第二話:アレキサンドライトの僕とダイアモンドの兄
夜、シャンデリアが輝く王宮の大広間。美しく着飾った令嬢たちが花のように咲き乱れていた。
彼女たちは王国各地から王子たちの婚約者候補を選ぶため、この舞踏会に招待されていた。
「うわぁ、このシャンデリアのクリスタルガラスのカットの美しさと言ったら!」
そんな中、リリアは古風なドレスに単眼鏡を手に壁際で熱心に頭上を観察していた。
――どうやら、彼女だけはこの舞踏会の目的を忘れ果てているようだった。
その時、会場の笑いさざめく声が途絶え、戸惑うようなざわめきが広がる。
さすがのリリアも異様な気配にシャンデリアから目を離す。
会場の人々の視線は一人の青年に向いていた。
灰銀色のつややかな髪は撫でつけられ、整った顔だちに妖艶な赤紫色の瞳が印象的だ。
黒銀色の礼服を完璧に着こなす長身の青年はこの国の第四王子アレクセイ・フォン・ジェム・アレキサンドライト、その人だった。
蝋燭の光の下、揺れる炎の色を受けて、彼の瞳の色もゆらゆらと揺らめいて見える。
「アレクセイ王子のあの血赤色の瞳、なんて美しくて怖いのかしら」
「……あの方、怖い噂が絶えませんわね」
「目が合うと操られるとお聞きしましたわ」
遠巻きに見る令嬢たちのひそひそ話する声がリリアの耳に届き、はっとする。
無意識に見とれて、我を忘れていた。
(噂がなんだって言うの、あんなに美しい宝石に罪はない!)
よくわからない理論で結論づけて、リリアはアレクセイ王子に突撃する。
「アレクセイ殿下、お初にお目にかかります! どうか、そのままお止まりください! 私にその最高級の鳩の血色を拝見させてくださいませ!!」
「は? ……お前、昼間の……?」
冷たい視線で周囲を威圧していたアレクセイだったが、目の前にいきなり昼間会った「変な女」が現れて硬直する。
「この明かりの下でその色味が発色するなんて、――まさか、アレキサンドライトの瞳では!」
天然光と人工光とで鮮やかな変色する宝石眼を持つ人はこの国にたった一人しかいない。
リリアもようやく目の前の彼が誰なのか気がつく。
「しかも、そのお声……も、もしかして昼間のサボり魔さんなのでは? 緑と赤紫色……あ、貴方様は、宝石王子だったのですかーっ!?」
リリアの素っ頓狂な声が響き渡り、今度は会場中に戸惑うような空気が広がる。
「サボり魔って、誰のこと!?」
悪い噂の絶えないアレクセイ王子だったが、彼にサボり魔だなんて噂は誰も聞いたことがなかった。
「ぶっ……くくく!」
形容しがたい空気の中、突然、誰かが絶えきれないように吹き出した。
軽やかな靴音を響かせ、白と金の豪奢な礼服をまとった太陽のようなプラチナブロンドの完璧な美貌の青年が近づいてきた。
「アレクのことをそんな風に表現する人は初めてだよ! ああ、こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「ダリウス兄さん!」
「いつもの鉄面皮も形なしだな。なんて楽しいお嬢さんだ」
(あわわわ……!)
リリアに向けられた楽しげな瞳は無色透明の輝き、この世の美を集めて作り上げたような美貌の青年。
この国の第一王子にして王太子ダリウス・アダマント・グレイ、その人だった。
(うわわわ……あ、あんなに、完璧な透明度、見たことがない。あれこそが、私が目指してきた『美の頂点』なのでは……!)
リリアは言葉を失った。赤面し、瞳を潤ませながら、ダリウスの輝きに釘付けになる。
「……」
アレクセイはリリアの表情をみて瞳を曇らせた。
(そうさ。僕は、兄上のような完璧な光ではない。昼と夜で色が変わる、不安定な宝石だ。そんな僕を誰が選ぶ?……彼女だって、ダリウス兄上の完璧な輝きに魅入られるのは当然だ)
そんな弟の変化に気づかないまま、ダリウスはリリアにさらに近づく。
「ふふ、興味深いね。私はダリウスだ、お嬢さん。私の瞳も見てくれるかい? 私は兄として、この弟のアレクの不安定さがいつも心配でね」
「ダ、ダリウス殿下の瞳は、宝石の頂点です。鑑定士として、畏れ多くて直視できません」
ダリウスが近づいたのと同じだけ後ずさってリリアは真っ赤になったまま首を横に振った。
そんな二人の様子にアレクセイは小さく舌打ちする。
(チッ。やはり、兄上には完璧な美の言葉を。僕には『サボり魔』と『不安定』という不純物だけってことか)
アレクはリリアが兄王太子に夢中になるのを阻止しようと、「女よけ」という名目で彼女を自分の管理下に置くために動くことにした。
「兄上。この令嬢は僕の知人なんだ。失礼のないよう、僕が連れていてもいいかな」
「ああ、邪魔をして悪かったね。お嬢さん、アレクと仲良くしてやってね」
「は、はいっ! もったいないお言葉ですっ!」
完璧な笑顔を浮かべるダリウスを背にアレクセイはリリアの手を取って近くのテラスに向かう。
会場の隅で、逞しい体躯の第二王子ルーファスは豪快に笑いながら、目の前の令嬢の可憐な髪飾りを一瞬盗み見ていた。
一方、青い瞳の第三王子サイラスは、テラスに去る二人を無表情に追っていた。その瞳は、アレクセイがどれほどの嫉妬に駆られているかを、冷静に分析しているようだった。
テラスに出ると会場の喧騒が嘘のように静かだった。シャンデリアの煌めきに目をやりながら、アレクセイはリリアの正面に立つ。
彼の赤紫色の瞳は、今、怒りと焦燥、そしてかすかな期待で、昼間よりもずっと複雑な揺らめきを見せていた。
「昼間の契約の話って?」
いまだダリウスの幻影に囚われているリリアの姿を見て、アレクセイの苛立ちが増す。
「ああ、そのためにここに来てもらったんだ。単刀直入に言う。どうだい、僕と期間限定の婚約者になってくれないか?」
「は……い? こ、婚約者って、なんですか!?」
アレクセイは深くため息をついた。彼女は自分の話を全く聞いていない。
「いいか、リリア嬢。君は僕を『サボり魔』と呼ぶくらい、地位や権力に全く興味がない。それに、君の瞳は『宝石』しか見ていない。つまり、僕の『女よけ』として、君は完璧に安全な存在だということだ」
彼はそう断言すると、冷たく、だが強い意志を持った声で続けた。
「僕が君を煩わしい令嬢たちから解放するための『白い契約』だ。その代償として、君が昼間熱望していた王宮の宝物庫の閲覧権を与えよう。好きなだけ、高価な宝石の『鑑定』を許可する。どうだ?」
リリアの瞳から、一瞬にしてダリウスの残像が消えた。琥珀色の瞳が、驚きと興奮で大きく見開かれる。
「宝物庫の……閲覧権、ですって!?」
彼女の顔には、もう一滴の羞恥心もなく、ただ鑑定士としての純粋な欲求だけが満ち溢れていた。
「そ、そんな、人類の夢のような条件を、一介の貧乏令嬢の私に……!?」
(いや……まって。それだけだと、眼の前の宝石が見れないんじゃ)
勢いで頷きそうになったところを思いとどまる。宝物庫の閲覧権はこの上なく魅力的な条件だったが、それに負けるとも劣らない素晴らしい価値のある宝石が目の前にあった。
「どうだい。なかなかいい条件だと思うんだけど」
「も、もう一声、いいでしょうかっ!?」
「は? もう一声って?」
食いつき気味なリリアに押され気味にアレクセイが問う。
「どうか、アレクセイ殿下の宝石眼も研究させて頂きたいですっ!」
「僕の宝石眼『も』だって? 君、欲張りすぎじゃない!?」
「こ、こんな機会、二度とありませんから!! 契約が終わるまでで構いませんから、是非、お願いします」
両手を組み、涙目でリリアに懇願されて、アレクセイは肩を落とし、ため息を付いた。
「あー、もうわかった。宝物庫の閲覧と僕の眼も研究していいよ」
「あ、ありがとうございますーっ!! 不肖貧乏伯爵令嬢の私めに出来ることは何でもいたしますのでよろしくお願いいたします!」
「ああ、うん。……よろしく」
思い通りになったはずなのにリリアの良いようにされた気がしてアレクセイは首を傾げるのだった。
アレクセイは複雑な気持ちを抱えながら、リリアを連れて会場に戻るべく、テラスのドアに手をかける。
(まあいい。これで、あの女は当分の間、僕のそばにいる。そして、僕の瞳だけを熱心に見るだろう。……ダリウス兄さんの完璧なダイヤモンドに、心奪われる暇など与えない)
彼は心の中でそう結論づけると、扉を開ける直前、リリアの肩に手を置いた。
「契約成立だ、リリア嬢。だが、一つだけ言っておく」
彼は瞳の赤紫色の輝きを強め、真剣な表情でリリアを見つめる。
「僕たちの婚約は、あくまで『公的な契約』だ。間違っても、僕に恋愛感情を抱くような愚かな真似はしないでくれ」
リリアはきょとんとして答えた。
「もちろんです! 殿下は私にとって、歩く我が国のお宝、人類の至宝。恋愛対象などではございません! 安心してください、殿下を石としか見ておりませんので!」
(石としか……)
アレクセイは、心臓の辺りが妙にざわつくのを感じたが、それが安心感なのか、それとも別の苛立ちなのか、判断できなかった。
「そうか。ならばいい」
彼は扉を開け、リリアを伴って再び舞踏会の大広間に足を踏み入れた。
ざわついていた会場は一瞬静まり返り、アレクセイが連れてきたのが、先ほど彼を「サボり魔」呼ばわりした貧乏伯爵令嬢だと気づくと、再び様々な憶測が飛び交い始める。
「アレクセイ殿下が、あの令嬢と……?」
「まさか、王子の寵愛を?」
「でも、あの貧乏伯爵令嬢よ?」
アレクセイは、リリアが令嬢たちの視線に全く気づかず、彼の腕の筋肉や瞳の色を熱心に観察していることに、安堵と、また別の種類の苛立ちを覚えるのだった。
これで二人の「契約婚約」は成立し、リリアは王宮での生活を始めることになるのだった。




