6 いつか来る恋の終わり
フローエ男爵家の、サロン室でマリアと椿はお茶を飲みながら近況を語り合った。
「明日にはクラウディオ様も来られるわよ」
思いもしなかったことに椿は驚いた。
「クラウディオ様も来られるのですか?」
「ええ、すぐに王都へ戻られるけど……あなたの様子を見に、あと私との約束を果たしにね」
約束という言葉に椿は首を傾げた。
「私をオペラへ連れて行ってくれる約束をしたの。明日ある、ジョルジョ・フィアンマ原作の劇よ」
それを聞いて椿は思い出したように頷いた。
明日、フローエ夫妻とオペラへ行く予定であった。
マリアとクラウディオも行く予定だったとは。
「素敵ですね。楽しんでください」
当然別々の部屋をとったのだろう。
椿はにこにこと笑った。
「本当はあなたも連れて行く予定だったのだけど、大叔母様があなたを連れて行くのなら任せることにするわ」
マリアはむすとした表情だった。
それに椿は首を横に振った。
「いえいえ、私が一緒ではお邪魔になるでしょう」
どうしてフローエ夫人といい、マリアといい椿を連れ回したがるのだろうか。
「邪魔なんて言っていないわよ」
マリアはじとっと椿を睨んだ。
「いえ、だってマリア様はクラウディオ様のことが好きでしょう」
「こほっ!」
マリアは紅茶をこぼした。
紅茶が彼女の袖を汚し、椿はあわててハンカチを取り出した。
「あなたってどんくさいわりにどうしてそこは気づくのよ」
マリアは顔を真っ赤にしていう。
「え、いえ……だってマリア様がクラウディオ様の話をしているときは何というか、すごく好きなんだなって感じがして」
理由にならない。直感に近い。
それで気づかれるなど癪なのか、マリアは椿の頬をきゅっとつねった。
「もう、クラウディオ様に絶対言ってはダメだから」
マリアはきゅっきゅと椿の頬をつねり続けた。
椿は「いたいいたい」と苦笑いした。
ようやく落ち着いた頃に椿は改めて言った。
「マリア様、頑張ってください」
「応援するのは構わないけど、どうせ私の恋は実らないわ」
マリアはははっと笑った。
その一言に椿は動揺した。
「恋を諦めるにはあまりに早いです。マリア様は可愛いですし」
「そうよ。それなのに、あの男は私のことなど見向きもしないのよ」
マリアはどんとテーブルを叩いた。
「知っていたの。クラウディオ様はずっと好きな別の女性がいる。私が入り込めない程に……」
「い、一体誰でしょうか」
「あと、あの男は年上が好きなのよ。はじめっから私なんてお呼びじゃないのよ。わかるでしょう? あいつが私よりあなたの方を大事にしているのだから」
それを聞いて椿は複雑な気分であった。
年上、確かに自分はクラウディオより年上だ。
クラウディオの年齢は実際はわからないが、ヴィルヘルムが赤ん坊の頃から客としていたということは40歳近くだろう。
(40歳にはとても見えないけど……)
椿は800歳はゆうに超えている。超えられない、何があっても自分が年上である。
世間知らずすぎて、すっかりクラウディオの方を頼ってしまいがちであるが。
椿があれこれと考えている様子を眺めながらマリアは呟いた。
「いいのよ。どうせ、私の将来は父が決めた婚約者と結婚するのだから……私はクラウディオ様の為に何もかも捨てることはできないわ」
マリアは視線を少し下の方へ移した。
妙に達観した様子であった。
感情のまま叫び、閉塞的な価値観がみられるが、時折大人びて見える。
それは背負っているものが違うからだ。
エーデルシュタイン伯爵の子供はマリアだけである。ヴィルヘルムが継ぐ気がないから、彼女が伯爵家を背負い、それに見合う殿方を夫に迎える必要がある。
「マリア様……」
感傷的な雰囲気になりそうなところでマリアは両手を叩いた。
「だから、大人になるまでの間にクラウディオ様を振り回すの。それくらいはしてもいいでしょう?」
にやっと笑う悪戯げな表情をみて、椿は思わず笑ってしまった。
マリアは素敵な令嬢になる。
きっと新しい出会いが待っているだろう。
(ヴィル様にも、素敵な出会いがあるように)
椿は紅茶が入っているカップをじっと見つめた。
今はまだ彼を思うと苦しくて切ない。
だが、いつかは彼が他の誰かと幸せになれたと考えて静かに過ごせるだろう。
(大丈夫……、私は大丈夫)
別れてしまったが、彼に出会わなければよかったとは思わない。
彼のおかげで自分はこんなにも変われた。
だから、感謝をしながら生きていこう。
「そういえば、今日は出かける予定でもあるのかしら」
マリアは椿の様子を見た。
今の椿の衣装は、室内ドレスではなくどこかへ出かけるドレスである。
「あ、はい……まだ時間はありますが」
椿は時計の方をみる。
まだ時計の針は3時であった。5時になれば、用意した馬車で行く予定だった。
マリアが来るまでの間、出かけるためのドレスを合わせている最中だった。
「実は、大眞国の舞台を見にいく予定です」
「大眞国の舞台?」
マリアはああと呟いた。
「最近大盛況のようね。予定より長く、舞台を提供するとか……おかげで明日のオペラの準備は超ギリギリ。私の大事なデートなのに大丈夫かしら」
舞台の準備はおおがかりである。
今日の舞台が終わったら、次の準備で夜間は清掃に入り、オペラに必要な道具の準備がされるだろう。
「うん、この招待状……椿宛なの?」
「はい、芸人の方が東海出身のよしみでくださって……折角だから楽しんでいこうかと」
「怪しいわね」
マリアは断言した。
「どうせ、あなたがちょろそうだからと密室へ連れていこうという算段かしら」
突飛な予想に椿は苦笑いした。
「いえ、くださった方は……」
女性という前にマリアは叫んだ。
「私も行くわ! 今からドレスの合わせをするから、あなたも準備しておいて」
マリアは立ち上がりサロン室を飛び出した。
取り残された椿は、ぽかんとしてしまった。
「芸人さんは女性だから大丈夫だと言おうと思ったのに」
ああ、と椿は思い出した。
以前誘拐事件のことがあるから色々と警戒しているのだ。
マリアの警戒は椿を大事にしてくれている現れでもある。
彼女の好意を無碍にすることもできない。
個室だし、1人増えても大丈夫よね。
折角だし、マリアと一緒に舞台を楽しむのもいいだろう。
椿は楽しみになり、自分の部屋へと戻った。ドレス合わせの続きをしなければ。




