怒ったお話
「……うーん?」
ペンシャに持っていかれたのは、宣言的記憶のエピソード記憶と呼ばれるものみたいだ。
エピソード記憶とは、イベントの記憶であり、時間や場所、そのときの感情が含まれているらしい。
今回誠はこれを取られたが、それとは別の宣言的記憶、意味記憶の方は失っていなかった。
こっちは特定の場所や時間に関係せず,物事の意味を表わす一般的な知識や情報についての記憶だ。
例えば今誠が持っているスマートフォンで電話やメールなどができるのを誠は知っているが、実際にどんな会話をしたのかということを全く思い出せなかった。
こっちの世界でエルシとこれを使って意思疎通をしたことは覚えているが、スマートフォンを操作してメールのやり取りを見ても何が何だかさっぱりわからなかった。
「……つーかやばい。基本電源は切ったままで放置して電池を長く保たせてたけど、右上の数字がやばい」
スマートフォンの右上には4%という数字が見え、電池マークは真っ赤になっていた。恐らく数分もしたら電源が落ちるだろう。
「この世界に規格の合う充電器とかなかったらしいからなぁ。作る技術も持ってないらしいし」
らしい、という言い方になっているのは、元の世界の記憶ではなくこの世界の記憶で思ったことを思い出すことでしか判断できないせいだ。充電器がどんな形をしているのか、色はなんなのかということが一切分からないので曖昧な言い方しかできない。
ひとまず電源を切って机へと置く。電気を供給する手段がなければこれはただの板だ。
「……さてと」
部屋を出て、暗い廊下を歩く。今の時間は深夜の二時。今日も夜空に星々が輝いていた。
エルシの部屋の前で足を止め、左眼を使って部屋の中を透視する。部屋の中にエルシがいないことを確認し、誠は外へ出る。
エビルたちの気配を辿り、誠は浜辺へとやって来た。視界を凝らせば、遠くの方にエルシが立っているのが見えた。立っているのは地面ではなく海の上だが。
「……いやまあ、ウォンターがいるから武器になる水が沢山ある場所に行くのは間違ってないんだけどさ。これじゃあ話が聞こえねえぞ」
誠がエビルたちを追ってきたのは、ペンシャがエビルたちに話すであろう誠の記憶をエビルたちが聞いてどんな反応をするかを見るためだ。
一応どんな反応をしてくるかの予想はついているのだが、やっぱりちゃんと確認しておく必要があるだろう。間違ってたら困るし。
「葉奈連れてきたら良かったか。でもこんな時間まで起こすのも悪いし……」
一応、力を使えば会話を聞くことは可能だ。ペンシャの力を使って空間を繋げてもいいし、エルシの力で真空の筒でも作って伝声管のように会話を聞けばいい。だがそれをすれば間違いなくエビルたちに気付かれるだろう。
どうにかできないかと辺りを見回すが、都合よくそんなものが転がっているはずもない。バレるの覚悟で少しくらい会話を聞いてみるかと誠が考え始めた頃。
ポンッ、という何かが射出されたような音がした。
「……?」
何の音だと思って音源を探そうと顔を向けると、既に目の前にエルシが迫ってきていた。その顔はいつになく真剣で、抜き身の刃のような威圧感を持っている。
だが殺意や敵意といった感情はなく、ただ何かに怒っているような感情が読み取れた。
「えーと、エルシさん? 何をそんなに怒ってるぶごっ!?」
台詞は途中で中断させられた。エルシは誠の腕を掴み、そのままとんでもない力で誠を引きずる。
「エルシさん!? なに、何なの!? この反応は予想してなかったんだけど本当に何なの!?」
「知りません。もう知りません! こっちだって好きにやらせてもらいますから!」
「エルシさーん!? こっちの質問に答えてないんだけど! エルシさーん!」
聞く耳持たず。
叫ぶ誠を無視し、エルシは誠を連れて家へと帰っていった。
残された神の子、エビルとウォンターは呆気にとられたように身動きを取れず、ペンシャはゲラゲラと笑い声を上げていた。
ペンシャから誠の思っていたことを聞き、エビルは少し迷いながらもこう判断した。
誠との契約を解除し、テズニムを追いかけて契約を結び我らの目的を果たすと。
ウォンターは冗談交じりに色仕掛けしてしまえと言っていたが、その案ももはや効かなくなっていた。最初っから騙そうとしていることを知られているのに騙すことなんてまず不可能だ。
故に誠といる理由はなくなった。力もある程度回復しているので、テズニムの元へと行き彼を利用すれば良い。
そうエビルは考えたのだが、ここで一つ問題が生じる。
誠とエビルたちが結んだ契約は、一方的に解除はできないのだ。誠が体の一部を差し出すことで成された契約は条件的には対等で、エビルたちの都合で解除することは無理だ。
ただし例外は存在する。契約の解除はできなくとも、契約を果たせない状態、つまりエビルたちから誠に力を与えることができない状態にすれば契約は勝手に消え去る。
つまりは、依代の死亡。
「……マコトの奴を殺せるかどうかについての話をしようとしただけなのだがな」
「私らが思ってるよりも、エルシの思いは向こうに傾いてるわね。元々人間が好きだったのもあるんでしょうけど」
誠を殺す算段を立てようとエビルがした瞬間、エルシが唐突に怒り出した。
いくら何でも早計すぎるとか、仲間意識はないのかとか、助けられた恩は感じないのか、とエルシは言う。
エビルは突然怒ったエルシに驚きながらも、所詮は利用しているだけだし、向こうもこちらを信用していないのだから同じだろうと言った。
だがエルシは、
「最初っから切り捨てる気満々のエビル兄さんをどう信用しろって言うんですか! 無理に決まってるじゃないですか!」
とエビルたちに言い放つ。
エビルたちに背を向け、空気の塊を放出して跳躍力を得ながらエルシは言う。
「もう勝手にやっててください! 私は付き合いきれません!」
そして遠くにいた誠の元へ行き、現在。
もしエビルに人の体があれば、今頃頭を抱えているだろう。
「……何なのだいったい。今の会話にエルシが怒るところが、どこにあったというのだ」
「最近人間と一緒にいることが多かったみたいだから、思考が染まってるんじゃないかしら?」
「……ペンシャ兄様。マコトが何かエルシに言ったことはあるか? そんなにあ奴らは親密になっていたのか?」
「さーねー。なーんかアレは神の子を人間扱いしてるみたいだけど、そんな侮蔑が関係あるとは思えねえし」
結局、彼らは神の子と呼ばれる存在だ。
国が違えば常識が変わるように、種族が違えば常識も変わる。
エルシのように人間に近づいているのであれば違うが、エビルたちはそんなことをしたことはなかった。
人間なんて所詮は道具。
そんな風に認識しているのだから、エルシが怒る理由に気づくはずもない。
大事な人が殺される計画を目の前で立てられそうになって。
恩人を使い捨てようとしている者たちを見て。
何も思わない『人間』がいるはずないことに、彼らは気づかない。




