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ライラが眠り、リアがその様子を近くで確認するようになってから約一時間三十分の時間が経とうとしていた。
アイヴァンは結界のすぐそばまで距離を縮めていてあと数十秒もしないうちに結界を通過し、トーメル湖には警報音が鳴り響くだろう。
警報装置は水中にも設置されているため、ダイビングを終わり水中から出てリアの脱ぎ捨てた装備を発見してからリアが居ないことに気が付き、必死に水中や地上を捜索している阿保三人もアイヴァンがトーメル湖に近づいてきていることを知ることはできるだろう。
「……わぁ……肌もすべすべだ……」
そんな中で、リアはライラが寝ているのを良いことに肌や髪の毛を触り続けていた。一旦は髪の毛を触るのをやめていたリアはライラの状態を確認するため額に手を一度当てたのだが、そこからリア頬などの肌を触り始め次は再び髪の毛を触り始めたのだ。
これはライラの事を起こしかねない行為ではあるのだがライラの眠りは深く起きる気配が全くない。
「……熱も、引いてきたみたいですね」
またリアは何の意味もなくライラの事を触っていたわけではない。一応ではあるがライラの熱が引いているのかを確認していたのだ。
「……良かった……」
リアはライラの熱が引いたことを確認し、安堵する。だがその直後に、トーメル湖に設置された魔道具から大きな警報音が鳴り響く。
「きゃあ! ……びっくりした……」
突然の警報音に悲鳴を上げるリアだが警報音に反応したのはリアだけではない。
「今、の……音は……」
「ソルテット様……! あの、万全な状態になるまで休んでいた方が……」
「今の音、は……アイヴァンが……トーメル湖の近くまで来ていることを知らせる、警報……です……迎撃の準備を、しなければ……」
ライラは未だに体調が悪そうではあるが、先ほどのように寝起きの調子がいいだけで時間が経てば悪化していくような状態からは抜け出していた。
「アイヴァンは基本的に温厚で、こちらから攻撃しなければ襲ってこないことがほとんど、ですが……妙に攻撃的な個体が紛れ込んでいる、と言う報告書を読んだことが、在ります……人間の気配に気が付いて攻撃、してくるかもしれません……」
やはり体調が悪そうなライラはゆっくりとした足取りで、ロッカーにしまってあるものを取りに向かった。
ライラが取り出したのはプロテクターは上半身を保護するような作りになっている。胸部と背中を守るようにしてプロテクターの前後には鉄板が仕込まれていた。
「……ないよりは、マシなはず……」
アイヴァンの行動の中で最も警戒するべきなのは鉄製の鎧を貫くとされる『氷の鋼羽』だ。ライラに用意できた防具の中はプロテクター一つで、それ以外の防具はたったの一つも用意できなかったのだ。加えてこの防具もちゃんとした物ではなく、氷の鋼羽を受け止める事はできずに体を貫通するだろうことがライラには簡単に予想することが出来た。
だが、無いよりはましなのだ。そのためライラは防御力の低さに不安を覚えながら自前のポーションを取り出してプロテクターに備わっているホルダーに収納した。
「……貴方には、何か準備するものは、無いのですか……?」
もともと短剣と杖を持ち歩いていたライラはプロテクターを装着しポーションを収納するだけですべての準備が整うのだが、リアは準備しているライラの傍にいて何かを準備するような動作を見せていなかった。
「えっと……制服には杖の収納場所が有るので、杖は持ってて……もう一つの、このブレスレットはずっと装着していましたから……特にこれと言った準備をすることはできないんです」
「……そうですか」
お金を持っていないため装備品を整えようと思ってもできないリアには準備も何もなかったため、ライラと一緒に更衣室から出て外の様子を伺う。
「……これからここに魔物が来るんです、よね……?」
「ええ……とはいってもあと二十分ほどの猶予はあると思います」
「その間、どうするんですか……?」
「……付いて来てください。アイヴァンが何体トーメル湖に訪れたのかを確認しましょう」
そうしてライラ達が移動したのは、阿保三人が借りていた民泊の様な物、正確に言うならば観測室だった。
「ここ、私が宿泊予定だった宿……」
ライラに案内されて自分が泊まることになっていた宿に到着したリアは驚きを露わにする。ライラはリアの反応を無視して扉を開いて観測記録部屋へと足を運んだ。
「見えます、か? これが結界を通過した物体の個数です。結界が感知するのは、魔道具設置地点である地面から十メートル以上の位置を通過する魔力を持った物体になっているので、誤検知の可能性は限りなく低いと言えます」
「じゃあ、トーメル湖に渡ってきたアイヴァンの数は、二十体ってことなんですか?」
「ええ、その通りです。それと、この魔道具は結界が検知したものがどの方向に向かって進んでいるのかを表示させています。正確にどこにいるのかは分かりませんが、この大きなトーメル湖ではアイヴァンがいる場所を狭めることが出来るだけで、かなり発見がしやすくなるはずです」
ライラは説明しながら、自分の目で魔道具を見つめる。魔道具から情報を得たライラはアイヴァンが良そうな場所に目星をつけて、移動を開始する。リアはそんなライラに後ろから付いて行った。
「……この辺りで、見張りましょう。安全のためにアイヴァンが水面に着水してから攻撃を仕掛けます……ここじゃないどこかに向っている可能性はありますが……」
ライラが見張ることに決めたのは、アイヴァンが結界を通過した際の進行方向の延長線上にある水面が見渡しやすい場所、トーメル湖周辺に広がる山の中だった。
「ここで、良いんですか……」
確かに見渡しが良いものの見張っている水面から二十メートル近く離れた場所で待機ているためリが不安の声を洩らすが、それだけ距離を開けているのには理由がある。
「これぐらい離れていないと、上空から私達の存在に気づかれた挙句に上空から『氷の鋼羽』を放ってくる可能性があります。加えて水面にいるときのアイヴァンと比べると空中に居るアイヴァンは『氷の鋼羽』を瞬時に発動することが出来るので、これぐらい距離を開けておかないといつの間にか氷の羽で貫かれる……そんなことが起きかねません」
「……あの、ソルテット様……バトルト様達はかなり前に水中に潜られて、今どうしているのかが……」
「水中にも警報装置は設置されています。水中の方が音の通りがいいので気づかない、という事はないでしょう」
「あ、いえ。そうじゃなくて、どこにいるか分からないから今の待ち伏せが妨害されるかもしれないって……そう思ったんです」
リアは阿保三人の身の安全よりもライラの計画が無意味なものになってしまうかもしれないことを憂いたのだがこれはリアの冷酷さが自然と表に出た場面の一つでもありリアが阿保三人の事をどう思っているのかを確定させるような場面だ。
ゲームの時も同じ反応をしていたのだが、私はこのリアの言葉を聞いて魔法のない世界で培われた私の常識がおかしいのではなくて阿保三人がおかしいのだと気付くことが出来た。
「あくまでも、出来ればの話です。『氷の鋼羽』に気を付ければアイヴァンの討伐はそこまで難しくありません。もともとアイヴァンが攻撃的ではないことも相まって私一人でも問題ないぐらいですから」
「……わかり、ました……」
どこか納得していない様子をリアは見せたが、阿保三人の居場所が分からないライラにはどうすることもできなかった。




