目覚めのお話
葉奈が初めに感じたのは、氷のような冷たさだった。
目を開けると、そこは深い海の底だった。太陽の光が殆ど届かず、辺りは暗闇に包まれている。
「…………」
頭がうまく働かない。
何かを考えようとしても、『何を考えるのか』で思考が止まってしまう。
ただ、頭の中に何かが流れ込んでくる。
それは、記憶だった。
とある英雄の、とある孤独な男の。
『……私の記憶と人格が欲しい? 何を言ってるのかさっぱりだが』
記憶の中で、男が誰かと話していた。白衣を着ているところから見て、博士か何かか。
『わからなくてもいいんです。重要なのは、これは獣人の未来になるということです』
『獣人の、未来?』
『ええそうです。もし、獣人が何かの災厄に見舞われた時、貴方の記憶と人格があれば災厄から逃れることができるかもしれないんです』
『……私の頭に地震や津波の対策なんてないのだが?』
『いや、災害のことではなく……』
博士が男に説明をする。男は何度か首を傾げながらも、やがてこう言った。
『分かった。未来の為になるのなら、私の頭の中を喜んで差しだそう』
そこで、記憶は途絶えた。何かが流れ込む感覚は続くものの、先ほどのように記憶が見えてくることはなかった。
『……結局、馬鹿だったんだ』
男の声が聞こえてきた。悲しそうな、悔やむような声が。
『記憶だけならともかく人格も寄越せと言われた時点で、おかしいと思うべきだったんだ。なのに、私は獣人の未来の為なんて言葉に感動すら覚え、そんなことも考えつかなかった』
声と同時に、葉奈の体が浮上していく。
『彼はあんなにポンポン思いついていたけど、私は何も思いつかなかった。いや、考えもしなかった。獣人は私が助けなければいけない、なんて思ってたからだ。……酷い上から目線だよ。「私は力があるし皆を守る余裕があるので守ってやるよ」なんて』
「……貴方は」
思考が戻ってくる。
浮上に比例して、自分が誰か、今どうなってるのかがハッキリと分かるようになってくる。
声の持ち主が、誰なのかも。
「貴方は、英雄顎ですか?」
『……いいや』
葉奈の問いを否定し、男は答える。
『ただの顎だ』
直後、葉奈の体が完全に浮上しきった。
「……ん」
「お、目覚めた」
葉奈が目覚めると、その体は砂浜で横になっていた。隣には疲れた顔をした誠が座り込んでいる。
「えーと、葉奈だよな? 顎じゃないよな?」
「はい、三魁葉奈ですけど。……あの、私どうなったんですか?」
「顎になりかけてたから顎になりきる前に機材を壊した」
「?」
言われても分からず、葉奈は首を傾げる。そもそも葉奈たちは顎となってしまったらもう戻れないと思っていたので、いまいち現状を読み取れないのだ。
誠は誠でどうやって説明するか悩んでいるようで、ブツブツと呟いている。
「パソコンの中身を移し替えるのに時間かかるように、獣人の一生なんて馬鹿でかい容量を移し替えるのにも時間がかかる。データが完全に流れ込む前にパソコンをぶっ壊して無理やり止めたような感じなんだけど……やべえどうやって説明しよう。いい言葉が見つからない」
獣人である葉奈には分からない(というかこの世界の人にはまず分からない)言葉が聞こえてくる。葉奈の頭上にもう一つ疑問符が浮かぶ。
「……えーと、アレだ。プールの水を移し替えるのって時間かかるじゃん? その移し替えるのに使ってたバケツとかをぶっ壊して無理やり止めた、って言って通じるのかな……」
「えーと、まあなんとなく」
「……語彙力なくてごめん。ってそんなことよりだ」
誠は葉奈の顔、というより目を見ながら言う。
「……記憶の方は大丈夫か? 途中で止めたとはいえ、逆に言えば中途半端に顎の記憶があるはずだ。それのせいで親の名前忘れたり今が何月何日か忘れてる、ってことはないか?」
「えっと……」
言われて葉奈はゆっくりと思い出す。思い、出せた。記憶が抜け落ちていたり齟齬があったり、ということない。
大丈夫と言いかけた時、誰かが走り寄ってくる音が聞こえてきた。
音のする方に顔を向けると、そこにはファニーとマーチェがこちらに向かってきていた。そのまま勢いを緩めることなく誠がの元に近寄り、
「「チョップ!」」
「は? なぜ!?」
勢いのついたチョップが誠の頭に当たった。不意を突かれた誠が大きく仰け反る。
「あんなの見せといてよくそんなこと言えますわね!」
「やりましたよ! 私たちは無事成功させましたよ! さあ何か言うことがあるんじゃないんですかね?」
「ちょ、まっ、痛い! 分かったからチョップ止めてあだだだ!?」
二人にチョップされ続ける誠を助けるべきかどうか葉奈が迷っていると、不意に誰かに抱きつかれた。
「うぇ!? お、お父さん、お母さん?」
「葉奈、葉奈なんだよな?」
「葉奈、良かった、本当に……」
「……感動の再会だなーっと」
ボロボロと涙を流しながら葉奈に抱きつく格郎と真奈を見て、少し離れた所に立つ真也が呟く。
チョップされている誠もそんな親子の光景を見て、良かったと口にする。
「一刃千刀」
直後、声が聞こえた。
この場を、何もかも台無しにするかのように。
「「っ!?」」
声がした方を、空を見上げる。
夜空を背景に浮く男は、刃を月光で光らせながら一言呟く。
死ね、と。
その一言で、その一言に込められた殺意に気圧され、誠たちの反応が遅れた。
「――桜花乱舞」
千の刃が飛んだ。
この場にいる全てを切り裂く為に。




