った。
「クラウディオ様、私の練習につきあってください」
「お安い御用だよ」
元々そのつもりでちょっかいを出したのだ。
「私、頑張ってヴィル様のダンスについていけるようにします。その為にはたくさん練習をしなければ……」
そういう椿の言葉にクラウディオはぷぷっと笑った。
自分は何か変なことを言ったのだろうかと椿は首を傾げた。
それを見てクラウディオは優しげにほほ笑んだ。
(自覚がないのかな。つまりヴィルと一緒に踊りたいってことだろ)
椿の心は思ったよりもヴィルヘルムに傾いて行っているのをクラウディオは感じ取った。
「いいよ。じゃ、少しずつ厳しくしていこうか」
「はい!」
真っ直ぐな無邪気な返事にクラウディオは思わず目を細めた。




