記憶と人格のお話
「獣人の希望で、誰か一人を犠牲にしなければ誰かを助けることのできない、矛盾した英雄だよ」
葉奈の体を乗っ取った顎は、自虐気味な台詞を吐きながら誠たちに近づく。一見すると無防備だが、誰も動くことができなかった。
動けば死ぬと、本能的に感じ取っていた。
「おお、おおおおお!」
そんな中、突然誰かが大声を上げながら駆け寄ってきた。誠が視線をそちらに向けると、その誰かはエリガルト博士だった。
エリガルトが顎に近づくに比例して声が大きくなる。誰が見てもわかるくらい気分が高揚している。
「やった、やったぞ! ははは、顎の再誕だ! もう誰も我ら獣人に勝つことはできない! はははははは! 我らが世界を牛耳る時が来たのだ!」
「……君が私の記憶をこの子に?」
「ああそうだ! いや、そうです顎様! わたくしエリガルトが貴方様を復活させる為に頑張ったのです!」
「そうか、ご苦労だね」
「わたくしなんかには勿体無いお言葉です!」
「そうかそうか」
スッと、顎の手がエリガルトの前に置かれた。手の中指を内側に丸め、それを親指で抑える。つまり、デコピンの構えだ。
「何してんだてめえ」
爆音が鳴り響き、エリガルトの姿が消えた。
エリガルトがどうなったのか、まるで分からなかった。誠たちに見えない速度で撃ち出されたのか、それとも今ので肉片も残らないほど爆散したのか、それとも誠たちでは理解できできないことでも起きたのか。
いや、それ以前に。
「なに……してんだ?」
思わず、誠は顎に問いかけてしまった。
「お前、なんでそいつを殺したんだ!?」
「罪のない子の頭に変な男の記憶と人格をぶち込んだような男だぞ? 死んで当然だ」
一瞬で答えが返ってきた。
顎は、キョトンとしているように見えた。
当たり前のことなのに、何故目の前の奴は驚いてるんだと、そう思っているかのように。
誠はもうやけくそ気味に叫ぶ。
「だったら葉奈を返せ! その子が何の罪のないことが分かってんなら、こんな目にあう必要がないと分かってんなら、さっさと葉奈の体から出て行け!」
「残念ながら、それは無理だ」
顎の顔が苦々しそうに歪む。
こうなってしまったことを悔やむかのように。
「この体に埋め込まれたのは精神じゃなくて情報。私が精神体だったらその手の魔法で解除が可能だが……残念ながら、私はこの体に埋め込まれた記憶と人格情報を元に構築されたものにしか過ぎない。出て行くことは無理だ。……そうだな、この体の脳を破壊し、記憶を完全に消去すれば可能かもな?」
「……ふざけるな」
ポツリと、格郎が呟いた。
その体は、震えていた。
顎に対しての恐怖、なんかではない。
顎に対しての怒りだ。
「なんだそれは。そんな、そんな理不尽、あってたまるか」
「そんなこと、私に言われても仕方ないわけだけど」
「――返せ」
ドクンッ! と心臓が飛び跳ねた。
格郎がとんでもない殺気を放ち、殺気を向けられたわけでもないのに、誠の体が強張る。
「返せ、葉奈を返せ!!」
地面が爆発した。
とてつもない速度で格郎は顎に近づき、拳を放った。
駄目だ、と誠は思う。
格郎の動きは、目で追えるレベルでしかない。
何をしているのか分からない速さで動く顎に、拳が届くはずがない。
「だから無理だって言ってるのに」
誠の目の前の地面が、突然崩れた。
轟音と共に格郎が地面に叩きつけられ、大地が揺れる。
「格郎さん!」
「ああ、死なないように手加減はしてあるから大丈夫だよ」
いつの間にか隣に立っていた顎が、格郎の方を見ながら言う。
「私はこれでも獣人からは英雄と呼ばれてるからね。獣人を助ける義務がある。助けるべき人を殺すわけにはいかない。……その獣人の体を乗っ取ってるわけだから、矛盾してるけどね」
さて、と言いながら顎は誠の首筋に手刀を押し当てた。ヒヤリとした冷たさを感じ取り、誠の心臓がまた飛び跳ねる。
「それじゃあ悪いけど、ここで死んでもらうよ。先も言ったけど、私は獣人の英雄だ。獣人の敵である人間たちは、全員殺さなければならない」
「……随分とまあ、物騒な英雄なこって」
「知らなかった? 英雄って、この世界で最も敵を殺す殺人鬼なんだよ?」
顎がそう呟いた直後。
ゴッ! と水流が誠を中心に渦巻いた。
水流は顎を弾き飛ばし、無理やり距離を取らせる。少し離れた場所で綺麗に着地した顎に向けて誠は言う。
「記憶と人格を植え付けたから記憶そのものを完全に壊さないと駄目? 何言ってんだか、記憶の一部を封印する方法なんて幾らでもあるんだつーの。一番分かりやすいのは催眠かな? 記憶を思い出せないようにして、顎の人格は二重人格として奥に引っ込んでてもらう。これで全部解決だ」
顎から視線を外さないようにしながら、誠は真奈たちに向けて叫ぶ。
「真奈さん! 真也! 格郎さんを連れて離れてろ!」
「ま、待ってください誠さん! 貴方まさか……」
「決まってるでしょう」
アクリアを力強く握り、顎に向けながら叫ぶ。
「顎を、ぶっ倒す!!」
直後、轟音が鳴り響き、一撃が放たれた。
獣人でさえ捉えることのできない、圧倒的速度の拳が。




